第101話:天才技長、動く
王城地下、研究室の前。
数名の騎士に囲まれ、シーユキ女王が慎重に階段を下ると、扉の奥からは独り言のような声と、ガチャガチャと金属が擦れる音が聞こえてきた。
「──あの様子……まだ作業を続けてるな」
宰相とうしがため息をつきながら扉に手をかける。
──ギィィ……
扉を開けた瞬間、むわりとした空気が一行を包み込んだ。
湿気を含んだ埃と油、それに混じって数日風呂に入っていないような、人の体臭が鼻を突く。
「……うっ」
誰かがわずかに顔をしかめる中、案の定、部屋の中央ではFum技長がひび割れた石を睨みつけながら、奇妙な器具を動かしていた。
サングラス越しに何かを見つめ、手元のシャーレには鮮血のようなものが垂らされている。
「Fum技長、聞こえるか? 状況が緊急だ。王都は今──」
無視。
とうしの言葉に反応はなく、Fumはピンセットを使って石板の破片を慎重に持ち上げる。
「……貴様、無視するな! 私は宰相だぞ! 王国の頂点に近い存在だ! 少しは──」
「──それが?」
短く吐き捨てるような一言。だが目線は上げない。
とうしが言葉を詰まらせたところで、シーユキ女王が一歩前に出る。
「Fum技長、女王としてあなたの協力を仰ぎたい」
その声に、Fumがようやく顔を上げた。
サングラスの奥で何かがきらりと光ったようだった。
「おお……これはこれは女王陛下。こんな埃まみれの地下までようこそおいでくださいました。お足元、お気をつけて」
慇懃無礼なまでに丁寧な言葉で頭を下げるFum。
だがその顔には、まったく尊敬の色がない。
むしろ礼節の仮面を捨てた直後から、彼の態度は急激に雑になっていった。
「で? 用件は何? まさか“平和のために”とか“民を救って”とか言い出すんじゃないだろうね? くだらん理念で俺の時間を奪うなよ」
とうしが怒鳴りかけるのを、女王は手で制した。
「……王都を襲っている暴食の魔人。その能力だが──“食べた生命”を糧に、ゾンビペンギンを生み出し、さらには再生にも利用する。民だけでなく、自らが生み出したゾンビペンギンさえも喰らう……もはや、ほとんど永久機関のような存在です。何とか対抗手段は──」
「体の一部、持ってきてる?」
唐突な質問に一瞬沈黙が流れる。
だが、すぐにリリィが一歩前に出た。
「本体ではありませんが……奴が生んだゾンビペンギンを斬った剣に、血がついています。少量なら、残っています」
「よし、それでいい」
Fumは即座に剣を受け取ると、布で血を拭い取り、小瓶に移す。
それを奇妙な金属球の中に入れ、ルーンが輝く円盤の上にそっと置いた。
魔導具が唸り、淡い光を放つ。
「ん〜……はいはい、はい終了。なるほどね、これがアルファ因子ね。分かりやすいパターン。しかも極めて粗い構造。劣化複製品って感じだね」
「な、何だってそんなすぐに──?」
「俺が天才だからだよ、宰相さん♪」
Fumはにやりと笑い、小型の球状魔導具をいじり、生成した液体を注入し始めた。
「こいつを暴食の魔人に喰わせろ。逆因子を流し込むようにして作ったからな。あいつの能力は“食べれば食べるほど強くなる”だろ? なら逆に、食べれば食べるほど崩壊するようにしといた」
Fumは球体をシーユキにぽいと投げ渡す。
「俺の仕事は終わった。じゃ、邪魔しないでね」
言い終わると、彼はあっさりと石のもとへ戻り、解析作業に没頭し始めた。
* * *
「……あれは……遺跡の石板か?」
静寂を破ったのは、リリィの声だった。
彼女の視線は、机の上に置かれた石板の輪郭を逃さず捉えていた。
「おや? 君、何か知っているのか?」
Fumが唐突に目を見開き、興味に満ちた表情でリリィに詰め寄る。
「ま、前に……冒険者のエリナという少女が触れたとき、石板が……光っていたような……」
「は? 本当かそれ!? なんで今まで黙ってたの!? それ、超重要だぞ!」
Fumは慌てた様子で解析器具を机に投げ出すと、乱雑にローブをかき寄せ、出口へと足を向けた。
「よし、すぐに案内しろ! 時間が惜しい!」
「は、はいっ! わかりました!」
そうして、Fum技長とリリィは急ぎ足でエリナのもとへと向かうことになった。
残されたシーユキ女王は一歩、静かに近衛騎士へと歩み寄る。
手にしていた球状の小型魔導具をそっと差し出しながら、落ち着いた声で告げた。
「……これをアザラシッム総帥に届けてください。お願いします」
その声には、静かながらも揺るぎない意志が宿っていた。
魔導具を託した指先は、見た目以上に固く引き締まっている。
この状況において、油断などひと欠片も許されない。たった一つの判断ミスが、王国全体の命運を左右するかもしれないのだ。
胸の奥では、焦燥と不安が静かに波立っていた。
だがそれを、決して表に出してはならない。
自分が崩れれば、周囲の心も揺らいでしまう。
王である限り、最後まで矛盾なく、揺るがず立ち続けなければならない。
──いま、私にできるのは、皆を信じて託すこと。
そして、祈ること。
その祈りが届くように。
皆の力が、あの戦場で光となりますように。
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