第9話 修行
ご閲覧、評価、ブックマーク、いいね、ありがとうございます。
今話でようやっと一区切りつきました。次回から一月後に場面が変わります。引き続き読みに来ていただけると嬉しいです。
この世界は異世界が原点となっている。
虚ろだった空間に異世界の主神が流した涙が流れ込んで海となり、漂うだけだった塵と混ざり合って大地が生まれ、それを知った異世界の神々が境を越えてこちらへと渡り、植物を植え、太陽と月を放ち、風を喚んで、生き物を創った。元の世界へ還った神々は夜になると星や月から覗き見て、幼い者達を見守っていると伝えられている。
神々が生んだ生き物の1つである人間は、異世界と交流する術を与えられていた。隣接する異世界から霊獣を喚んでは生活の為の力、知恵を貸してもらい、生き易い町をそこかしこに造り、住める土地を広げていった。
時折望んでいない狂暴なモノが入り込んでくることもあったが、その際も力のある霊獣に助けを乞い、守ってもらっていた。多くの霊獣はこちらの世界の者達を慈しみ、自ら手助けを名乗り出る者もいるほどに、この世界は愛されていた。
いつからか、人間達は魔法を使えるようになった。しかし、生来の気質によるものかうまくコントロールすることができず、暴走させる者が多かった。どうにか打開したかった人間達は、異世界から博識者を喚んで研究し、パーニカム貝に核入れしてできるクァカを、魔法を使う媒介とする技術を身につけたのだ。
魔法を取り込むことで暮らしの質は格段に向上したが、その分悪用する者も増えた。そして、罪を犯した者には罰を与えるようになり、世界に法が生まれた。
大抵の罪人は拘束や罰金、投獄で処理をしてきたが、その程度の罰では処しきれない者達も少なからず存在した。被害者や被害者遺族の無念を晴らす為にも、もっと重い罰を与えねばならない。そう考えた古人は、罪人の魔界追放を罰の1つに加えることにした。
魔界とは、望んでいない狂暴なモノが住む世界。行けば還ってこれないそこへの追放は、死刑宣告に等しかった。
ある時、魔法を使いこなす数名、のちに賢者と呼ばれる者達の1人が大罪人となった。他の賢者の総意で魔界追放となり、平穏が戻ったかと思われたが、数年後、魔界で生き残った大罪人の手で大量の瘴気を流し込まれ、世界は壊れた。
人間は魔人に、動物は魔物に、霊獣は魔獣に変化し、魔族の総称で呼ばれるようになり、変化しなかった者達を襲い始めた。危険を感じた賢者は安全な土地を求め、水中を選んだ。
異世界の主神の涙が溜まり生まれた海に、瘴気は溶け込むことができなかった。強力な魔法で水中に酸素溜まりをつくった賢者達は、逃げ惑う者達を匿い難を逃れることはできたものの、陸地の全てが魔に侵されてしまう結果となった。
酸素溜まりをつくった賢者達は称えられ、崇められた。没した後もその肉体を水底に根づく大木、水霊樹に変えて各地を守っている。賢者の名を持つ者は7人いるが、水霊樹は6本しか生えていない。1人だけ、水霊樹に転じていない賢者がいるのだ。
名はツァフィーニア。とどまるよりも流れることを選んだ彼女は水霊樹から水霊樹へと渡り歩き、世界の気が淀むのを防ぐ役割を担った。そのような生き方を選んだ為か、他の人間達よりも長命だった彼女は6人の賢者の死後も世界の水を揺蕩い続けたが、不死にはなれず、人知れず海底で命を落とした。
