第131話:人の身で挑む魔王
エリナが一歩、前へ進み出た。
指先から伸びた鎖の光が細やかに編まれ、リクの全身へと絡みつき、やがて透明な薄膜のように体内へと溶け込んでいく。
「《鎖縛強靭》――!」
瞬間、リクの筋肉が弾けるように熱を帯び、血流が一気に加速する。
視界は冴え渡り、世界の輪郭がひとつひとつ細かく解像されていく。
足裏に伝わる石床の反力さえも推進力へと変換され、全身の動きが淀みなく循環していった。
「もう一枚、張る――《環鎖障陣》!」
エリナの足元から光の鎖が円を描いて立ち上がる。
細やかな環が幾重にも重なり合い、やがて半透明の結界となって二人を包み込んだ。
迫る攻撃を弾き、飛来物を逸らすその護りは、ただの防御ではなく牽制の意味も帯びていた。
「仕上げ――《樹鎖の息吹》!」
エリナの詠唱に応じて、緑の光鎖が地から芽吹く根のように伸び、リクと彼女自身の身体を優しく絡め取った。
細やかな環は樹木の根のように皮膚の下へ溶け込み、年輪を思わせる紋様を刻んでいく。
呼吸に合わせて鎖が脈動し、淡い温もりが全身を巡った。
鎖の光は疲労を一つずつ溶かし、裂傷を淡く縫い合わせていく。
まるで体の奥底に“鎖の根”が張り巡らされるように、筋肉は弾力を増し、神経は研ぎ澄まされていった。
攻防のリズムが整えられ、手数は増幅、そして微細な治癒が常に脈打ち続けていた。
「行く!」
リクは低く叫び、地を蹴った。
赤い絨毯を裂くように幾筋もの影が走り抜け、空気が振動する。
玉座の前に悠然と立つ魔王ルシファーは、僅かに瞼を持ち上げただけで、その黒曜の瞳で迫る刃先を冷ややかに追った。
「まずは視界を奪う。《爆鎖連撃》!」
エリナの詠唱と同時に、床から紅の鎖が次々と噴き上がる。
先端が咲くように膨張し、次の瞬間――轟音と共に爆ぜた。
ドンッ、ドンッ、ドンッ! 爆風が連鎖し、紅蓮の炎が鎖を伝って走る。
黒煙が立ち昇り、視界を白と黒に塗り替えていく。圧が空間を軋ませ、広間そのものが歪んだように見えた。
(今だ!)
「はっ!」
リクが斜め上段に振り下ろし、即座に逆袈裟へと転じる。
踏み込みから二連、さらに体重を乗せた三連。
強化された脚が床を叩くたび、轟音と共に銀閃が弾ける。
火花の雨が視界を覆い、ルシファーの目前で空間そのものが裂けるかのようだった。
煙柱の縁を掻き分け、リクの影が滑り込む。
初太刀は低い――足首を狙う。
読まれても構わない、足を止めさせることが狙いだ。
ルシファーは漆黒の外套を翻し、黒鋼の指先で不可視の障壁を描くように動かし、容易く刃を受け流した。
「くっ――なら!」
次は心臓線、続けざまに喉元へ。
さらに回転して脇腹を裂かんと振り抜く。
動きは淀みなく、強化された反復が「隙」という概念そのものを掻き消していた。
だがルシファーは、煙の奥で一歩も動かぬまま――ただ黒曜の瞳でその全てを受け止めていた。
火の粉と煙を背に、リクの剣閃は雨のごとく降り注いだ。
「……」
ルシファーはわずかに体を傾けただけで、空気を撫でるように受け、払い、逸らす。
黒曜石に波紋が広がるように、目に見えぬ防壁が刃圧を散らしていく。
時に指先から黒い糸のような魔力が伸び、リクの剣筋を絡め取っては角度を奪った。
「ふむ……人間にしては、あまりに規格外だ。そうでなければ、この力は説明がつかぬ」
低く冷たい声が、煙の奥から響く。
(やはり……背後に■の支援がある)
ルシファーの言葉は、確信というより結論を置くような響きだった。
「なら――もっと速く!」
踏み込みからの突き、即座に半歩退いての引き斬り。
足裏を軸に回転し、背後へ回り込み肩口へ斜めの斬糸。
エリナの《樹鎖の息吹》が呼吸に合わせて鼓動を押し上げ、疲労を打ち消す。
腕の張りは消え、指先の震えさえも緑の光に吸い込まれていった。
しかし次の瞬間――漆黒の外套が翻り、ルシファーの掌が振り上げられる。
見えない衝撃波が奔流のごとく広がり、空気を押し潰してリクを叩き飛ばそうと迫った。
「くっ……!」
リクは咄嗟に剣を盾に構え、辛うじて直撃を避ける。
だが圧は凄まじく、全身を石床に叩きつける寸前で踏ん張るのが精一杯だった。
「人間の身で……ここまで持ちこたえるか」
低く押し殺した声に、薄い愉悦と同時に、わずかな興味が滲んでいた。
「読んでくださって本当にありがとうございます。
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