幕間?【PENPENZ】20:ヒーローは眠らない
轟くような咆哮が、唐突に途切れた。
次の瞬間、戦場に奇妙な静寂が訪れる。耳の奥ではまだ残響が震えているのに、周囲の音はすべて消え去り、時間そのものが凍りついたかのようだった。
「……止まった?」
太郎がかすれた声で呟く。
その視線の先で、バタケは微動だにせず立ち尽くしていた。全身を黒く染める妖刀の靄が、ゆらゆらと揺れながらも、不自然なほど動きを止めている。
「……嘘……でしょ……?」
良子の声は震え、瞳には大粒の涙が浮かんでいた。花子は尻尾をだらりと垂らし、口を開きかけては閉じる。三郎は膝をつき、両手で顔を覆った。
PENPENZにとって、バタケは仲間でも友でもない。
むしろ長い間、「いつか倒すべき相手」として心に刻んできた存在だった。
動物界で最強と名高く、誰も逆らえない圧倒的な力を持つ虎。人間も恐れ、動物たちでさえ遠巻きにしか語らない。弱く、嘲られ続けてきたPENPENZにとって、彼は遠く手の届かない山の頂だった。
倒すことは、自分たちが弱者でなくなる証であり、存在を示す唯一の道だと信じてきた。
だからこそ――。
何が起きているのか、誰も理解できない。ただ、胸の奥にじわじわと広がる冷たい絶望だけが確かだった。先ほどまで猛り狂っていたその虎が、魂ごと静まり返ってしまったように見える。
「……バタケが……死んだ……?」
花子の口から漏れたその言葉が、鋭い刃のように全員の心を突き刺す。
あまりにも静かすぎる光景が、その恐ろしい推測を肯定していた。
「そんな……嫌だ……」
良子が嗚咽を漏らし、太郎の肩に顔を押し付ける。太郎は震える手でその背を支えた。次郎も唇を噛み、涙をこらえる。
これはただの強者ではない。
――忍者になると決めて、いつか越えると信じてきた目標であり、今は命を救ってくれたヒーロー。
その存在を失う恐怖は、冷たい刃のように心を切り裂いていく。
その時、五忍衆が同時に動いた。
妖刀を握ったまま、互いに短く視線を交わすと、無言のまま刃を引き抜こうと力を込める。
――しかし、抜けない。
刃が肉や骨に引っかかっている感触ではない。まるで刀そのものが何かに深く噛みつかれ、離すことを拒んでいるかのような、ぬるりと粘りつく抵抗があった。
五忍衆は柄を引き、捻り、体重をかけ、何度も抜こうとする。
しかしびくともしない。引けば引くほど、逆に刃が根を下ろすように食い込み、刀身にまとわりつく黒い靄が濃さを増していく。
それはまるで、バタケの体そのものが妖刀を呑み込み、離すまいとしているようだった。
異変を察したのはPENPENZの方が早かった。
太郎が息を呑み、じりじりと後ずさる。
「……おい、見ろ……!」
全員の視線が、バタケの顔に集まる。
次の瞬間――黄金の瞳が、ギラリと光を放った。
空気が一変する。冷えきっていた夜気が、一瞬で肌を焼くような熱を帯びた。
低く、地を這うような虎の唸り声が喉奥から漏れ出す。筋肉が膨れ、骨がきしみ、皮膚の下で何かが蠢く音が耳の奥に響く。毛並みがぶわりと逆立ち、その一本一本が刃のように鋭さを増していく。
バタケの体に刺さっていた妖刀は、変化する筋肉の圧力によって押し出され、鋼の塊のような衝撃と共に五忍衆を吹き飛ばした。黒い軌跡を描きながら、彼らの体は地面に叩きつけられる。
「や……やばい……!」
花子が尻尾を立て、三郎と良子が反射的に一歩退く。
太郎の心臓は早鐘のように打ち、背筋を氷柱でなぞられたかのような寒気が走る。
次の瞬間――バタケの体が爆ぜるように膨れ上がった。
骨格が軋む音が響き、背が伸び、四肢が太く逞しく変わっていく。筋肉の束が盛り上がり、衣服が裂け、皮膚の下から黄金と漆黒の毛が吹き出すように生える。
牙が長く鋭く伸び、口からは白い息と共に熱を帯びた唸りが漏れる。
黄金の瞳は夜の獣そのものであり、その光は周囲の闇を切り裂く刃のようだった。
「ガァァァァァァッ!!!」
耳を裂く咆哮が大地を揺らし、吹き荒れる風が砂塵と血の匂いを巻き上げる。
そこに立っていたのは、もはや先ほどまでのバタケではなかった。
全身を漆黒と黄金の毛並みで覆い尽くした、巨大な虎。
その巨体は五忍衆はもちろん、PENPENZでさえも見上げるほどの威圧感を放っていた。
誰もが息を呑み、言葉を失ったまま、次に訪れる一瞬を固唾を飲んで見つめていた。
「読んでくださって本当にありがとうございます。
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