その欲望2
コーヒーと名付けられたお汁粉を飲んでから、所長たちと合流すると、
「いぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁだぁぁぁぁぁっ!!」
「ワガママ、言ってんじゃ、ねぇぇぇぇぇっ!!」
木にしがみついて、何かを嫌がっている月見ちゃんを、所長が引っぺがそうとしていた。
夕星さんや逢魔先輩は困り果てた表情で、その状況を見ている。
見月ちゃんと岩井さんは笑顔のまま、やはり見物に回っている。
……えっと、状況確認する必要があるよね?
とりあえず、この状況を作り出している張本人たちに聞いてみよう。
「何してるんですか所長? 未成年者略取?」
「また犯罪者扱い!? 違ぇよ! あのババア捕まえるために、今度こそバイクに乗ってもらおうと思ってんのに、こいつが嫌がんだよ!」
一旦、月見ちゃんを引っ張るのを中断して、所長は私に説明してくれた。
「だから! 所長の運転するバイクなんて嫌だって言ってんでしょ!」
月見ちゃんは自分の言い分を、なおも木にしがみついたまま主張する。
「お前が『観察』したババアの思考を俺に伝えてくれないと、また逃がすだろうがっ!」
「だから携帯使ってやりとりすれば問題ないじゃん! 所長はイヤホンして、あたしが伝えるだけで! あたしたちの『観察』は距離が離れても解けないんだから!」
二人はお互いの主張をぶつけ合う。
私としては、所長の運転するバイクに乗るのも嫌だし、月見ちゃんの言う方法でも問題ないと思うが、何か問題があるのだろうか……などと考えていると、
「電話代もったいないだろうがっっっ!!!」
所長の怒りの一喝が辺りに響く。
……割としょうもない問題だった。
月見ちゃんは額に青筋を浮かべ、叫ぶ。
「それくらい経費で落としなさいよ!」
「ダメだ! 削れるところは削る! それが我が『解決屋』のモットーだ!」
そんなモットーがあるとは知らなかった。
っていうか、ただ単に貧乏性なだけじゃないだろうか……
「その、なんだ、別に我々がそれくらいの経費は払うぞ?」
無駄にケチ臭い論争に嫌気が差したのか、夕星さんが解決案を示してくれた。
しかし、
「部外者がうちの教育方針に口を出すなぁぁぁぁぁっ!!!」
所長はその魅力的な提案を却下。まるでモンスターペアレントのような言い分を振りかざす。
「お前はあたしの母親かぁぁぁぁっ! なにそのふざけた理由!!」
「ふざけてねぇ! お金は大事だってことを教えるのが大人の役目だ! 俺は俺の教育方針を貫かせてもらう!!」
そんな言い合いをしながら、また所長と月見ちゃんの戦いが始まった。
……この二人を相手にしていては、話が進まないので、『観察』を行ったはずのもう一人から詳しい事情を聞こう。
「はぁ……見月ちゃん。ちょっと聞きたいんだけど……」
「なに~?」
きゃいきゃいと月見ちゃんの応援をしていた見月ちゃんだったが、私が話しかけると即座に応対してくれた。
「ターボババアの『本性』とかのこと、教えてくれない?」
「いいよ~♪」
私と見月ちゃんが話をしだすと、逢魔先輩や夕星さん、岩井さんも近くにやってきた。
これで、所長と月見ちゃんは二人だけで観客もいない中、熱いバトルを繰り広げることが確定してしまった。
月見ちゃんにそこはかとない同情を贈りつつも、見月ちゃんの話に集中する。
「――都市伝説名『ターボババア』、その『本性』は『逃走』、『欲望』は『ここから逃げ出したい』。『演者』の名前は速瀬 和音……」
「速瀬 和音だって!?」
突然、逢魔先輩が驚きの声をあげる。
だが、実は私も驚いていた。
速瀬家といえば、日本で一番有名な財閥一族の苗字だ。
昔から、日本の政治に携わってきていて、今でもその影響力は計り知れない、といわれており、事実、政界には速瀬に追従する政治家がたくさんいる。
そんな有名な一族の出の人が、こんな都市伝説に関わっていようとは……意外の一言に尽きるが、同時に、だからこそ『捜査零課』が動けないのか、と納得することにもなった。
しかし、私は速瀬家の人物にそう詳しくない。逢魔先輩に詳しく話を聞こう。
「先輩、速瀬 和音ってどんな人なんですか?」
「うん……速瀬家の中でもちょっと特殊な人でね。生まれたときから、不治の病を患っているそうなんだ」
ふ、不治の病!?