水霊樹は世界中に点在しており、行き来するのは容易ではない。膨大とも言える魔力を保有していたツァフィーニアだからこそ難なくこなせていただけで、普通の人間ではそうはいかなかった。故に、彼女の没後、水中の気は一気に淀み始めた。その原因は、人間の生活の一部となっていた魔法だった。
神の気が宿っている水中で魔法を繰り返し使うことで、水が淀み、流れが淀み、人々は暮らし辛くなったが、改善する手立てがない。水を介して会話することができる賢者達は長く話し合ったが、ある日、なんの前触れもなく、淀みは消え去った。
そして現れた、1人の少年。見た目にそぐわない知識量と喋り方をするその子どもは、ツァフィーニアの生まれ変わりだった。
少年は前世と同じように世界を巡っては淀みを消し去り、気を常に清く保ち続けた。少年が老いて死ねば、また次の生まれ変わりが誕生して世界を巡り、死ねば生まれ変わりと、ツァフィーニアは己の魂を繋げながら世界を守り続けた。
しかし、ある時からツァフィーニアの生まれ変わりが生まれなくなった。賢者達が、人間達がどれだけ捜しても、待ち望んでも、彼女は現れなかった。
ツァフィーニアに頼ることができなくなった賢者達は、彼女の役を担う若者を募った。1人で世界中を巡るのではなく、1本の水霊樹から近場の水霊樹へと行き来する程度の距離の短いものではあるが、それでも人数が集まれば充分に効果が期待されたからだ。
彼女の意思を継ぐと決めた若者達はヴァレラ・ツァフィーニアと呼ばれ、クァカを駆使しながら世界を守る為に奔走した。そのおかげである程度の淀みは改善されてはいるが、彼らの立ち入りが難しい海底の隅や陸に近い浅瀬、川岸などでは淀みが重なり続け、簡単には清さを取り戻せないほどに濃くなってしまっている。
瘴気は水に融けることができない。それ故に、魔族は水に触れることはできない。しかし、水が淀んで瘴気に近い質の物に変化してしまえば、魔族は容赦なく行動範囲を広げるだろう。
賢者達はヴァレラ・ツァフィーニアの育成を進めつつも、ツァフィーニアの再来を期待せずにはいられなかった。彼女が現れてくれさえすれば、世界中の水は清く保たれ、あるべき姿に還ることができる。身動きが取れない自分達の限界を、賢者達は理解していた。
そして、何事もなく過ぎ去ろうとした、普段と変わりのないとある1日の終わり。賢者達は、星々に混ざってこちらを覗く幼い眼の存在に、ふと気づいたのだった。
◌◌◌◆◌◌◌
【賢者達は力を合わせ、幼い眼ガ覗いている星から向こうを覗き返す術を身につけた。と言っても、はっきりと覗けた者はゴーゼンダけデ、他の者ガやれバ薄ボんやりとしか見えなかった為に、覗き見る役は彼に託されたようダ。あとはわかるね?】
巨木の根本、拾ってきた枝をピラミッド型に組み上げながら尋ねてくるトーリュカに、追加の枝を渡しながら宵花は頷いた。
「覗いてたのは私、だったんですね」
【そうダ】
ピラミッドに枝が足され、高さが増していく。
【こちらの世界デ生まれるはズの者ガ違う世界デ生まれてしまった。賢者達はこちらへ連れ戻そうとしたガ、反対する者もいた。我ら自身ガ彼女を頼らズにいられるように成長しなけれバならない、もう彼女を我らから解放すベきダ、と。しかし、淀みの侵食を食い止められないのガ現状。頼らザるを得なかったのダ】
これが最後、とばかりに、トーリュカは1枚だけ葉がついたままの枝を天辺に乗せた。
「生まれる世界を間違えたおっちょこちょい賢者も私、で合ってます?」
【少し違う】
