第141話:沈黙を破る科学の声
重苦しい空気を切り裂くように、リクが駆け戻ってきた。
荒く上下する肩、喉奥から絞り出すような息遣い。
必死に視線を巡らせたその瞳が捉えたのは――床に崩れ伏したまま動かぬうさぎの身体と、その傍らで膝をつき、肩を震わせるねこの姿だった。
彼女の両手は血に濡れ、目は涙で曇り、現実を受け止めきれないまま硬直している。
「……これは、どういうことだ」
震え混じりの声は怒りと困惑、そして恐怖に揺れていた。
「ふっ、こいつらには同士討ちをさせ、貴様等に止めを刺しに行こうかと思ったが、戻ってきたか」
先に答えたのは魔王だった。
高みから見下ろすような声は嘲笑に満ちている。
「戻ってくるまでの余興としては楽しめたぞ。我の邪魔をし、貴様等を殺し損ねたからな。どうせ籠の鳥だというのに。……そいつに状況を聞くがいい」
魔王は冷たく笑みを浮かべながらサクラを指差した。
サクラはしばし目を閉じ、深い沈黙を保った。
やがて低い声で、重く事実を告げる。
「魔王の……何らかの力だ。幻覚に囚われ、同士討ちを誘発された……」
その言葉にリリィ――ねこは震える指先で顔を覆い、唇を強く噛み締める。
嗚咽が込み上げ、肩の震えが止まらない。
リクは息を呑み、言葉を失った。
サクラもまた魔王を睨みながら、悔恨を押し殺すように唇を固く結ぶ。
胸を焼くのは怒りか、それとも悔しさか。
いや、両方だ。
だが誰一人として、すぐには声を発することができなかった。
「そもそも――我には貴様とあの女以外に興味はない」
魔王はゆったりとした動きでリクを指さす。
まるで獲物が逃げられぬ籠の中にいることを確信した捕食者の眼だった。
「あの方の命令は絶対……だが、貴様らに逃げ場も未来もない以上、焦る必要はない。久方ぶりの娯楽、そう易々と終わらせてはつまらぬからな」
* * *
張り詰めた沈黙を破ったのは、場違いなほど明るい声だった。
「――やれやれ、やっぱりそうか!」
玉座の間に朗々と響いたのは、Fum技長の声だった。
両手を大きく広げ、目を爛々と輝かせ、まるで舞台に立つ演者のように身を乗り出している。
「魔王の攻撃はな、聴覚から侵入してるんだ! 耳に響く音を足掛かりに、そこから五感すべてを狂わせる――うーん、なかなかの手口だ! だが天才の俺にはお見通しだ!」
彼は肩に下げた工具袋を荒々しく漁り、あり合わせの金属片や布切れ、薬草の茎までも引っ張り出す。
カチャカチャと金属が鳴り、彼の指先で即席の装置が形を取っていく。
「即席耳栓! これで耳を塞ぎ、侵入経路を遮断すれば、魔王の干渉は大幅に防げる!」
作り出した装置を、リク、サクラ、ねこへと次々に投げ渡す。
リクとサクラは迷いなくそれを装着し、短く頷き合った。だが――ねこは動かない。
「リリィ……!」
リクが必死に声をかける。
しかし彼女は顔を伏せ、かすかに首を横に振るだけだった。
目から溢れる涙は止まらず、罪悪感が全身を縛り付けていた。
「……わかったところで、結果は変わらぬ。せいぜい頭を使い、少しでも長く足掻くがいい」
魔王の冷笑が響く。
* * *
「ところで――いい加減に働け! 怠惰の魔人よ!」
魔王の咆哮と同時に、床に黒い魔法陣が展開された。
「「!!!」」
リクとサクラは反射的に身構える。
(ま、まさか……ここにきて魔人まで戦いに加わるのか!?)
胸の奥でざわめく焦りを必死に押し殺した。
シルエットが浮かび上がり何者かが転送してくる。
「やっと応じたか」
魔王は満足げに呟く。
しかし、そこから現れたのは戦士ではなかった。
四角い石に張り付いたまま、冷たく硬直したこった姫の骸だった。
既に命はなく、鬼の形相のまま恨みを宿した瞳だけが虚ろに宙を睨んでいる。
「「「「…………」」」」
誰もが言葉を失った。
あまりに予想外の光景に、サクラもリクも、そして技長すら息を呑み、声を失う。
その硬直を破ったのは、魔王の怒声だった。
「……何というざまだ! この役立たずがぁぁぁっ!!!」
魔王はその骸を石ごと掴み取り、力任せに投げつける。
石の塊と化したこった姫の身体は凄まじい勢いで宙を舞い、空気を裂きながら飛んでいった。
――どかーん。
轟音と共に床に叩きつけられ、粉塵が舞う。
砕けた石片と共に、骸はエリナの眠る場所のすぐそばへ転がっていった。
「……っ」
その時、かすかな動きがあった。
長い睫毛がぴくりと震え、閉じられていた瞼がゆっくりと持ち上がる。
――エリナが、静かに目を覚ました。
「読んでくださって本当にありがとうございます。
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