「え、えええっ! めちゃくちゃ元気に走ってますけど!?」
その病がどんな症状のものかは知らないが、私が見た『ターボババア』の動きや様子からは微塵も病を患っている気配を感じなかった。
っていうか、一般人よりも元気だろう、どう見ても……
「まぁ、こんなパターンは珍しいことではないが、初めてなら確かにびっくりするだろうな」
私の言葉に、夕星さんが答えてくれた。
「今回のように『理性』を完全に消失した場合、『演者』は『本性』を発現している間は、その間の記憶は無くなるし、普段、自身が背負っているハンデのことも問題にしなくなるんだ」
ええっと、つまり……
「今、『本性』を発現している『ターボババア』は自分の病気のことも忘れて走っている、ってことですか?」
「概ね、その通りだ。ここの『ターボババア』は夜の八時頃から朝方四時頃にしか目撃されていない。おそらく、彼女が寝ている間に、『本性』が発現しているのだろう」
……ん?
夕星さんの説明を聞いていると、一つの疑問が浮かんだ。
「『理性』が完全に消えてしまった人って、常に『本性』が曝け出されているですよね?」
先の逢魔先輩の説明から考えると、そういうことになるはずだ。
そして、この質問に対して、夕星さんは「その通りだ」と答えてくれた。
ならば、やはり疑問が湧いてくる。
「なんで寝ているときにしか、『本性』が発現されてないんですか?」
「あぁ、ごめん。さっきの説明は中途半端だったね」
今度は逢魔先輩が答えてくれるようだ。
「『理性』が完全になくなっていても、人の目がある場合は、それが『理性』の代わりをしてくれるんだ。要するに、誰の目にも触れられなくなったときしか、『本性』は発現できないし、発現されることもない」
……なるほど。夜、寝るときには誰も傍にいないから、こんな風に『本性』が発現されてしまった、ということか……
これで私の『演者』に対しての疑問は解消された。
しかし、依然、状況に対しての疑問が残っている。
「で、でも……何だってそんな名家の人がこんなところに……」
「ここに来る途中、山の中に大きな家が建っているのを見なかった?」
――あぁ、あったあった!
何でこんなところにあるのだろう? と気になっていたのですぐ思い出すことができた私は逢魔先輩の質問に、首を縦に振って答える。
「実は、その和音さんの母親がこの辺りの出身らしくてね。あそこを別荘としてよく使っていたらしんだ」
さすが名家、こんな避暑地でもなんでもないところにまで別荘があるとは……
「そして、ここで和音さんを産んだんだけど、さっきも言ったとおり不治の病にかかっていてね……あの別荘でただひたすら療養生活をしていて、生まれてからの七十年間、一歩も外に出たことがないらしいんだ」
――それは、辛い生活だ、と感じた。
ただひたすら、同じ場所で療養するだけ……
「で、でも何で入院とかしてないんですか? あと、一歩も外に出たことないって、病院くらい行くでしょう?」
私が一気にした質問に、逢魔先輩は律儀に答えてくれる。
「多分、病院に行く必要もないくらい、病状が酷いじゃないかな……それに、あの別荘には最新鋭の医療機器に最高峰の医療スタッフも在住してるって噂だし……」
……さきほどの見月ちゃんの『観察結果』の『欲望』の内容に納得してしまった。
――『ここから逃げ出したい』――
いつもいつも変わらない場所から逃げ出したかったのだろう。新しい一歩を踏み出したかったのだろう。
そう、その『欲望』に罪はない。
だが、他の人の迷惑になりつつあることも事実である。
今は小規模の物損事故で済んでいるが、いつ大きな事故になるか分かったものではない。
彼女のためにも、何も知らない一般人のためにも、彼女は捕まえなくてはならない。
そのためには、
「――見月ちゃん。所長のバイクに乗るのは嫌?」
高速で動く『ターボババア』の動きを読むことができる双子の協力が必須である。
所長が訳の分からないことに拘っている以上、双子のどちらかに折れてもらうしかない。
だがこの双子、月見ちゃんは見ての通り強情だし、見月ちゃんも嫌なことは嫌としか言わない性格だから、どの道苦労しそうだが――
「乗ってもいいよ?」
――はい?