頷かれるものだと思っていた宵花は、予想外の返事に首を傾げた。
【ツァフィーニアの魂は世界の境を越える際に2つに割れた。そして1人の女性の腹に宿り、双子となった。君ダけデなく、君とキョーカの2人ガ、ツァフィーニアの生まれ変わりなのダ】
どうぞ、と言うように、トーリュカは丁寧な手つきで枝のピラミッドを示した。それに応えるように、宵花は与えられたクァカを強く握り締める。空いている方の掌を正面に向けて、体内に巡る魔力を放つイメージを浮かべれば、ぼう、と拳大の火が周囲を照らし、ピラミッドに燃え移った。
【上出来ダ】
頷くトーリュカは満足げだ。
【魔法は使い続けることデ慣れていくガ、使いすギれバ魔力切れを起こし、危機に瀕することもある。暴走の危険もある故、気をつけなさい】
「わかりました」
乱れた魔力を沈めるように深呼吸をして、宵花はクァカを確認する。どことなく、輝きが増しているように見えた。
〔ねえねえ、ボクも魔力の暴走とかするの?〕
尋ねるバイクの車体が左右に揺れる。
【起こさないとは言えないガ、その確率は低いダろう。霊獣に分類される君はショーカ達と違い、魂デ魔法を操れるからな】
勢い余って倒れないよう、トーリュカがバイクを片手で支えた。
「八重丸、迷惑かけないの」
〔ごめーん〕
宵花が叱れば、バイクは素直に謝った。
暁華との通話を終えた後、宵花はバイクに八重丸という名前を提案した。独身時代、お金に余裕があった父が8回塗装を塗り替えたことが由来であり、バイク自身も気に入った為にすんなり受け入れられたのだ。
「他にはどんな魔法を使ってみましょう? もっと威力を強めてみますか?」
【そう急いてはいけない】
もう一度火魔法を試そうとする宵花をトーリュカが止めた。
【まダ練習は始まったバかりダ。時間はたっぷりあるとは言いガたいガ、先走れバ必ズ躓く。これから数日間は日常デ使う魔法の練習に集中すベきダろう】
「そう、ですよね……」
しゅん、と宵花が項垂れる。パチパチと爆ぜる火の粉が燃え移るような物は近場にはない。木の葉は事前に掃いてある。
〔トーリュカ、サイドカーの方は動けるようになれないのかな? あっちも自分で動ければ二馬力なんだけど〕
【さいドかー……、君についていた片割れか。あれも魔力を帯ビてはいるガ、自走するダけの意思は持てないダろう。……いや】
言葉が切れる。
【君ガ新たな魔法を覚えれバ可能ダ。そうダな、遠隔魔法なドドうダろう? 君達は同ジ波長の魔力を宿しているから、慣れさえすれバ遠く離れていても動かせるズダ】
しかし、とトーリュカは続ける。
【互いの距離ガ空けバ空くほド操作は難しくなる。それを補う量の魔力を保ち続けられれバ話は別ダガね】
〔お試しでやってみるのと、そのデータを元に改善策を練りつつ練習しなきゃだね〕
説明を受けながら意気込みを見せる八重丸を横目で見つつ、宵花はもう一度クァカに視線を落とした。
(八重丸は人間の私と違って新しく魔法を覚えることができるのか。それいいな)
宵花のクァカにはあと一枠分の魔法を覚えさせるだけの空きしかない。慎重に考えなければと肝に命じながらも、枠を埋めるのが早すぎたと思わずにはいられなかった。
(暁華と連絡を取り合えるってわかってたらどっちがどんな魔法を覚えるか話せたのにな。私の火魔法なんて、暁華の炎魔法より威力弱そうだし)
むう、と唇を尖らせる。
(……もしかして、一枠をいくつかに区切ればその分たくさんの魔法を覚えさせることができるかな?)
