第157話:光、走る
――背筋を凍らせるほどの殺気が、突如として空気を引き裂いた。
エリナは反射的に首を巡らせる。
皮膚の奥にまで染み込む冷たい圧が、空気を震わせながら全身を締めつけ、肺の奥から呼吸を奪っていく。
「きゃぁっ!!」
思わず声が漏れる。
足が止まり、心臓が喉を突き破りそうな鼓動を刻む。
視界の端で、漆黒の闇が波のように膨れ上がった。
反射的に目を閉じ、両腕で頭をかばったその刹那――。
ドォォォンッ!
世界が爆ぜた。
衝撃波が城壁を揺らし、熱風が一気に吹き抜ける。
火花を散らす瓦礫が雨のように降り、髪が乱れ、頬を熱が焼いた。
耳鳴りが激しく鳴り響く。
だが――痛みは来ない。
鼓動だけが耳の奥で荒れ狂い、時間が異様にゆっくりとねじれていく。
恐る恐る瞼を開いたエリナは、息を呑んだ。
――そこにあったのは、一つの背中。
「……リク!」
粉塵の中、彼は無言で立っていた。
右腕も右脚も、魔王の爪に切り裂かれ失われたはずの部位が、星屑のような光粒に覆われている。
血の一滴も流れていない。
淡い輝きは鼓動と呼応し、まるで命そのものが形を取ったように脈動していた。
「エリナ。今度こそ終わりにするから、待っていて」
振り返らずに放たれた声は、戦いの最中とは思えぬほど柔らかく、それでいて揺るぎない決意を帯びていた。
「一緒に地上へ帰ろう」
その言葉が胸に染みる。
エリナの胸の奥で、かつてリクに託した“光”が再び息づき、身体の芯をじんわりと温めていく。
それは彼の魂と血肉に完全に同化し、いまや彼自身の力として脈動していた。
――Genesisたちの気配が、心の奥で安堵の吐息をもらした。
……しかし。
「うんっ! 一緒に帰ろう! 久しぶりにリナさんの料理、食べたいな!」
涙に滲む視界のまま、エリナは必死に笑顔を作り、声を張り上げた。
リクは小さく息を吐き、わずかに口角を上げる。
「そうだな。成長した姿を見せに、久しぶりに実家に帰るか。 帰ったら、父さんに“もっとしっかりしろ”って怒られるかもしれないけどな」
その一言が、エリナの胸をひととき温めた。
けれど次の瞬間――。
ゴゴゴゴゴッ……。
地の底から響くような不穏な音が、城全体を震わせた。
天井の瓦礫がガラガラと弾け飛び、黒い霧が噴き出して空気を濁らせる。
光を遮る塵煙の奥で、巨大な影が再び形を取った。
「……何だ、今の衝撃は――むっ!?」
魔王ルシファー。
その眼がリクをとらえた瞬間、赤い瞳が鋭く細められた。
「貴様……我が主の目を欺き、まだその力を残していたか! だが好都合。 我が主に代わり、貴様の企みを、我が手で終わらせてくれる!」
低く地鳴りのような唸り声。
四肢が床を砕き、震動が城の奥深くまで響いた。
その口元に、漆黒のエネルギーが渦を巻きながら集まる。
空気そのものが悲鳴を上げ、周囲の重力がねじれる。
黒き渦は砲台のごとく膨張し、絶望の光を放った。
しかし、リクは一歩も退かない。
剣を持たぬ手でゆるやかに腰を落とし、居合いの構えを取った。
抜き打ち一閃――世界を断ち切るための、静かで凄絶な覚悟。
「エリナ、少し離れていて」
その声は低く穏やかだが、確固たる力を秘めていた。
「リク……!」
エリナは唇を噛み、後退する。
瓦礫が足元を転がり、息を吸うたび胸が痛む。
「死ねぇぇぇぇーーーーっ!!」
魔王が咆哮する。
砲口と化した顎から、星をも砕く闇の奔流が吐き出された。
黒光が空間を裂き、重力をねじ曲げながら一直線に突き進む。
世界そのものが悲鳴を上げ、空気が爆ぜた。
だが――リクは微動だにしない。
瞳に宿る光が、あらゆる闇を鮮烈に照らす。
「――XANAスラッシュ!」
瞬間、場のすべてが白光に包まれた。
雷鳴を伴う閃光が一直線に走り、闇を断つ。
轟音とともに放たれた光刃は、魔王の放った奔流を真っ二つに裂き、そのまま巨体を横一閃に貫いた。
スパンッ!!
空気が震え、時が止まったかのような深い静寂が訪れる。
「ば、ばかな……!」
魔王の呻きが、瓦礫に反響し、夜の虚空へ消えていった。
黒い残光だけが、燃え尽きた彗星の尾のように漂い、やがて闇へ溶けた。
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