第143話:リリィとの決別
リリィの影が疾駆する。
地を這う獣のように低く、次の瞬間には空を裂く鳥のように高く舞う。
その常軌を逸した速度は目で追うことすら難しく、残像が尾を引くたびにクナイが閃光のごとく投げ放たれた。
キィンッ! ガキィィンッ!
金属同士の鋭い衝突音が玉座の間に木霊し、リクの剣が連撃を辛うじて受け止める。
火花が散るたびに腕が痺れ、骨の芯にまで震えが走った。
「やめろ! リリィ……やめてくれぇぇぇ!!!」
リクの叫びはもはや悲鳴。
だが返ってくるのは容赦なき殺意のみ。
狂気の刃が絶え間なく彼を襲う。
「すでに死んでいると言っただろう、ハハハハッ!」
魔王の嗤いが石壁を震わせ、戦場全体を圧する。
リリィはさらに両腕を振り抜いた。
その籠手から、鋭利な鋼糸がしゅるしゅると伸びる。
黒光りする糸は蛇のように蠢き、床を切り裂き、空気を鋭く裂きながらリクへ殺到した。
「なっ……!」
リクは反射的に剣を振り払い、糸を弾き飛ばす。
しかし、壁に突き刺さった糸が反動で弾力を利用し、鞭のようにしなり返って背後を狙う。
「くっ……!」
振り返りざまに二度、三度と剣を振り抜き、なんとか防ぐ。
だが、次々と繰り出される糸は四方八方から襲いかかり、まるで巨大な蜘蛛の巣のようにリクを絡め取ろうとしていた。
かわした背後では、石柱が無惨に切り裂かれ、瓦礫となって崩れ落ちる。
「ぐっ……速い……!」
リクは押し込まれる。
糸の軌跡は刃そのもので、空気を裂くたびに耳を劈く唸りを上げた。
一度でも絡まれば、四肢を切断される未来が脳裏をよぎる。
さらに追撃。
クナイと鋼糸を絡め合わせた一撃が、網のように迫る。
リクは身を翻して転がり、辛うじてかわしたが、肩口が裂け、鮮血が飛び散った。
「う……うわぁぁっ……!」
リクは心の奥底で理解していた。
すでにリリィは人として生きられる状態ではない。
膝は逆に折れ、肩はありえない角度に捻じ曲がり、皮膚の下で筋肉が異様に蠢いている。
口元には笑みが貼り付いているが、声は出ず、まるで糸に操られた人形のようにぎこちなく揺れていた。
それは仲間のリリィの姿をしていても、すでに“生命”とは呼べぬ異物だった。
――それでも。
「まだ助けられる……いや、助けたい!」
わずかな希望を捨てきれず、リクは叫ぶ。
「お願いだ……リリィ! 目を覚ましてくれぇぇぇっ!!!」
剣で必死にクナイを受け流し、鋼糸を断ち切りながら、涙で滲む視界のまま声を張り上げた。
――その瞬間。
バシュッ!
鋭い風切り音が空気を裂き、続けざまにびしゃりと生温い液体がリクの頬を濡らした。
鉄錆の匂い――血。
直後、ドスンと重い音。
恐る恐る目を開けると、そこには――首を失い、血を噴き出しながら崩れ落ちるリリィの体。
床には転がる頭部。
長い髪が血溜まりに広がり、瞳は虚ろに天井を見つめていた。
その背後に立っていたのは――サクラ。
兜で覆われた顔は無表情に見える。
だが、その剣には滴る鮮血が残り、今しがた横一文字に振り切られたばかりであることを物語っていた。
「……サクラ団長……な、なんてことを……」
リクは膝を震わせ、非難とも絶望ともつかぬ声を絞り出す。
サクラの声は鋼の如く響き渡った。
「おまえには無理だった。だから私がやった! 言ったはずだろう――世界の命運は、今や我ら二人に託されたのだと!」
サクラは歩を進め、血に濡れた剣を掲げる。
その眼光は仲間を失った悲しみを抱えつつも、鋭くリクを叱咤するものだった。
「おまえは……死んでいった者たちに、なんと答えるつもりだッ!」
その一喝に、リクは拳を強く握りしめ、息を呑んだ。
頭では理解している。
だが、心は追いつかない。
仲間を失った痛みが刃のように胸を突き刺す。
「……すみませんでした……」
うなだれるリクに、サクラはさらに声を重ねた。
「怒りを向ける先は私ではない! 魔王だ! リリィのために、すべての仲間のために……必ず勝利を掴むのだ!」
「……はいっ!」
リクは顔を上げた。
涙で濡れた瞳に、再び炎が宿る。
剣を握る手に力を込め、サクラと一瞬視線を交わす。
互いの瞳に宿ったのは、失った仲間への悔恨と、必ず魔王を討つという揺るぎなき決意。
魔王はその様子を愉快そうに眺め、口角を吊り上げる。
「ハハハハ……! いい、いいぞォ! もっとだ……もっと見せろォ! おまえらの絶望をなァ!」
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