第104話:目覚めし土、揺るがぬ意思
静かに光の粒子が散り、エリナの意識は再び現実に引き戻された。
「エリナ、大丈夫か?」
リクの声にエリナは頷き、わずかに瞳を伏せた。
「……うん。大丈夫。それより──」
彼女はそっと胸元に手を当て、内から湧き上がる新たな感覚を確かめる。
「……新しい力が宿った気がする。 土の気配……おそらく、地属性ね」
「ほんとか……!?」
リクの顔がぱっと明るくなり、思わず拳を握った。
だが、エリナの表情はどこか曇っていた。
微かに眉を寄せ、先ほど交わした言葉を思い返す。
(……Erikoって、あの子……私のことをそう呼んでいた。どうして?)
確かに、自分はエリナだ。
だが、その名が口にされたとき、胸の奥が微かに揺れたのも事実だった。
まるで、遠い昔に呼ばれていた名を思い出したかのような、不思議な感覚。
(あのGenesis──Mirai。……彼女は何を知っていたの?)
しかし今は、その答えを探っている時間はない。
エリナは感情を胸にしまい込み、リクの方へ顔を向けた。
リクが笑みを浮かべると、その背後からFum技長の甲高い声が響いた。
「ふはははっ! 記録しなければ、記録を! 今すぐ研究所に戻ってまとめないと……っ!!」
興奮のあまり小躍りしながら、Fum技長はひび割れた石を抱えて走り去っていった。
その姿は、まるで幼い子どもが宝物を手に入れたかのようだった。
「ちょ、Fum技長! お待ちください!」
慌ててリリィが呼び止めるも、その背中はすでに角を曲がって見えなくなっていた。
「……まったく、こうなると止まりませんね」
小さくため息をついたリリィは、気を取り直したようにリクたちへ向き直り、丁寧に会釈する。
「すみません。 あの人、ひとたび“研究モード”に入ると、周囲がまったく見えなくなってしまうんです。 本来なら、王都が危機に瀕している今こそ、一人でも多く戦力を投入すべきところなのですが……」
そこまで言って、リリィはわずかに口を引き結ぶ。
「……あの人は、王国にとっての“叡智”です。 失うわけにはいきません。 私も護衛任務に戻ります。 皆様のご武運を──心よりお祈りしています」
それだけを残して、リリィは足早にFumの後を追っていった。
リセルが目を見開きながら振り返る。
「……嵐のような時間だったね……」
「でも、そのおかげで……」
リクが振り返ってエリナを見る。
「エリナに新しい力が宿ったのは、俺たちにとって最高の追い風だ」
「うん。 行きましょう、中央広場へ。 助けを必要としているかもしれない……!」
エリナの言葉に、場の空気が一気に引き締まった。
焦りとともに、再び走り出す。
* * *
一方その頃──。
戦場の西側。怒号と轟音が入り混じるなか、幾重にも折り重なる戦列の中心に、アザラシッム総帥の姿があった。
剣を振るうたびに魔物が薙ぎ払われるが、それでも敵の波は途切れることを知らない。
そこへ、一人の近衛騎士が、瓦礫と煙をかき分けて駆け込んでくる。
「アザラシッム総帥! 女王陛下からの伝令です!」
騎士が差し出したのは、うずらの卵ほどの大きさの球状魔導具。
淡い光をわずかに放つそれを、アザラシッムはすぐに片手で受け取る。
「これは……?」
「この魔導具を、魔人“ロイヤルペンギン”に摂取させれば、体の崩壊が始まるとのことです!」
アザラシッムは目を細めて頷いた。
「了解した」
自身の腰のポーチにそれを収めると、再び剣を構える。
戦場は混沌の坩堝と化していた。
かつて王都の誇りとされた中央広場は、今や死と硝煙に包まれ、血と灰が入り混じる地獄と化している。
倒壊した建物の残骸が築く瓦礫の壁、交差する怒号と悲鳴の中、兵たちは必死に前線を維持していた。
狂気と理性がぶつかり合う、終わりなき戦場。
中央広場を包囲する形で、三方から騎士団が押し寄せていた。
前衛が受け、二列目が交代し、後列が焼却処理と補給を担う──三列陣形の波が規則正しく戦場を巡り、少しずつ、しかし確実に突破口を切り拓いていく。
それでも、ロイヤルペンギンは動かない。
広場の中央に空いた巨大な穴。
その縁に居座る彼は、まるで“王座”に座るように悠然と構え、群がるゾンビペンギンたちに命を与え続けていた。
その深部には、人々の悲鳴が響く。
押し込まれた王都民。
まだ生きている。
だからこそ、ロイヤルペンギンの“餌場”となり、奴の気配が一歩たりともその場を離れようとしない最大の理由となっていた。
──その穴から、何としても引き剥がす。
それが、この作戦の核であり、全兵力が目指す一点だった。
* * *
戦場の西側、“なん”率いる《白銀の矢》は、冷静な指揮と迅速な連携で戦列を維持していた。
副団長“なん”は、全体を見渡しながら、陣形が崩れかけた場所に迅速に支援を送り込む。
敵を焼き払う松明部隊の配置を入れ替え、再生しようとするゾンビペンギンの個体をことごとく灰に変える。
「交代早く! 焼却が間に合ってない! そこの瓦礫を盾代わりに──そう、それでいい!」
的確な指示が飛ぶたび、崩れかけた前線は持ち直す。
“なん”の冷静な判断力は、現場に理性を取り戻させ、混沌に秩序をもたらしていた。
* * *
南側では、ユリウスがまさに鬼神となって戦っていた。
剣を振るい、斬っては焼き、叩いては抉る。
彼自身が先頭に立ち、兵を鼓舞し、炎の魔法を浴びせて敵を焼き尽くす。
「押せ押せ! 止まるな、一歩でも前へ進めッ!」
ユリウスの存在が、部隊全体の“矛”として機能していた。
斬り開いた道に次の部隊が流れ込む──戦術的な連携というより、もはや“暴力的な突破”だ。
だが、それが今は必要だった。
あの穴に近づくには、理屈よりも力が必要だった。
* * *
そして、戦場の縁を縫うように走る遊撃の刃。
仗助だった。
彼は騎士団の一員ではない。
だが、誰よりも自由に動き、時には孤立した部隊を助け、時には敵の裏から切り裂いた。
「ひゃ〜、こっちも団子状態かぁ。 やれやれ……面倒だけど、まとめて相手してあげますよ〜」
どこか飄々とした態度のまま、彼はゾンビペンギンの群れを斬り裂いていく。
軽やかな脚運び、無駄のない動き。
ときに煙幕を利用し、ときに瓦礫を踏み台に。
まるで舞うように戦場を渡っていた。
そして──それぞれの戦場から発せられる同じ想いが、ひとつに重なる。
「あの穴から、ロイヤルペンギンを引きずり出せ!」
この一言のために、命を賭ける者たちがいた。
汗にまみれ、血を浴び、声が枯れるまで叫び続ける兵士たち。
彼らが今、賭けているのは“勝利”ではない。
“敗北しない”ための一手。
そして、あの穴の中に囚われた、かけがえのない民の命。
誰かが動かなければ──誰かが死ぬ。
この戦いは、“時間”と“誇り”を懸けた、限界を超える総力戦だった。
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