第144話:焼売拳 対 音速
「死に急ぎやがって!」
ライアンが血に濡れた歯を食いしばり、吠えた。
声は怒号というより咆哮。
胸の奥に渦巻く恐怖を打ち消すかのように。
「くっ……!」
リセルが奥歯を噛み、弓を握る指先に力を込める。
緊張が全身を締め付け、膝がわずかに震えた。
「むぅぅぅっ……!」
焼大人の低い唸りは、地鳴りのように廊下の石を震わせる。
空気そのものが圧し潰されるような重さを帯びていた。
* * *
頭上を揺るがす轟音。
上階で連鎖する爆発が、石造りの廊下を震わせるたび、天井から砂塵が細かい雨のように降り注ぐ。
「……そろそろ終わらせようか」
PIROが片口をわずかに吊り上げ、赤い瞳に冷笑を宿す。
その眼光は刃のように鋭く、まるで獲物を試す猛獣のそれだった。
「――ワシが前に出よう。援護を頼む」
焼大人の声は低く短く、研ぎ澄まされた刃そのもの。
その言葉にライアンとリセルは思わず背筋を正した。
焼大人はゆっくりと瞼を閉じ、深く息を吸う。
吐く。
また吸う。
腹の奥で、何かが膨れ上がり、鼓動に合わせて熱が波打つ。
――ぞわり。
不気味な熱気が廊下に広がり、空気が揺らめいた。
足元から吹き上がる気流が、舞い上がった砂を小さな竜巻に変えていく。
指先が震え、筋肉が波打つ。
額に珠のような汗が浮かび、肌は徐々に深紅を帯びていった。
血管が隆起し、脈動するたびに皮膚の下を稲妻が走る。
「はっ――!!」
気合一閃。
叫びと同時に、上半身の衣が内側から破裂する。
肉体は一瞬にして倍に膨れ上がったかのように筋肉が盛り上がり、熱気が湯気となって立ちのぼった。
まるで茹であがった蛸――否、煮えたぎる鉄塊。
「……ほぅ」
PIROの瞳が一瞬だけ細まり、驚きと興奮が混じった色を帯びる。
焼大人は一歩踏み込み、肘を鋭く突き上げた。
「蒸して!」――肘先から白い蒸気が爆ぜ、廊下全体に圧が走る。
さらに足を踏み換え、膝を天へ跳ね上げる。
「包んで!」――空気がきしみ、圧の帯が相手を締め上げた。
全身の力を前へと落とし込み、正拳を突き抜く。
「焼売拳!!」――津波のような押し波が廊下を薙ぎ払った。
「あまり侮るなよ……これぞ内功の極み。点心流――焼売拳の真髄、お見せしよう!」
低く呟いた声が、張り詰めた戦場を切り裂いた。
両拳を構えた巨体は、血の蒸気をまとう赤鬼さながらだった。
「フオオオオオ――ッ!」
奇声と共に、焼大人が踏み込む。
石床が砕け、亀裂が走る。
残像が二つ、三つと重なり、巨体とは思えぬ速度で拳が連打される。
「おっと!」
PIROが迎え撃つ。
腕が閃き、鋼のような蹴りが廊下の空気を裂いた。
拳と蹴りが交差するたび、衝撃波が火花を散らし壁を抉る。
「まだまだぁぁぁッ!」
焼大人は更に踏み込み、片膝を沈めながら掌底を突き上げる。
PIROは身をひねってかわし、踵を軸に旋回。
逆足が刃のように唸りを上げ、焼大人の顎を狙った。
ガキィン!
鍛え抜かれた前腕がそれを受け止め、同時に肘が閃光となって返る。
背後の柱が粉砕され、石片が雨のように降った。
「……面白ぇ!」
PIROの瞳が爛々と輝いた。
地を蹴った瞬間、その姿が掻き消える。
「――ソニックムーブ!」
稲妻の裂音が廊下を切り裂き、圧縮された空気が破裂する。
遅れて訪れる衝撃波が、壁をまとめて吹き飛ばした。
「フッ……受けて立とう!」
焼大人は目を閉じ、全身の呼吸を一点に集約。
気合が爆ぜ、赤い湯気がさらに濃く、視界を赤く染めていく。
「ふんすっ!」
――ずがああああんっ!!
世界そのものが裂けるかのような衝撃。
PIROの音速突進と、焼大人の全霊を賭した迎撃。
拳が交わった刹那、廊下の空気が悲鳴を上げ、石床に幾重もの亀裂が奔った。
光と衝撃が爆ぜ、一瞬、色彩さえ奪われる――。
「はぁぁぁっ!」
ソニックムーブで背後に回ったPIROへ、振り返りざまの裏拳。
空気が悲鳴を上げ、背後で再び柱が砕け散った。
すぐさまPIROが反撃。
低い姿勢からの膝蹴りが焼大人の腹を狙うが、両掌で受け止められ、爆ぜるような衝撃音が廊下を満たす。
余波だけで床石が蜘蛛の巣状にひび割れた。
リセルとライアンは思わず息を呑む。
援護の矢も剣も忘れ、ただ二人の激突を見守るしかない。
「……なんて……力だ……」
リセルがかすれ声で呟く。
ライアンも無言のまま、片膝をつき、瞳を見開いた。
焼大人の放つ熱気が血の霧となり、廊下を紅く染めた。
赤い残光が幾筋も残り、超人同士の応酬は時の流れさえ忘れさせる。
リセルとライアンは息をすることも忘れ、ただ瞳を見開いたまま立ち尽くしていた。
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