第100話:王都に走る決意
アザラシッムによってすでに制圧された市街地を駆け抜けながら、シーユキ女王はその険しい表情をさらに強張らせていた。
その背後には、忠臣である宰相とうしと、数名の近衛騎士たち。
彼らもまた、沈黙のまま女王の決意に呼応するように足を速めていた。
──暴食の魔人。
その名の通り、あらゆる命を喰らい尽くし、自らの糧とする異形の魔人。
リリィが命を懸けて伝えた報告によれば、その魔人は王都の中央広場に食料を貯蔵する穴を築いており、捕らえた人間の命を糧にゾンビペンギンを際限なく生み出しているという。
さきほど遺跡の方からの衝撃ももちろん心配だが、サクラ団長とリク達を信じるしかない。
「生命を喰えば喰っただけ、無限にゾンビペンギンを生み出す……。それが事実だとすれば、時間が経てば経つほど、王都は……」
女王の声は、かすかに震えていた。
だがそれは恐怖ではない。
怒りと、焦燥。そして、何よりも民を救わねばならぬという焦りだった。
「このままでは……王国民が、無惨に食い尽くされてしまう。……急がねば……!」
その瞬間、シーユキは唐突に足を止めた。
ふわりと揺れる、濃藍のロイヤルドレス。
その裾には金糸の刺繍がほどこされ、幾重にも重なる布地は歩くたびに風を孕み、誇り高き女王の象徴として映えていた。
だが今の彼女にとって、それはただの“足枷”でしかなかった。
──バリィッ!
誰もが息を呑んだ。
女王は一切の迷いも見せず、両手でその豪奢なドレスの下半分を荒々しく引き裂いた。
ちぎれた布は手早く腰に巻かれ、固く結ばれる。
その動作に、後ろを走っていたとうしと騎士たちが目を見開いた。
「し、シーユキ様……!?」
「ご自身のお召し物を……!」
彼らの驚きなど意に介さず、シーユキは静かに言い放った。
「着飾っている暇などありません。今は、王国と民の命を守ることが第一です」
澄んだ瞳の奥に宿るのは、王としての誇り。
そして母のような民への慈しみ。
その声は小さくとも、確かにその場にいたすべての者の胸を震わせた。
とうしが思わず眉を下げ、口を開く。
「……くっ、あの変態……もとい天才技長が、王城に残っていれば……」
「Fum技長……彼なら、逃げてはいないはずです。あの人は、ああ見えて研究に命を懸けている。きっと、最後の一瞬まで手を動かしているでしょう」
「ええ……あの技長、王国の誰の言葉にも耳を貸しませんが、女王陛下の命令だけは素直に従いますからね。……奇跡的に」
苦笑しながらも、とうしの目には確信があった。
「私が直接会わなければ。王城の地下、研究室に向かいます」
「了解しました。……我ら、命を懸けてお守りいたします」
小さな頷きと共に、シーユキ女王は再び走り出す。
その背には、破れたドレスの布が風になびいていた。
王国を救うため。
民の命を未来へ繋ぐため。
彼女は女王である前に、一人の人間として、戦場を駆けていた。
* * *
──王城、地下研究室。
爆発の衝撃でも受けたのか、部屋の壁には幾筋ものひびが走り、天井の一部は崩れ落ち、そこからは無惨に折れた梁が露出していた。
床のあちこちには魔力によって焼け焦げたような黒い痕が広がり、幾つかの書棚は斜めに傾いたまま、書物の山を静かに吐き出している。
だが、その混沌の中心――部屋の中央に置かれた石の机の上だけは、不思議と整っていた。
まるで周囲の崩壊がその一点だけを避けて通ったかのように、神聖な結界でも張られているかのように、静謐な空気がそこだけに満ちていた。
机の上には、遺跡から掘り出された破片たちが並べられている。
それらはすでに一定の形を成しており、まるで一枚の石板に再構成されたかのようだった。
無数の亀裂が走るその表面には、魔術文字とも機械語ともつかない不可思議な記号が刻まれている。
「ふむふむ……これは、ここで合っているはずなんだけどな……んんー? いや、こっちか? 角度が逆か……?」
ぶつぶつと呟きながら、石板をじろじろと眺めるのは、ローブ姿の男――Fum技長その人。
髪の毛や髭は伸びっぱなしでまるで獣のよう、そして地下でも室内でも構わずかけられたサングラス。
薄暗い研究室では視界の妨げになるはずなのだが、当の本人は気にも留めていない様子で、むしろ「そういうものだ」と言わんばかりに平然と細かい文様を読み取っていた。
光の有無にかかわらず、彼にとってサングラスとは「顔の一部」なのかもしれない。
「興味深い! これは……いやはや、想像以上だぞ……!」
彼は石板の表面を指先でなぞる。
微かに震える指先からは、純粋な探究心と、わずかに狂気を帯びた高揚感が滲んでいた。
「この接合部……見た目よりずっと滑らかだ。ってことは、ここが“起点”か? いや、まさか時間軸が……んー……時間って概念、やっぱりめんどくさいな……ふふふ」
ひとり笑いながら、彼は数枚のメモを手に取り、さらに破片の配置を変えていく。
まるで世界が滅びようと、王都が燃えようと、この研究の完成だけが彼にとっての“現実”であるかのように。
「……それにしても、外がうるさいなぁ。誰だ? また大声で叫んでるのか? 喧嘩か? 戦争か? ふむ。まぁ、どちらでもいいか……私は私のやるべきことをやるだけだ。うんうん。気にしない気にしない……」
破れかけたローブの裾を引きずり、再び机に戻るFum技長。
その背には、崩れかけた棚から転がり出た魔導具や未知の結晶体が散乱していたが、彼は一瞥すらせず、ただ目の前の石板だけに意識を集中していた。
この男にとって、世界とは一つの“問い”であり、命とは“観察対象”にすぎないのかもしれない。
──だがこの天才の手に、運命を変える鍵が握られているのもまた事実だった。
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