それからの日常
それからの毎日は、驚きの連続であっという間に過ぎていった。
私が生まれ変わったこの国は、『スキエンティア』という名前で、国は国王の下、12人の領主がそれぞれの領地を治めるといった形で成り立っている。私の父様は、その12人のうちの1人。つまりとても偉い人だ。スキエンティアには様々な種族が暮らしている。姿形は人間と似ているが、背中にコウモリのような羽があったり、鹿のような角をもっていたり、ふさふさのシッポがあったり…前世にいた動物と人間の融合したような感じだ。
そして、驚くべきことにこの『スキエンティア』は、私が前世で暮らしていた人間の国、『イグノーランティア』の隣に存在しているのだ。
『イグノーランティア』で暮らしていたとき、こんな国が隣にあるなんていう話は、聞いたこともなかった。けれど、この国に暮らす人々は、誰もが人間と、人間の住む『イグノーランティア』のことを知っているし、なんなら街なかで人間の姿を普通に見かける。まだ直接話したことはないが、屋敷でも何人か見かけたことはある。彼らがどんな事情でこの国にいるのかは知らないが、少なくとも生活に困るようなことはなさそうだ。今も、部屋の窓から外を見ると、マントを来たニンゲンが、キュラ族の男性と話しながら歩いているのが見えた。窓ガラスには自分の姿も映っていて、整った顔立ちの幼女がこちらを見つめ返している。
私は今年、5歳になる。
今は自分の部屋で国の歴史について家庭教師から授業を受けている。午後からは文字の練習と算数、それから魔力のコントロールの授業の予定になっている。5歳児とは思えないハードスケジュールだ。こんな感じで、完璧なレディになるべく、勉強勉強の毎日だ。さすが、名家のお嬢様は小さいときから違うんだなぁ…と、少しばかり他人事のように考えながら、手は忙しく家庭教師の説明をノートに書き取っている。
「今日はここまでにいたしましょう」
家庭教師のフルール先生は、そう言って教科書を閉じた。急いで視線を先生の方に戻し、立ち上がって礼をする。
「ありがとうございました、先生」
教科書とノートを本棚に戻し、先生と連れ立って部屋を出る。このあとは昼食だ。
「今日は光栄なことに領主様から昼食にご招待頂いているのです。良ければ広間までご一緒させて頂いてもよろしいですかな?」
「もちろんです。先生とご一緒できるのを、父も母も楽しみにしていました」
広間へと続く長い廊下を、先生と並んで歩く。
フルール先生は母様と同じレプス族の男性だ。
レプス族は美しい白髪に、ウサギのような長い耳を持つ種族で、とても知能が高い。また、人間よりも何倍も長く生きるため、年齢でいうと100歳をこえているらしいのだが、見た目は人間の25歳位だ。
フルール先生は頭の中が図書館なのかと思うくらい、何でも知っている。先生はこの領地にある大学で教授として学生を指導する人だったけれど、私が3歳になった時、父様の命で私の家庭教師になった。そんなすごいお仕事をしていたのに、こんなお子様を教えないといけなくなるなんて、嫌じゃなかったのかな、と思ってしまう。
「先生は、私の家庭教師をするの、嫌じゃないですか?」
こうして勉強の時間以外で先生と話す機会もなかなかないので、思い切って聞いてみる。
先生は驚いたような顔で私を見て、それから優しく微笑んだ。
「そんなこと、思ったこともないですよ。領主様の御息女にお教えできるなんて名誉なことです。それに、ティア様はとても楽しそうに授業を受けてくださるので、教え甲斐があります」
その言葉からは、嘘は感じられなかった。私は「ありがとうございます」と、ほっと胸をなでおろした。授業が楽しいのは、もちろんフルール先生の教え方が上手というのもあるが、単純に何かを学ぶということが生まれて初めてで、知識が増えていく事が嬉しくて仕方がないのだ。昨日よりも今日、知っていることが増えて、世界がどんどん広がっていく。前世では全く縁のなかった「勉強」の魅力に、私はどハマリしていたのだった。
それから、今日の授業についての会話を交わしながら歩いていると、ようやく広間についた。自分の家ながら、広すぎる。
扉の横で控えていたメイドたちが、私達の姿をとらえると、扉を開いて私達を中へと誘った。
父様と母様は、すでに席についていた。私達に気が付くと、満面の笑みで迎えてくれた。
「やっときたね、私達の姫」
私は腕を広げた父様の胸に飛び込んで、頬にキスをする。いわゆる貴族の令嬢的には、褒められた振る舞いではないと思うが、父様も母様も私に甘々なので怒られることはない。むしろ喜ばれていると思う。
(はぁ〜、父様あったか〜い)
「まぁ、レオ様ばかりずるいです。さあティア、母様のところにもいらっしゃい」
横で見ていた母様が、腕を伸ばしてきたので、私も手を差し出す。簡単に折れてしまいそうな細い腕が、私を軽々と持ち上げて、自分の膝の上にそっと乗せる。父様と母様の、私の取り合いもいつものことだった。それを、フルール先生が微笑ましく見守っているのが目に入って、ちょっと恥ずかしくなった。
「領主様にご挨拶申し上げます。本日は昼食にお招きいただき、光栄にございます」
