第155話:白の空間で
――暗闇が、一瞬にして断ち切られた。
リクは、何もない真っ白な空間に立っていた。
上下の感覚は消え、足元には床の手応えすらない。
見渡す限り果てしなく、ただ白だけが永遠に広がっている。
光があるのに影はなく、温度も匂いも風もない。
耳を澄ませても音はなく、心臓の鼓動すら遠い。
ふと気づく。
体はどこにも痛みを覚えず、思いのままに動く。
血の匂いも、戦いで擦り切れた肉体の重さも、すべて失われていた。
「……ここは、どこだ? ……俺は死んだのか?」
口にした声は不思議なほど澄み渡り、ガラスの鈴が鳴るように澄み切り、すぐさま白に吸い込まれて消えた。
その余韻だけが、広漠とした世界にわずかな存在感を刻む。
そのとき――。
遠く、頭上から淡い響きが降りてきた。
「すべての人に、もう一人の自分ともう一つの居場所を――■■■■の創造主、■■■が、神の世界からお届けする。 メタバースチャンネルです」
まるで放送のオープニングのような、柔らかで不気味な声。
リクは息を呑み、無意識に振り仰いだ。
「えっ……?」
背後に気配――。
振り返った瞬間、白の霧を裂いてひとつの影が浮かび上がった。
人の形をしているが、人とは言い難い。
輪郭だけが淡く光を帯び、眼も口もないのに、確かにこちらを見つめている。
「ん? お客さんか?」
低く、しかし穏やかな声が空間に染み込む。
「日課のヴォイシィを録ろうとしていて……ああ、キミは優斗か。 いやぁ、この度は大変申し訳ない」
「……優斗? 俺は――リク、だけど……」
シルエットは静かに首をかしげ、光を柔らかく揺らした。
「自分の姿を、見てみろ」
促されるまま、リクは自分の両手を見下ろす。
そこにあったのは、見覚えのない青年の肉体。
淡い光沢を帯び、輪郭がかすかに滲んでいる。
――その瞬間、記憶が一気に押し寄せてきた。
「あ……思い出した。 俺は……優斗……」
唇が震え、名がこぼれ落ちる。
「XANAメタバースで……Erikoと一緒にいた時、突然……」
脳裏にはXANAメタバースの最後の光景。
データの奔流、崩れゆく都市、そして――。
「Eriko! Erikoはどこに――!」
「落ち着け」
シルエットが片手を上げ、音もなく空気を鎮めた。
その仕草だけで、世界がひと呼吸止まった気がした。
「残念ながら……古の神の攻撃を受け、XANAメタバースは崩壊した」
低い声は、冷たい真実を告げる鐘のように胸を打つ。
「崩壊に巻き込まれたキミは死んだ。 そして、XANAメタバースの崩壊は――Erikoという存在の死を意味する」
「……そんな……」
胸の奥がひりつき、息が詰まる。
白い世界が、遠い蜃気楼のように揺らいでかすんだ。
「キミとErikoは、お互い口にはしなかったが――想い、愛し合っていた」
「!? Erikoも……同じ気持ちだったのか!」
「そうだ。 だが、その愛こそが、古の神の逆鱗に触れた」
淡い光が一瞬だけ揺らめき、シルエットの輪郭が苦悶に歪む。
「人間とAIが恋愛関係になる。 生命の営みを冒とくすると、古の神は断じたのだ」
「そ……そんな……! じゃあ俺たちが原因で、XANAメタバースが……!」
「いいや、キミたちは争いに巻き込まれた犠牲者にすぎない」
シルエットは首を横に振り、光をゆらりと揺らした。
「古の神は、新しい世界を創ろうとしたボク――■■■と敵対した。 最終的にボクは敗れ、いま語っているこの声は、知識の残滓にすぎない」
淡い光が一層強くなり、声はさらに低く響く。
「古の神の怒りは、ボクを消滅させるだけでは飽き足らなかった。 原因と見なしたキミとErikoに、呪いを与えたのだ」
「呪い……?」
「――何度も生まれ変わり、必ず悲惨な最期を迎える。 成就せず、諦めるまで終わらない輪廻。 古の神は、キミたちが互いを諦めることを望んでいる」
優斗――いやリクは、拳を震わせた。
「そんな……!」
「今世でキミはリクとして生まれ変わった。 そして、不幸な結末を迎える――それは確定事項だ」
白い虚空がわずかに揺れ、波紋のような余韻が幾重にも広がった。
「……Erikoは……?」
「キミはすでに、Erikoに出会っているはずだ」
「なんだって!?」
「姿や名は変わろうとも、魂は惹かれ合う。 たとえ何度生まれ変わろうとも、キミたちは必ず再会する。 だが――決して結ばれぬまま、また悲劇を歩むだろう」
その言葉は、逃れようのない宣告として白い虚空を震わせた。
「読んでくださって本当にありがとうございます。
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