第19話:交錯する命の選択
「……死ね。愚か者ども――」
ヴェリスの掌から生まれた漆黒の魔力が、鋭く空気を裂きながら放たれた。
その狙いは――エリナ。ただ一人。
「エリナぁぁぁ――!!」
リクの絶叫が響いた刹那、凄まじい閃光が弾け、視界が漆黒と白光で覆われた。
(……ダメ……動けない……身体が……もう、限界……)
時間の流れが、まるで泥の中を這うように遅く感じられる。
音が遠のき、光が滲み、思考も霞んでいく。
――終わる。
そう悟ったその瞬間だった。
「グォォ……ッ!!」
爆風の中心へと、猛然と飛び込んできた巨大な影があった。
それは、以前、あの森で出会った――“らふくま”だった。
* * *
「ら、らふくま……?」
エリナの目に映ったその姿は、かつてのような温和さを一切纏っていなかった。
その巨体は、全身に黒煙をまとい、放たれた魔力の直撃を真正面から受けていた。
毛並みは焦げ、皮膚は裂け、焼けただれた肉の匂いが鼻を刺す。
それでも、らふくまはエリナの前に立ちはだかり、徐々にその膝を折っていった。
「……どうして……?」
震える声が漏れる。
耳が、戦場の音を拾わない。視界も、周囲を映さない。
ただ――この尊い命が、自分のために燃え尽きようとしている現実だけが、彼女の胸を強く締めつけた。
「なぜ……私なんかを……」
呆然としながらも、彼女はらふくまの傍ににじり寄った。
「何も……命を捨ててまで……関わったこと……なかったのに……」
エリナは呆然としたまま、らふくまの傍へと滲むように歩み寄った。
脚が震える。心も壊れそうだった。
そんな彼女を見上げるように、らふくまはゆっくりと顔を向けた。
焦げた体からは血が滲んでいたが、その目には不思議なほどの安らぎがあった。
怒りも、苦痛も、怨嗟も――何一つ浮かばない。
あるのは、ただ一つ。
――あたたかな光。
「……グルル……」
それが、らふくまの最後の鳴き声だった。
その一声を残し、彼は静かに――まるで眠るように、エリナの前で崩れ落ちた。
* * *
「……何故だ?」
その目に、微かにだが、揺らぎが生まれていた。
「魔物が……人間を庇うだと? くだらん。理解不能だ」
絶対の理を信じていた彼にとって、その光景は常識を超えた“矛盾”だった。
その冷たい表情が、ほんの一瞬だけ、歪む。
リクは地面に手をつきながら、なんとか立ち上がろうとしていた。
目の前には、倒れたまま動かぬライアンの姿。己の無力に歯噛みしながら、それでもリクは剣を手に取る。
「エリナ! しっかりしろ!」
彼は必死に声をかけたが、彼女は動かなかった。
らふくまの亡骸を前に、膝をついたまま、ただ涙を流し続けていた。
――なぜ?
――どうして、私なんかのために?
思考は止まり、胸の奥が締めつけられて、何も考えられない。
ただ、頬を伝う涙が、次から次へと溢れていく。
そのとき――
「……っ!」
エリナの胸元から、かすかに光が漏れ出した。
「……え……?」
それは、淡い金色の輝きを宿した小さな光球。
ふわりと宙に浮かび、静かに舞い上がる。
「これは……」
ようやくエリナの瞳が、その光を捉えた。
――心が、反応する。
なぜだかわからないが、それはとても懐かしく、そして切ない光だった。
「リクに……渡さなきゃ……」
無意識のように、彼女は呟いた。
それは直感。根拠などなかった。
ただ――そうしなければならないと、心が叫んでいた。
光の玉は風に乗るようにふわりと舞い、ゆっくりとリクのもとへと流れていく。
やがて彼の胸元へと吸い込まれ、跡形もなく消えた。
「な、なんだ今のは……!?」
リクの意識に、何かが流れ込んでくる。
それは熱でもなく、痛みでもない――やさしさだった。
怒りでも、悲しみでもない。
ただ、深くて静かな、誰かを想う気持ち。
「……これは……」
胸が温かくなった。涙が出そうになった。
そして、次の瞬間――世界が変わった。
空気の流れ、魔力の渦、ヴェリスの黒い力の“軌道”が、明確に“見える”。
未来の断片が、光の道筋のように心に焼き付いていた。
だが、それはまだ“力”ではない。
ヴェリスを打ち倒す術を得たわけではない。
ただ一つだけ確かなのは――
「ヴェリス……お前だけは……絶対に許さない」
剣を強く握り直す。
その目は、確かに“戦い”の先を見据えていた。
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