父と母による娘を愛でる会が一段落したのを見計らって、フルール先生が父に一礼をした。お客様の存在を忘れて娘をよしよししていたのが少し気まずかったのか、父様は軽く咳払いし、
「フルール教授、よく来てくれた。固くならず、気楽に過ごしてほしい」
そして、フルール先生も席について、ようやく昼食が始まった。
フルール先生は博識で、色々な話をして私達を楽しませてくれた。国に伝わる伝説や、最近発見された遺跡の話など。国の歴史を学ぶのも楽しいが、そういったおとぎ話的な話はやはり聞いていてワクワクする。
「楽しいお話をありがとうございました」
「こちらこそ、昼食をご一緒できて良かったです。ではまた、次の授業でお会いしましょう」
昼食が終わり、先生をお見送りしてからピアノとダンスのレッスンを受けた後、私は屋敷の敷地内にある修練所へと向かった。勉強のほとんどはフルール先生が教えてくれているが、ダンスや貴族としてのマナーなど、いくつかのことは専門の先生に教えてもらっている。いまから学ぶ魔力のコントロールもその1つだ。
修練所に入ると、領地に仕える兵士たちが鍛錬の最中だった。ここは、主に兵士たちの鍛錬のために使われている。とても広く、激しい戦闘訓練や魔法の使用でも周囲に被害が及ばないよう魔法がかけられているため、魔法の練習にも最適だ。彼らの邪魔にならないように端の方を歩きながら、先生の元へと向かう。
修練所を見渡せるバルコニーに、その人は座っていた。片手で杖をくるくる回しながら、もう片方の手には分厚い本を持って、ブツブツと呟いている。その度、杖から金や青の光が出ては消えを繰り返している。大きな椅子に、ほとんど丸まるような姿勢で座っているので、服の塊が置いているのかと思うくらいだ。
「クォーク先生、お待たせしました」
声をかけると、クォーク先生はチラッと私を見ただけで、また本の方に視線を戻した。長く伸びた髪の毛が顔にかかって、表情は分からない。
「クォーク先生、今日は授業の日です」
再び声をかけるも、今度は完全に無視されてしまった。この先生に教えを請うのは今日で3回目だが、どうもこの先生は人に教えるのに向いていない、というのが私の感想だった。今までの授業でも、いやいややっている、という素振りを隠そうともしていなかったし。
しかし、授業はしてもらわなければ。教え子を無視する教師の耳元で、私は小さく呟いた。
「あ、お母様」
その瞬間、読んでいた本は姿をけし、ついでに布の塊も無くなって、現れたのは美しい黒の髪をなびかせる、長身の魔法使いだった。髪の毛からぴょこんと飛び出している短い三角の耳が、そわそわと動いているのが可愛い。
クォーク先生は、あたりを見回すと、鋭い視線を私に向けた。
「やっとこちらを見てくださいましたね、先生」
私がにこっと笑顔を返すと、先生はふんっ、と鼻を鳴らした。
「まったく……セルリア様の頼みだからといって、安易に引き受けたのが間違いだった」
「まあ。でしたらその言葉、そのままお母様に伝えさせて頂きますわ」
そう言うと、クォーク先生はあからさまに嫌そうな顔をして「誰もやりたく無いとは言っていない」と唸るように言った。
「今日はシールドの作り方を教える」
先生が杖を一振りすると、杖先から青いオーラのようなものが溢れ出し、それが1つに集まると犬のような生き物の形になった。
「シールドは、自分の魔力を空気に流し込んで固定するのが一般によく使われる方法だ」
先生が再び杖を振ると、犬のような生き物が勢いよくこちらに向かってきた。ぶつかる!と思ったら、犬がぶつかったのは私ではなく、私の目の前にいつの間にか現れていた『見えないなにか』だった。犬は壁にぶつかると、跡形もなく消えてしまった。
「びっくりしたぁ……」
突然始まって突然終わったデモンストレーションに、驚くしかできない。
「使い方としてはこんな感じだな。まあ、いきなりこのようなシールドを作り出すことは当然出来ない。したがって当面貴女にやってもらうのはこれだ」
そう言って先生が取り出したのは人の頭ほどの大きさに膨らませた透明風船だった。
「まずは、この風船の中の空気を固定する練習を行う。固定するものが意識しやすいから、漠然と空気を固定するよりも難易度は下がるはずだ」
そう言われて、風船を受け取ったがまるでできる気がしない。
「前回までにやった、魔導具へ魔力を注ぐ練習の応用と言うところだな。空気は目に見えないが、そこに『ある』と強くイメージして、魔力を注ぐ」
「な、なるほど…?」
私の頼りない返事に、先生は(大げさに)溜息を吐いて、
「…見ていなさい」
と、風船を掲げると魔力を注ぎ込み始めた。そう多くはない魔力が風船に集まっているのを感じるが、大きな変化はない。先生は魔力を注ぎ終わると、おもむろに風船を置いてあった植木鉢に投げつけた。
ガッシャーン!
普通ならあり得ないが、風船をぶつけられた植木鉢は、倒れて割れてしまった。
「次回の授業までにこれをマスターしておくように」
そう言って、これ以上ここに用はないと言わんばかりに、さっと踵を返しクォーク先生は去っていった。残された私は、「はい…」と力なく返事をするしかなかった。