宵花はハッと思いついた。酸素魔法に二枠使ったのなら、逆の要領で区切ることも不可能ではないはずだと。その分威力は弱まるだろうが、それでも手数が増えるのは生きやすくなること、危機を脱しやすくなることに繋がると言える。試す価値は充分にある。
「トーリュカさん、覚えておいた方がいい魔法ってあとどれぐらいありますか?」
聞いてみれば、そうダな、と返される。
【転移魔法や結界魔法ガあれバ役立つ場面もあるダろうガ、君ガ海へ行った後はキョーカと組まされて動くことになるはズダ。この2つは片割れガ覚えているようダから、必要になれバ頼れバいい。しかし、そうとなれバドの魔法ガいいか……】
〔言葉に関する魔法は? 海の中の動物とか、魚とかと話せたら楽しいんじゃない? いろいろ情報もらえそうだし〕
【いや、その魔法はいけない】
即座に待ったがかかる。
〔なんで?〕
【以前、陸屋と呼バれる職の者ガその魔法を覚えていたガ、怪我をしたモノ、死に逝くモノ、恨みつらみを吐き連ねるモノの声を否応なしに聞き続けたガ為に心を病み、自害してしまった。覚えてはいけない】
トーリュカの言葉に八重丸は押し黙る。なるほどねぇ、と宵花は納得した。
(戦おうとするモノからの罵詈雑言。食用として狩ろうとするモノからの命乞い。そんなものが毎日、絶え間なく聞こえてきたら病んじゃうね)
じゃあさじゃあさ、と八重丸が控えめなエンジン音を立てながらトーリュカに近づく。
〔千里眼みたいな魔法は? 遠くの出来事を見ることができれば、誰かが危険な目に遭ってれば気づけるし、転移魔法と併用すれば助けに行けるよね?〕
【せんりガん……。話を聞く限り、透視魔法のようなものか。確かに重宝される魔法ダガ、そういう使い方をした場合、助けガ間に合わなかった時に対応の遅れを責める者も現れるダろう。お勧めはデきない】
〔魔法って難しいね……〕
ねー、と同意を求めてくる八重丸に宵花は笑いながら頷く。ふい、と、トーリュカは遠くに目をやったを
【厄介なモノガ来たな】
「厄介なモノ?」
聞き返すよりも早く、トーリュカが立ち上がる。何かを察したように、宵花は八重丸に跨がった。
【来なさい。ただし、必ず後ろをついてくるように】
「はい」
〔はーい〕
2人の返事が重なる。焚き火に土をかけて消火したトーリュカが走り出し、八重丸はその後を追った。
◌◌◌◆◌◌◌
たどり着いたのは、幅の広い川を見下ろせる崖の縁だった。道中数種類の魔獣、魔物と遭遇したが、襲ってくるモノはいなかった。トーリュカを警戒しているらしく、宵花は危なげなく移動できたことに酷く安堵した。
〔あれ何?〕
川面の上すれすれを舞う蝶のようなモノの群れを見て八重丸が尋ねれば、トーリュカは右手の指をパキパキと鳴らしながら答える。
【あれは木ノ葉ノ刃。生きた木を養分に育つ魔獣デ、羽根部分ガ鋭利な刃物状になっている。元は枯れかけた木に養分を与えなガら旅をする霊獣ダったガ、今は奪う為に世界中を巡り、数を増やしている危険なモノダ】
「与えるモノから奪うモノになっちゃったんですね……」
流れ込んだ瘴気のせいで真逆の質になってしまった元霊獣に、宵花は悲しい気持ちになった。望まれていたであろう羽根が、今は疎まれているという現実を目の当たりにして、初めてこの世界が置かれた状況を理解できた気がした。
【あれも哀れなモノデはあるガ、見逃すわけにはいかない。あれガ通った後は枯れ木ダらけになってしまう】
言いながら、トーリュカは右手を顔の正面にかざし、一呼吸置いた。直後、頭上から雷鳴が轟き、一瞬の内に木ノ葉ノ刃を貫いて撃ち落としてしまった。
【故に、見つけた時はこうする。君も陸デ見かけた時は同ジようにしてくれると助かる】
「……了解しました」
〔ボク、避雷針みたいな魔法覚えようかな……〕
頼んだ、と八重丸に向かって両手を合わせ、宵花は深々と頭を下げた。
真っ二つに裂けた木ノ葉ノ刃が川に落ちる。煌めきを増した川面は何事もなかったかのように静かに流れ続けた。
日を重ねるごとに、トーリュカによる修行は厳しいものに変わった。必死に食らいついて与えられる全てを身につけていった宵花は、気づかぬ内に次の満月を迎えていた。