第5話:両親の教えとエリナ
優しい夜が明け、朝の静けさがリクの家の中にゆっくりと広がっていた。
窓の外では鳥たちがさえずり、かすかな風が森を揺らしている。夜の寒さは消え、家の中にも少しずつあたたかさが戻ってきていた。
リクは台所の裏手で、薪を割っていた。
斧を振り下ろすたびに木が乾いた音を立てて割れ、静かな朝の空気にその音だけが響いていた。
しかし、彼の意識は昨夜の出来事から離れられなかった。
怯えたように身を縮めていたエリナの姿。
涙を浮かべながらも、震える声で絞り出した「ありがとう」のひと言。
あれは、きっと彼女にとって――誰かに初めて“救われた”と思えた瞬間だったのかもしれない。
ふと背後に気配を感じて振り返ると、そこには父・ガイルの姿があった。
ごつごつとした腕に斧を携え、無言で立っている。朝の光を背に、どこか静かな気配をまとっていた。
「……父さん」
声をかけると、ガイルは黙ってリクの横に立ち、手にした薪を一本取って、無駄のない動きで斧を振り下ろした。
重く鋭い音が響き、薪が二つに割れて転がる。
「よくやったな」
ガイルはそれだけを言った。短い言葉だったが、そこには明確な意味が込められていた。
「……怒らないの?」
リクは、斧を持つ手を止めて聞き返す。
村の中でも“異質”とされるエリナを家に連れてきたこと、父がどう思っているのか――心のどこかで不安に思っていた。
しかし、ガイルは小さく笑みを浮かべると、優しく目を細めた。
「昔から言ってるだろう。困っている者、弱き者を助けるのが“本当の強さ”だってな」
「……うん。覚えてるよ」
リクの声は、どこか安心したように柔らかくなっていた。
だが、ガイルは少しだけ声を落として、真剣なまなざしを息子に向けた。
「けどな、リク。一つだけ、覚えておけ」
「……え?」
「助けるってことは、それだけで終わりじゃない。助けたら、最後まで守ってやれ。それが“責任”ってやつだ。
口先だけじゃだめだ。覚悟と力、そして心が伴って、初めて意味があるんだ」
その言葉は、鋭くもあたたかく、リクの胸に深く刻まれた。
リクは斧を握りしめ、まっすぐに父の目を見つめた。
「……わかった。俺、エリナを守る。どんなことがあっても、俺が……必ず」
ガイルは静かに頷き、再び斧を振り下ろした。
薪が鋭い音を立てて割れ、朝の空気にその音が溶けていった。
* * *
「リク、お湯が沸いたわよ〜」
玄関の方から、母・リナの明るい声が響いた。
顔を出したリナは、手に薬草の束を持ちながら、いつもの柔らかな笑みを浮かべていた。
「朝ごはんの前に、エリナちゃんの薬を煎じてあげてくれる? 傷の痛み、今朝は少し楽になるようにしたいから」
「うん、すぐやるよ」
リクは薪割りの手を止め、急いで薬を煎じる鍋のもとへ向かった。
* * *
一方その頃――
エリナは静かな寝室で目を覚ましていた。
ふわりと布団に包まれた体はまだ少し重く、起き上がることはできなかったが、窓から差し込む陽光が優しく頬を照らしていた。
見慣れない天井。
聞き慣れない小鳥の声。そして、優しい人の気配――
彼女はぼんやりとその空間を見つめながら、昨日の出来事を反芻していた。
(あの人たちは、私を責めなかった)
(気味悪がらなかった。怖がりもしなかった)
(……むしろ、守ってくれた。心配してくれた)
ほんの少し、拳を握る。
「……ここは、本当に、私がいていい場所なの?」
誰に問いかけるでもないその言葉が、ゆっくりと部屋に溶けていく。
でも――自分の中にまだ灯っている“あたたかさ”が、それを否定しなかった。
リナの優しい手のぬくもり。リクの凛とした声。ガイルの静かな強さ。
それらが、彼女の心に確かな爪痕を残していた。
「……私、もう逃げない」
そう小さくつぶやいた彼女の瞳には、まだかすかな不安があった。
けれど、それ以上に確かな、希望の光が静かに宿っていた。
過酷な日々の中で見失いかけていた“生きる意志”が、今、ゆっくりと胸の奥で芽吹き始めていた。
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