第44話:テルマ村の門前にて
揺れる地面を慎重に踏みしめながら進むリクたちの前方に、ようやく山間に小さく佇む集落の姿が見えてきた。
断崖の陰にひっそりと寄り添うように建てられた家々は、まるで岩肌と同化するかのように灰色に沈み、遠目には大地の一部がせり出した塊のようにしか見えなかった。
「あと少しで、テルマ村だな……見えてからも結構距離あるなぁ」
リクが額の汗を拭い、息を整えながら指差す。
その瞳には警戒と、ようやく辿り着いたという安堵の両方が宿っていた。
噴煙を上げる火山の麓。岩壁に貼りつくように存在するその村は、厳しい自然と共に生きる人々の営みを想像させた。
「こんな場所に……。人々はどうやって暮らしているのかしら」
エリナが驚き混じりの声を洩らす。
その声音には、ただの不安ではなく、困難な環境に根を張る住民たちへの敬意がにじんでいた。
「温泉でも湧いてるんじゃないか? 火山の村だし……まあ、それだけじゃ暮らせねぇだろうけどな。」
ライアンが冗談めかして笑う。
だがその目は笑っていなかった。
視線は常に周囲を走り、わずかな揺れや風の変化にすら神経を尖らせていた。
「警戒は怠るな」
共に進むユリウスが低く言い放つ。
馬の手綱を引きながら周囲を観察するその姿には、一分の隙もなかった。
「この辺りは地熱が高い。地面がいつ崩れてもおかしくない」
「は、はい!」
リクは無意識に背筋を正し、剣の柄に手をかけていた。
村の入り口までは、まだ距離があった。
そこへ至る山道は、あちこちで土が抉れ、黒く焦げた倒木が無造作に転がり道を塞いでいた。
大地に走る不気味な亀裂は、まるで何かが地中から這い出ようとした痕跡のようで、見る者の背筋を冷やした。
周囲の木々は葉を失い、白骨のように枝を伸ばしている。
その間をすり抜ける熱気は、温泉の湯気とも違う。
焦げた硫黄の臭気が混じり、肌を刺すようにまとわりつき、呼吸すら重くした。
「……最近、噴火があったって記録、あったか?」
ライアンの声は努めて落ち着いていたが、拳を握る手にはじっとりと汗がにじんでいた。
「いや、王国の記録には何もない」
ユリウスは短く答えると、険しい目で地面を見据えた。
「だが、この地熱……ただの自然現象では片付けられん」
「魔人の仕業……ですか?」
エリナが不安げに口にする。
その声は掠れ、今にも消え入りそうだった。
ユリウスはわずかに息を吐き、静かに言葉を続けた。
「記録によれば、“嫉妬の魔人”は人の感情を侵し、乱れた心に呼応して大地を歪めるという。心が揺れれば、火山すら怒りをあらわにする……そう伝えられている」
リクはその言葉を胸の奥で反芻する。
“心の乱れ”――それは彼自身もまた抱えているものだった。
かすかな不安が喉を締めつけ、彼は小さく唾を飲み込んだ。
風が吹き抜けた。
火山の斜面から立ちのぼる白い蒸気が揺れ、草木がざわめく。
その音は、ただの風音に過ぎないはずだった。だが、耳を澄ませば――まるで誰かがすすり泣いているかのように聞こえた。
「……気味が悪いね」
エリナがマントをぎゅっと握りしめる。
彼女の瞳には、恐怖と同時に“確かに何かがいる”という直感が宿っていた。
「……行こう」
リクが静かに口を開いた。
その声は風にかき消されそうなほど小さかったが、確かな力を帯びていた。
誰かが、この村で助けを求めている。
誰かが、この地の奥で孤独に震えている――。
止まるわけにはいかない。
三人とユリウスは互いに無言で頷き、足を踏み出した。
熱を孕んだ風が彼らの背を押す。
だがその背中に、見えぬ眼差しが絡みついていたことに――まだ誰も気づいていなかった。
運命はすでに動き出している。
その先に待ち受けるものは、ただの自然災害ではなく――嫉妬に彩られた“闇”そのものだった。
「読んでくださって本当にありがとうございます。
ブックマークや評価、感想をいただけたら、今後の創作の励みになります。」




