第134話:命の灯火を繋ぐ
サクラ元団長たちが魔王に立ち向かうのを背に、リクはエリナをそっと抱きかかえ、砕け散った石柱の影へと身を滑り込ませた。
そこは戦場の只中にありながら、わずかに死線から外れた場所。
魔王と団長たちのぶつかり合いが生み出す衝撃波や飛び散る火花も、ここまではかすめる程度にしか届かない。
ほんのわずかな隙間――だが今の彼にとって、それは命を繋ぐための唯一の避難所だった。
リクは荒く息を吐き、慎重にエリナを横たえる。
彼女の容態を確かめると、胸はかろうじて上下を繰り返し、顔は血の気を失って雪のように白い。
指先は力なく垂れ、呼吸は途切れ途切れだった。
あの強さと優しさを支えてきた心臓の鼓動も、今は頼りなく掠れるように脈打っている。
「エリナ……! しっかりしてくれ!」
声は焦燥で震え、喉の奥から絞り出すようだった。
返答の代わりに、彼女のまぶたがかすかに揺れた。
確かにまだ意識は残っていた。
しかし――その命は、今にも絶え入りそうなか細い息のようだった。
リクの胸は締めつけられ、背筋を凍らせる恐怖が押し寄せた。
(……ポーション……!)
慌てて腰の袋から瓶を取り出す。
瓶の中で液体が淡く光り、かすかな希望のように揺れていた。
だが、リクは知っていた。
普通の傷なら癒せる。
しかし――エリナの深手は常軌を逸している。
この一瓶で救える保証はどこにもない。
「……くそっ!」
奥歯を噛みしめたとき、リクの脳裏にひとつの記憶が蘇った。
布越しに胸元を探ると、小さな革袋が指先に触れる。
そこには、ルルから託された妖精の鱗粉で作られた丸薬が三錠だけ収められていた。
わずか三錠――つまり一度きりしか使えない。
これまで温存してきた最後の切り札だった。
「これを……これを飲めば、きっと……!」
リクは震える指で薬を取り出し、エリナの唇にそっと当てた。
しかし――かすかに開いた口から、丸薬は滑り落ちてしまう。
飲み込む力すら残されていなかったのだ。
「嘘だろ……エリナ……!」
視界がにじみ、暗い奈落が足元から広がり、彼を引きずり込もうとしていた。
だが次の瞬間、リクの瞳が強く光る。
(……なら、俺が……!)
迷いは一瞬で吹き飛んだ。
リクは丸薬を自分の口に放り込み、噛み砕いた。
ほろ苦さが舌に広がる。
そしてそのまま――彼はエリナの唇に自らの唇を重ね、口移しで薬を送り込んだ。
(生きてくれ……! 頼む……!)
温もりと共に、砕かれた薬は彼女の喉へと流れ込んでいく。
リクは必死に瞳を閉じ、祈るように彼女の命へすべてを託した。
* * *
魔王と団長たちの剣戟が遠くで鳴り響く。
その轟音すら遠のいていくかのように、リクにはただエリナの鼓動だけが世界だった。
どれほどの時間が経ったのか――。
やがて、彼の腕の中でエリナの呼吸がゆっくりと落ち着き始めた。
胸が規則正しく上下し、頬にはうっすらと紅が差す。
白く乾いていた唇にも血色が戻り、安らかな寝息が漏れた。
「……よかった……」
リクの目から、知らず涙が零れた。
胸の奥を押し潰していた重石が解け、静かに溶け落ちていく。
彼は彼女の髪を撫で、額に軽く手を置き、そっと地面に横たえた。
「少しの間でいい……ここで安心して眠っててくれ。俺は団長たちと一緒に戦ってくる」
最後にその頬へそっと触れ、彼は立ち上がった。
血に染まった剣を握り直し、深く息を吐く。
前方ではサクラ団長たちが魔王とぶつかり合い、閃光と轟音が夜を切り裂いている。
リクは振り返らず走り出した。仲間たちと共に、そして彼女の命を守るために――。
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