第135話:忠犬の咆哮
ライアンの左腕が床に落ちた瞬間、空気が張り詰めた。
その隙を逃さぬよう、PIROの影がすぐさま迫る。拳がうなりを上げ、無防備なライアンへ突き刺さらんとした。
「させませんッ!」
「ガァルルッ」
Daiとコルクが飛び込む。
剣先が閃き、PIROとライアンの間に割って入る。
コルクがPIROの太ももにかみつく。
火花が散り、PIROはわずかに体を捻って攻撃をいなした。
「下がってください、ライアン!」
Daiが叫ぶが、返事をする余裕はない。
「ふんっ!」
PIROが足を振ってコルクを引き離す。
その背後から焼大人が踏み込み、掌底から衝撃波を叩きつける。
「どっせぇぇいッ!」
PIROはそれを真っ向から受け止めはせず、ひらりと後退する。
だが焼大人の狙いは正面突破ではなかった。
ライアンから敵を引き離す――その意図通り、距離が開いた。
「……今のうちに!」
リセルが駆け寄り、ライアンの肩に手をかける。切断面を素早く布で縛り上げ、血を止めようと必死だった。
「まだだ……俺はまだ戦える!」
ライアンが荒い息で抗う。
だがその時。
「……!」
誰も気づかぬうちに、PIROの手にはライアンの切り落とされた左腕が握られていた。
しかし次の瞬間、骨が軋み、肉を裂く咀嚼音が廊下に響いた。
「……犬の骨よりも硬いな。だが悪くはない」
血に濡れた断面を無造作に口へ突っ込み、骨を噛み砕く鈍い音が響く。
肉片を飲み下しながら、PIROは赤黒い唇を吊り上げ、愉悦に満ちた目で彼らを見下ろした。
「う、腕を……」
リセルの声が震える。
ライアン、焼大人、Dai――誰も言葉を返せない。
目の前にいるのは自分たちを捕食するものだと。
ただ、理解を拒絶するように目を見開くしかなかった。
* * *
そこからの戦況は、地獄そのものだった。
剣が折れそうな衝撃、掌が裂けるほどの衝撃波、矢羽が砕けて散る音。
必死に防いでも、次の瞬間には別の拳が迫り、足場は砕け、呼吸さえ奪われていく。
PIROの一撃一撃は重すぎる。
防いでも、逸らしても、衝撃だけで全身が削られる。
ライアンは片腕で必死に剣を振るい、焼大人は血を吐きながら掌を撃ち続け、Daiは無数のナイフを投げ、リセルは矢を雨のように射かけた。
しかしすべてが「時間稼ぎ」にしかならない。
押し返せず、ただ押し込まれる。
足場が砕け、瓦礫が散り、体力と気力が蝕まれていく。
「ハッ!」
リセルが矢を放った刹那、その矢をかき消すように、PIROの拳が弾丸のごとく突き出された。
「――っ!」
迫る拳が視界を覆い、時間がスローになる。
(あ……ダメだ。頭が吹き飛ぶ)
リセルは直感で悟った。
視界が赤く塗りつぶされ、世界が閉ざされる。
死が、すぐそこにある。
その刹那。
「ガウゥゥッ!」
横合いからコルクが飛び出し、体当たりで拳の軌道を逸らした。
轟音。
風圧。拳はリセルを掠めただけで壁を粉砕した。
「コルク!」
だが――終わりではなかった。
PIROの腕は止まらない。
二撃目が唸りを上げ、今度はコルクの脇腹を直撃した。
「きゃいんっ……!!」
小さな悲鳴と共に、コルクの体は無残にも宙を描き、床を何度も弾んでDaiの足元へ転がり込んだ。
瓦礫の上で痙攣しながら、なお主人を探すように首を動かす。
「コルク!」
Daiが駆け寄り、抱き上げる。
焦点の定まらない瞳が、主人を見つめる。
「まだ一緒にいたい」と訴えていた。
「……わふん……」
弱々しい声。
「……よくやってくれました。立派でしたよ。さすが私の相棒です……」
Daiの手が震えながらも、コルクの傷を確かめる。
だが――もう手の施しようはなかった。
「今は……ゆっくり休んでください。落ち着いたら……また一緒に店をやりましょう」
コルクの瞳が細まり、かすかな安堵を宿した。
小さな尻尾が、主人に応えるように最後の力で一度だけ揺れた。
「……くぅん……」
瞼が閉じられ、体から力が抜け落ちた。
「……っ!」
ライアンは奥歯を噛み砕き、リセルは矢を放てぬまま弦を握りしめて震えていた。
焼大人の拳は宙で止まり、誰一人として次の一歩を踏み出せない。
コルクの死を受け入れたくなくて、それでも視線を逸らせなかった。
重苦しい沈黙を切り裂いたのは、PIROの低い笑い声だった。
「犬ごときに、私の攻撃を逸らされるとはな……」
口角をわずかに吊り上げ、愉悦と侮蔑を混ぜた笑みを浮かべた。
「読んでくださって本当にありがとうございます。
ブックマークや評価、感想をいただけたら、今後の創作の励みになります。」