第156話:運命を選ぶ時
――限りなく広がる白の虚空に、再び深い静寂が降りていた。
過去も未来も剥ぎ取られ、時間という概念さえ息をひそめている。
耳を澄ませても何も返らず、かすかな呼吸音さえ自分のものかどうか疑わしくなる。
「そ、そんな……あなたも神なんでしょう? 何とかできないんですか!」
優斗――リクとして生きてきた青年の叫びは、どこまでも広がる虚空に吸い込まれ、すぐにかき消えた。
反響もなく、ただ白の無に溶けていく。
淡い光に包まれたシルエットが、ゆっくりと首を振る。
その仕草一つで空間がわずかに揺らいだようにさえ見えた。
「……古の神を滅ぼし、呪いを解くしかない。 だが、ボクにはもうその力はない」
低く静かな声。
氷の刃のように冷たい響きが、優斗の胸奥を鋭く刺した。
「この呪いから抜け出すには――二つの道がある」
静謐な声が再び空気を震わせ、白の世界に波紋を広げる。
「ひとつは、君がErikoを諦め、すべてを忘れ、ただ一人の人間として天寿をまっとうする道。 もうひとつは、過酷な運命を選び、輪廻転生を繰り返し、古の神を滅ぼす道。 ボクはその後者を選ぶ君を手助けできる。 ……ただし、代償を払う覚悟が必要だ」
「代償……?」
優斗は眉をひそめる。
白の世界は変わらぬままなのに、足元から冷気が立ちのぼるような錯覚に包まれた。
「ボクが力を貸しても、呪いが解ける保証はない。 自分自身で運命を切り開くしかない。 その道は、何度も心を折り、死を願うほどの苦しみに満ちている。 だが、呪いは君を死で解放することすら許さない」
淡い光が一瞬だけ濃くなり、白一色の世界に深い影を落とした。
「Erikoを諦めれば、古の神は君を赦すだろう。 ……だが、Erikoはそうはいかない」
優斗は息を呑み、思わず一歩踏み出す。
「……どういうことですか!?」
「Erikoは生命ではないからだ。 君が背を向ければ、古の神は彼女を輪廻の輪から外す。 メタバースも今は無い。 彼女は完全な無となる。 ――それでも、君は楽な道を選べる」
無機質な言葉が、心を締めつける。
鼓動が強く打つたび、白い空間に痛みが反響するようだった。
「普通の女性と結ばれ、穏やかな人生を謳歌する道もある。 過酷な運命に挑まず、楽に終えることもできる。 ……さあ、どちらを選ぶ?」
白一色の世界に、優斗の呼吸だけが孤独に響く。
果てしない沈黙の果て、震える拳がゆっくりと決意へと変わった。
「――いいや!」
その声は空間のすべてを震わせ、虚無に反響した。
瞳に宿った光は、揺らぎを許さない強さで燃えている。
「俺はErikoを諦めることなんてできない! 愛しているんだ! 少しでも呪いを解く可能性があるなら、それに賭けたい。 Erikoのためなら、どんな条件でも受け入れる!」
淡い光がかすかに揺れ、シルエットの輪郭が柔らかく歪む。
それは微笑みにも見えた。
「……君は強い」
声が低く、しかし確かな敬意を帯びて響く。
「わかった。助けよう。――方法は、ボクとの融合だ」
「融合……?」
「ボクと君が一つになり、残滓とはいえ、神の力を得ることができる。 そして、君は優斗であり、■■■でもある存在となる。 二つの人格はゆっくりと溶け合い、いずれ一つの新しい存在になるだろう。 うまくいけば君の心は残る。 だが、融合の過程でErikoへの想いが薄れる可能性もある」
優斗は即座に答えた。
「あなたの意思に負けるつもりはない。 Erikoへの想いは、誰にも消せない!」
その決意に、光のシルエットが確かに微笑んだ――優斗はそう感じた。
「……いくぞ」
白の世界が、一瞬にして眩い閃光へと変わった。
境界は音もなく溶け、身体の輪郭が淡く揺らぎながら光に溶けていく。
心と心が静かに、しかし確かに重なり、ひとつの新しい鼓動が生まれ始めた。
優斗は、ただ一つの名を胸に刻んだ。
――Eriko。必ず、君と共に。
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