第132話:最弱にして絶望
魔王ルシファーの掌がわずかに動いた。
瞬間、漆黒の闇が圧縮されて凝縮し、重苦しい空気を纏った巨大な闇の球体となる。
それは音を置き去りにしながらリクへと放たれた。
圧倒的な威圧感――ただ迫ってくるだけで全身の血が凍りつくような圧力だった。
「くっ……!」
リクは本能で剣を振り上げた。
刃と闇の玉がぶつかり合う。
ガァァァンッ!という耳をつんざく音と共に、衝撃が剣を通じて骨に響いた。
押される。
少しずつ、確実に――闇の質量がリクを呑み込もうとしていた。
石床がきしみ、靴底が滑る。
足裏に伝わる反力が悲鳴を上げ、膝が砕けそうになる。
それでも、リクは必死に踏ん張った。
「うおおおおおおッ!」
全身の筋肉を総動員し、刃を押し上げる。
その瞬間、剣先がわずかに闇を弾き、球体の軌道が逸れた。
グォォンッ!と鈍い音を響かせながら、闇の塊は天井へ飛んでいく。
一瞬、玉座の間が水を打ったように静まり返った。
その沈黙すら砕くように、数呼吸遅れて天井の高みに轟音が炸裂する。
ゴォォォォォォンッ!!
天井が砕け散り、漆喰の破片が雨のように降り注ぐ。
リクとエリナは反射的に顔を上げた。
崩壊した天井の隙間からのぞいたのは、血に染まったような赤い空だった。
「……これが、天井を……」
リクの声は驚愕で震えていた。
エリナも息を呑み、その威力を察した。
「今のだけで……この規模……。とんでもない……」
だが、玉座の前に立つ魔王は冷ややかに口を開く。
「勘違いするな。今のは……我が術の中で最も弱きものにすぎん」
「なっ……!」
二人の瞳に、さらなる絶望が宿る。
「さあ、休んでいる暇はないぞ」
魔王の周囲に、闇の玉がいくつも浮かび上がった。
大小さまざまな黒球が、不気味に脈動しながら宙を漂う。
そしてその手がリクたちへと向けられた瞬間――闇の群れが一斉に襲い掛かった。
「くっ……リク、下がって!」
エリナが叫び、両手を前に突き出す。
「《絶鎖障壁》――!」
無数の光鎖が咆哮するように奔り、幾重にも編まれて巨大な壁を築き上げた。
闇の玉が次々と叩きつけられた。
バゴォォン! バゴォォン!
爆音と衝撃波で広間が震え、光鎖は波打ち、光の亀裂が走る。
エリナは目を固く閉じ、歯を食いしばり、声にならない叫びを胸に耐え続けた。
破られれば即死。
彼女はそれを知っている。
「エリナぁっ!」
リクは剣を構えたまま、何もできない自分に歯を食いしばる。
ただ守られるだけの自分への悔しさと、エリナの身を案じる不安が胸を掻き乱した。
「よくがんばったな……褒美をくれてやろう」
魔王が片手をゆるやかに掲げる。
次の瞬間、空間そのものから闇が絞り出されるように凝縮されていった。
重圧が広間を押し潰し、肌に冷たい汗が滲む。
「……なっ」
リクは息を詰め、喉が鳴るのを止められなかった。
生まれ出たそれは、先ほどの比ではない。
黒く脈打つ球体――先の一撃の数倍はあろうかという巨大な塊が、今まさに完成しつつあった。
「……来る!」
エリナは鎖の結界を編み直しながら声を震わせる。
光の鎖が必死に鳴動し、全身の魔力を注ぎ込んで防御を固める。
彼女自身も理解していた。これを受けきれなければ、二人とも即座に終わる。
やがて――。
さきほどまでの球体の10倍ほどの闇の玉が完成する。
その質量はただ存在するだけで空気を震わせ、壁を軋ませていた。
「ば、化け物かよ……!」
リクは剣を握り直し、血が滲むほどに手のひらに力を込めた。
「耐えて見せろ!」
魔王は楽しげに片手を振り下ろす。
それだけで、漆黒の巨塊は大地を揺るがす咆哮を上げながら落下し――
結界へと叩きつけられた。
ゴオォォォォォンッ!!
結界は一瞬でひび割れ、粉々に砕け散った。
リクとエリナは同時に叫び声を上げ、爆発の衝撃に呑まれた。
リクは衝撃で吹き飛ばされ、床を転がった。
だが――エリナは立っていた位置からほとんど吹き飛ばず、倒れ込んでいた。
リクは無傷に近かった。
エリナが最後まで守ってくれたおかげだ。
だが、彼女の身体はボロボロに裂け、気絶して動かない。
コツン……コツン……コツン……。
魔王の靴音が玉座の間に響く。
「まずは……一人目だ」
「エリナ! 起きろ! 逃げろぉぉぉ!」
リクは立ち上がり、叫びながらエリナのもとへ駆け出す。だが距離は遠く、間に合わない――。
そのとき。
「ほう……これは実に興味深い! 未知の空間、未知の物質……!研究し甲斐があるではないか!」
場違いな声が広間に響いた。
魔王の瞳が鋭く声の方向を向く。
床に空いた穴から、ひょっこりと人影が現れた。
「……Fum技長?」
リクが驚愕の声を上げる。
現れたのは、奇妙な装置を背負った研究者風の男――Fum技長。
彼は周囲をぐるりと眺め、興味津々に笑みを浮かべた。
「ん? 君たちか。……まあよい。ここは貴重な研究材料だ。壊さないように、よそでやってくれたまえ」
「読んでくださって本当にありがとうございます。
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