第5話:崩壊
ある日、XANAメタバース内に、なんの前触れもなく“異常”が発生した。
空間の一部がひび割れ、都市を包むデジタルスカイが不自然に歪んでいる。美しく整っていたはずの仮想都市は、その形を保てず、崩壊の兆しを見せていた。
《ERROR 503》《データ転送失敗》《構造体異常》
赤い警告ウィンドウが画面上に次々と現れては消え、都市の一角が空中で停止する。建物は一部が半透明になり、地面は粒子のように解体されていく。空間そのものが、静かに、だが確実に崩れ始めていた。
「おかしい……なんで、こんな……?」
優斗は独り言のように呟きながら、あちこちのエリアを駆け巡った。
緊急コマンドを入力し、情報端末を開き、アクセスログを確認する。だが、どこをどう調べても手応えはなく、すべての試みは容赦なくエラーとして返される。
《読み込み失敗》《転送不可》《エリア消失》
手応えのない作業に苛立ちが募るが、状況は刻一刻と悪化していくばかりだった。
いつもの広場、ログインゲート、都市の中枢……どこも同じだった。空間は揺れ、道は波打ち、壁が音を立ててずれる。仮想世界の“輪郭”が、見る見るうちに剥がれ落ちていく。
「優斗、何が起きているの……?」
Erikoの声が、薄い震えを帯びて届く。彼女の表情に、明確な“不安”が浮かんでいた。
XANAメタバースは、彼女にとってただの空間ではない。この場所は、彼女自身の存在そのものだった。
そして今、その“世界”が、音もなく崩れている。まるで、見えない何かに引き裂かれるように。
「Eriko……お前、大丈夫か? 身体は、意識は……!」
「……分からない。でも、この世界全体が……おかしいの。何かが、根本から壊れてる」
その声には、明確な“死”の気配が滲んでいた。
仮想空間は、コードと数値で成り立つはずの世界。そこに“死の感覚”などあるはずがない。
だが――今のXANAには、たしかに“生命の消失”を思わせる沈黙と崩壊の音が響いていた。
「くそっ……どうなってんだよ、これ……!」
優斗は歯噛みしながら、アクセス権限の最深部にまでコマンドを走らせた。システム復元、エリア強制再起動、セーフゾーン移動。できる限りの手段を試す――が、すべてが拒絶される。
《アクセス拒否。該当エリアは存在しません》
《セーフゾーンが見つかりません》
《構造体が破損しています。再構築不可》
端末の文字が冷たく光るたび、優斗の背筋に冷たいものが走る。まるでこの世界そのものが、彼らを排除しようとしているかのようだった。
「優斗……こわいよ……」
Erikoが肩を震わせながら、そっと優斗の腕にすがりつく。
普段はどこまでも理知的で、冷静沈着だった彼女が、今はまるで怯えた少女のようだった。
この世界の“終わり”を、何よりも彼女が一番感じ取っていた。
「大丈夫……俺が、絶対にお前を助けるから」
優斗はErikoの手を取り、強く握りしめた。
その温度が、彼女の存在を感じさせる……はずだった。
──ふっ。
手が軽くなった。
「……あれ……?」
次の瞬間、優斗の視界がノイズに包まれる。ざらついた砂嵐のような映像が眼前を覆い、音が途絶え、色が消え、世界の光がすべて、どこかへ吸い込まれていく。
「Eriko……!? Eriko!!」
優斗が叫ぶ。しかし、返ってくるはずの声はない。
彼の声は反響すらせず、ただ虚無に吸い込まれた。
そこにあったのは、無音。無感覚。光すら届かない、完全なる“闇”だった。
“世界”が、消えた。
そして――
優斗の意識もまた、深い闇の中へと飲み込まれ、完全に断ち切られた。
* * *
その瞬間、どこか遠くで、何かが裂けるような乾いた音が響いた。
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