第159話:夜明けの光
地上では、戦いを終えたはずの街に、まだ赤い空が重く垂れ込めていた。
無数のガーゴイルが瓦礫の上空を旋回していたが、やがて一体、また一体と輪郭を失い、黒い粒子となって崩れ落ちた。
砂のような闇は風に散り、夜気へ静かに溶けていく。
赤黒かった空も、ゆっくりと色を変え、夜本来の群青へと戻っていく。
長い悪夢が、ようやく終わろうとしていた。
「……やって、くれたのか……!」
ロビンは剣を杖のように突き立て、部下に肩を支えられながら呟いた。
血に濡れた額から汗が滴り落ちる。
仲間たちは互いに抱き合い、まだ信じられぬ面持ちで空を仰いだ。
だがその安堵は、長くは続かなかった。
* * *
「クックックッ……」
耳を裂くような不気味な笑い声。
Erikoははっとして音の方向を探した。
瓦礫に覆われた玉座の間――そこには、半身だけ人の形を保った魔王が、力なく横たわっていた。
「我も倒れたが……あのお方の使命は果たせた。そして……」
血の気を失った唇が、最後の力を振り絞る。
地面から黒い靄が沸き上がり、天へ向かって渦を巻く。
「なに……!?」
Erikoが声をあげた瞬間、城全体が低く唸った。
ゴゴゴゴゴ――。
「フッ……この城の制御は解いた。 まもなく地上に落下する」
魔王の赤い瞳がかすかに光り、薄笑いを浮かべる。
「これだけの質量……粉塵が大気を覆い、何年も太陽を遮る。 人の住めぬ世界となろう。 GOX落ちした不良品の世も、これで終わりだ……」
そう言い終えると、魔王の身体は灰のように崩れ、闇に溶けて、完全に消えた。
* * *
地上では、再び恐怖が広がっていた。
空を裂いて落下してくる巨大な影――それが魔王城だと気づいた者たちは、悲鳴を上げ、四方へ逃げ惑う。
「早く城外へ!」
「家族を連れて逃げなければ!」
「今からどこに逃げろというの!」
「もう終わりだぁ!」
「そこをどけぇ」
「私は貴族だぞっ……!」
「知るかっ!」
・・・
阿鼻叫喚が王都を覆い、兵士たちも秩序を失っていく。
王城では、シーユキ女王の周囲で重臣たちが口々に叫んだ。
「陛下、早く避難を!」
「私は自領に戻るぞ!」
己の家族や領地を案じ、民を見捨ててでも逃れようとする者の姿が次々と露わになる。
信頼していた家臣さえ、恐怖に駆られ利己的な本性を隠せない。
「陛下……」
護衛のとうしが声を震わせる。
シーユキはただ、静かに首を横に振った。
「……祈りましょう。もはや人の身で出来ることはありません」
女王は膝をつき、月を仰ぎながら両手を組み、深く目を閉じた。
* * *
「……どうしよう……」
Erikoはひとり呟いた。
優斗も、仲間たちも、もうそばにはいない。
「私が……何とかしなきゃ」
決意が胸に満ち、彼女は立ち上がった。
横たわる優斗――いや、リクの顔を一瞬だけ見つめ、静かに誓う。
「力を貸して……みんな……! お願い!」
力強く願う。
その瞬間、内側から眩い力が湧き上がった。
Genesisたちの意志が、Erikoの心に応えたのだ。
光の鎖が無数に生まれ、彼女の胸から放たれて天を衝く。
鎖は浮遊する魔王城を絡め取り、締め上げていく。
城は唸りを上げ、空が悲鳴をあげた。
地上の人々は混乱の極みに達し、逃げる者、祈る者、ただ呆然と立ち尽くす者――希望も絶望も渦を巻く。
Erikoは目を閉じ、歯を食いしばった。
「うぅぅぅぅぅぅ……!」
生命そのものを魔力へと変え、限界を超える力を解き放つ。
汗が滝のように流れ、全身が灼けるように熱い。
「あ……あ……あ…………ぐ……あ」
Erikoの喉から、声にならぬ呻きが途切れ途切れに洩れた。
心臓は破裂寸前に脈打つ。
「うわぁぁぁぁぁぁぁーーーっ! 砕けてぇぇぇぇーーー!」
凄絶な叫びとともに、光が世界を満たした。
音は消え、ただ純白の輝きだけが広がっていく。
* * *
地上では、最初に目を開けた者が、空を指さして叫んだ。
「あれを……見ろ!」
夜明け前の群青を背景に、巨大な魔王城が粉塵をまといながら静かに崩れ落ちていく。
ガララララッ――と鈍い破砕音だけが、眠りから覚めた大地にゆっくりと染み込んだ。
城は無数の破片となり、淡い光を纏って流星雨のように夜空へ散り、やがて降り注いでいく。
黒く染まっていた空は、少しずつ深い群青へと色を変え、黎明の気配がかすかに辺りを満たした。
その光景に、王国中の人々が息を呑む。
シーユキ女王、なん、SILVER、aiz、sen、Msaki公爵――
そしてXETA党の面々までもが、それぞれの地で立ち尽くし、夜明けの空を仰ぎ見た。
恐怖と歓喜が入り混じるその胸に、同じ確信が芽生える。
――人類は、ついに魔王を退けたのだ、と。
しかし、祝福の声は上がらなかった。
誰もが言葉を失ったのは、空に広がる光景の神々しさのせいだけではない。
瓦礫の中心、かつて城があった場所から、やがて二つの小さな輝きが浮かび上がった。
淡い金と銀の光は、初めはただ漂っているように見えたが、やがて互いを求めるように近づき、静かに絡み合う。
まるで寄り添う恋人のように――あるいは、長い旅路を共に終えた魂のように。
「……あれは……」
誰かが震える声をもらした。
光はゆるやかに空へと昇っていく。
夜空を渡り、淡い黎明を背に、星々の海へ溶けるように。
風は音を失い、世界そのものが一瞬、息を止めた。
その二つの光が何であるのか、誰一人として言葉にできる者はいなかった。
ただ、世界を覆っていた闇が消え、永い夜が終わるその瞬間――
その光だけが、確かに新たな始まりを告げているように見えた。
まるで遠い未来へ向かう道しるべのように、二つの輝きは寄り添い、静かに天へと昇っていった。
光が消えたあとも、空には淡い余韻が漂っていた。
冷たい夜気の中、人々は理由もなく息をひそめ、ただその輝きを見上げた。
何が起きたのか誰も理解していない。
それでも胸の奥がじわりと温かく、知らぬ間に涙がにじむ。
そして、誰ともなく小さな声が漏れた。
「……ありがとう」
それは祈りとも祝福ともつかない、心が勝手にこぼした言葉だった。
* * *
遠く離れたリクの生家。
キッチンからは香ばしい匂いが漂い、リナが食卓の準備をしていた。
「あなた……そろそろリクたちが帰ってくる気がするわ。ごちそうを用意しないと。きっと一回りも二回りも成長して帰ってくるわよ」
ガイルは新聞をたたみ、窓の外に視線を向けて小さく頷く。
その頬を、理由もなく一筋の涙が静かに伝った。
「……あぁ、そうだな」
彼らはまだ知らない。
いまも遠い空で何が起き、誰がこの世界を救ったのか――そして、愛する息子がその戦いの中で命を賭したことを。
リナはただ、胸に広がる根拠のない高鳴りに微笑み、ガイルは静かに窓の外を見つめていた。
「読んでくださって本当にありがとうございます。
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