第8話:逃避と決意
エリナはリクの家で暮らし続けていた。
しかし、村人たちの視線は日に日に冷たさを増していった。
彼らの中に根づいた偏見と恐怖は、どれほど時間が経とうとも消え去ることはなかった。
表面上は平穏に見えても、エリナは毎日その視線に晒されながら生活していた。
井戸に水を汲みに行けば、子どもが泣き出し、母親が慌ててその手を引いて逃げていく。
道ですれ違うたびに、さりげなく距離を取られ、耳打ちされる言葉の端々には、あからさまな敵意と不安がにじんでいた。
そしてある晩。
夕食の席にて、温かい食卓を囲みながら、エリナはふと箸を止めた。
リクとガイル、リナが談笑する穏やかな空気の中で、彼女の表情だけがどこか沈んでいた。
「……あの、話があるの」
静かに、けれども覚悟を持った声音で、エリナが口を開いた。
リクが箸を止め、両親も自然と彼女に視線を向ける。
「この村を……出ていこうと思ってる」
その言葉に、一瞬、空気が止まった。
「村の人たちは、私を恐れてる。どんなに気をつけても、どんなに心を開こうとしても……彼らは私を受け入れてはくれない。むしろ、日を追うごとに拒絶と敵意は強まってる」
エリナは手を膝の上で握りしめ、俯いた。
目を伏せたその瞳には、耐えきれない孤独と不安が浮かんでいた。
「このままここにいたら……リクたちまで、村から孤立させてしまう。私のせいで、大切な人たちまで傷つけてしまうのが怖いの」
彼女の声は震えていた。
けれども、その言葉の端々には、逃げではなく「守ろう」とする意思が滲んでいた。
しばらくの沈黙のあと、リクはゆっくりと口を開いた。
「……じゃあ、一緒に村を出よう」
「え……?」
エリナは顔を上げ、目を見開いた。
まるで、自分の耳を疑うかのような表情だった。
「この村にいても、エリナは幸せになれない。村の人たちは……残念だけど、お前のことを理解するつもりすらない。だったら、ここを出よう。差別も偏見もない、自由に生きられる場所を一緒に探そう」
「でも……私と一緒に来たら、リクまで居場所を失うことになる。今までの生活を、全部捨ててしまうのに……」
「そんなの関係ない」
リクはきっぱりと答えた。
その目には、一切の迷いがなかった。
「俺はもう決めてるんだ。お前と一緒に生きるって。どこにいようと、何があろうと、お前のそばにいる。それだけは絶対に変わらない」
「……本当に? 本当に、後悔しない?」
「何度でも言うけど、当たり前だろ?」
その言葉に、エリナの目に涙が浮かんだ。
抑えていた感情が、胸の奥から溢れ出してくる。
「ありがとう、リク……。私……あなたと一緒に行く……!」
彼女は小さく、でも確かに頷いた。
二人はそっと手を取り合い、未来への一歩を踏み出す決意を交わした。
だが、食卓のもう一方に座るガイルとリナは、しばし沈黙を保っていた。
長い沈黙の末、父・ガイルがゆっくりと口を開いた。
「リク……それ、本気で言ってるのか?」
「……ああ、本気だ。俺はエリナを守りたい。だから、一緒に行く」
ガイルは重々しい表情で息をつき、言葉を続けた。
「お前も分かっているだろうが、村の外の世界は甘くはない。
人の争いもあるし、魔物の脅威はここよりずっと厳しい。信じていたものに裏切られることもある。……それでも行くか?」
「行くよ。それでも俺は、エリナと一緒にいたい。
だから、もっと強くなる。誰にも、何にも、負けないように」
その決意を込めた言葉に、父は黙って頷いた。
今度は母・リナが、少し目を潤ませながら口を開く。
「リク、エリナ……二人とも、もう子どもじゃないのね」
「こんなに早く巣立っていくなんて思ってなかったわ。寂しいけど……あなたたちが決めたことなら、私たちは信じて見送るわ」
リナは柔らかく微笑みながら、手を差し出した。
エリナはその手を両手で包み込み、涙を流しながら頭を下げた。
「……本当に、ありがとうございます。私……お二人のもとで過ごせて、幸せでした」
「大げさね。これからも“家族”よ。……定期的に手紙くらいは送りなさいよ?」
「うん、約束する!」
リクも拳を軽く握りしめながら、しっかりと両親を見据えた。
「父さん、母さん……本当にありがとう。俺たち、必ず無事に戻ってくるから」
こうして――
夜の静けさの中、ひとつの家族の別れと、二人の新しい旅立ちが静かに始まった。
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