第117話:野心の炎は静かに燃える
玉座に腰を沈めた魔王ルシファーは、退屈を隠そうともしないまま、重く顔を支えていた。
肘をついた手の甲に、顎をのせるような形で。その瞳は虚空を見据えているようであり、どこか遠いものを見下ろすようでもあった。
宙に浮かぶ歪んだ空間──そこに映し出されているのは、リクとエリナの姿。
我が城の中、異形の魔物たちが唸りを上げて襲いかかる中、二人は果敢に戦っていた。剣が閃き、鎖が唸りを上げ、息を合わせて魔物を斃してゆく。
だが──。
その姿を前にしても、ルシファーの表情に感情の揺らぎはなかった。
ルシファーの瞳が、ゆっくりと細められる。
「……あの者たちが、“■■■■■■”か……」
呟いた唇はわずかに動いたが、その言葉は音として顕れなかった。
魔王の発した語は、空気に触れた瞬間、まるで“この世界の理そのもの”が拒絶するように掻き消えた。意味を持たぬノイズへと変質し、耳に届くことさえ許されぬ。
世界の修正力が働いたかのように、“それ”は秘匿された。
──言ってはならない。
──知ってはならない。
そんな不可視の圧力が、部屋全体に静かに広がっていく。
ルシファーは重いまぶたをゆっくり閉じ、そして再び開いた。
次の瞬間、肘掛けに添えられていた指が軽やかに宙を弾いた。
「強欲、怠惰──来い」
その声は静かであったにもかかわらず、空間の一部が共鳴し、玉座の間に黒き魔力が広がる。床一面に滲むような黒煙が走り、中央に影が二つ、浮かび上がる──はずだった。
一つは、現れた。
雷鳴のような気配を纏って立つ、屈強な男。
その身に鎧はなく、無骨な上半身を晒した格闘家の姿。肩から腕にかけて走る黒き紋章、鍛え抜かれた筋肉に刻まれた無数の古傷。そして両拳には、血と汗にまみれた古びたバンテージ。
短く刈られた金髪は逆立ち、戦闘民族の風格を漂わせている。
──強欲の魔人。
彼は無言で魔王の前に進み出ると、音もなく片膝をついた。
「強欲、PIRO参上いたしました」
だが、その隣に呼ばれたはずのもう一つの影は、現れなかった。
ルシファーの瞼が、わずかに重く伏せられた。
(……また、さぼりか……)
気配を放つことすらしない怠惰の不在に、魔王は声を出さず肩をわずかに落とす。
その動きだけで、「まったく、しょうがない奴だ」と言っているのが伝わる仕草だった。
だが、強欲は動じない。
むしろ、それを好機とでも思っているように口角を上げた。
「……あの程度の者ども、私ひとりで十分。すぐに始末してまいります」
ルシファーは再び映像に目を向けた。
リクが斬りかかり、エリナの鎖が閃光を描いている。
その光景を、まるで虫でも見るかのように冷たく眺めたのち──一言。
「任せる。……失望させるなよ」
その一言には、空間の温度を数度下げるような、刺すような冷気が込められていた。
強欲は目を伏せ、一礼する。
「もちろんですとも、陛下」
静かに立ち上がると、強欲は玉座に背を向け、歩を進めた。
重厚な石の床を、肉体の重みが打つ足音が淡々と響く。
玉座の間の扉へと向かいながら、その眼差しは徐々に鋭く、獰猛な色を帯びていく。
(……あの虫どもを蹴散らして……ついでにあんたも、どさくさに紛れて消してやるさ)
(この城も、魔物どもも、全部俺のものにしてやる。……ナンバーワンは、俺だ)
誰にも聞かれることのない内心で、強欲は静かに嗤った。
その背には忠誠の影など一片もなく、野心という名の業火が燃え盛っていた。
そして──。
魔王ルシファーは、再び頬杖をついたまま、何も言わず映像を見つめ続けていた。
その瞳の奥には、すべてを見透かしているような冷たい光が宿っていた。
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