見月ちゃんの意外な返事に、思わずずっこけそうになる。
「え? あれ? いいの?」
確認を取ると、見月ちゃんはこくりと頷いて、肯定した。
しかし、
「でも、意味はないと思う」
不穏当な一言を付け加えながら。
「――意味が、ない? どういうことだ?」
夕星さんが怪訝な顔をして、見月ちゃんに問い返す。
「……あたしや月見ちゃんの『観察』で、次に動く方向や位置を特定しても、あっちの動くスピードのほうが速いの。長距離だと一〇〇キロ程度しか出ないみたいだけど、一瞬のスピードなら音速に近い速さみたい。あたしたちが所長に情報を伝えるタイムラグの間に行動を変えられると思う」
見月ちゃんは珍しく、長い言葉を話してくれた。
その内容は、私たちにとって絶望的だった。
いくら双子が動きを先読みしても、それを所長に伝えるまでの間に行動が変えられてしまっては、結局、さっきまでと同じで捕まえることはできない。
「――ってことはなんだ!?」
「あたしたちは今の今まで無駄な争いをしてたってこと!?」
うわっ!? びっくりしたぁっ!
いつの間にかケンカを止めていた所長と月見ちゃんが、私の真後ろで大きな声をあげて途方に暮れていた。
「――作戦の練り直しが必要ですね」
岩井さんの一言で、私たちは全員で唸ることになってしまった。
……相手が速すぎるのが問題点である。
要するに、少しでも相手の動きを遅らせることができればいいのだ。
しかし、相手は『理性』がない『演者』。『欲望』を満たすことしか頭にない。
つまり、話しかけて気を逸らす、などといった行為は通用しない。
……ん?
何か、変な感じがする……?
自分自身の思考に、なにやら違和感を覚えたが、すぐさま切り替える。
今は、そんなことを気にしている場合ではない。
「こうなりゃ、道路に網でもしかけてみっか? 上に乗った瞬間、思いっきり引き上げてみるとかよ」
所長がそんな提案をしたが、
「引き上げる前にむこうが網の範囲外まで逃げるのがオチね。それとも、アホみたいにでかい網にしてみる? 今度はこっちがそんな網を引き上げられるのか、って問題があるけど」
と、月見ちゃんが若干バカにしたような口調で、提案を却下する。
しかし、悪い案ではないように思う。網じゃなくて、広範囲に仕掛けることができて、それでいて仕掛けを動かすのにスピードが要らない、そんな罠を仕掛けることができるならば、捕獲は容易になるだろう。
でも、現実には実現不可能だろう。そもそもそんな大規模で都合のいいトラップがあるわけない。シンプルに考えれば、大きな落とし穴なども考えられるが、ここは公道。道路に穴を掘るのは物理的に難しいし、手続き的にも面倒だろう。
――ん? 今、何か思いつきかけたぞ……!
……道路……道路って、確か――
私はあることを思いつき、確認のために全員に聞く。
「――誰か、道路の原料って知ってますか?」
「あぁ?」
所長は「何言ってんだ、こいつ?」みたいな目で私を見る。他の人も私の突然の質問に、戸惑ったようである。
しかし、やがて、
「……一般的には、ここのような車道はアスコン――アスファルトとコンクリートを合わせたもので舗装されてると思いますが……」
と、岩井さんが答えてくれた。
――よし! 私の記憶は間違っていなかった! だったら、この作戦、上手くいくかもしれない!
「――作戦を思いつきました。ちょっと聞いてみてくれませんか?」
私の言葉に、再度全員が驚く。
そして、円になって私の話を聞く態勢になった。
そんな風に、全員が私に注目したところで、思いついた作戦を皆に話した。