第7話 魔法
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「渡り人とはいえ、まさかこれほどとは……」
アルスゼリアン・ゴーゼンの中心部に在る、賢者ゴーゼンが姿を変えた水霊樹の枝葉の下で、掌を転がるクァカを見たギリオットは感嘆のため息をついた。
「凄いよねー。あたしで7個、お兄ちゃんで8個なのに、キョーカってば10個も魔法を覚えさせることができるなんてさ」
くりくりした目をさらに丸めながら、レイナージュは頬を赤らめている。初めて見る二桁の魔法を覚えたクァカに興奮しているようだ。
「基本の酸素魔法は当然だが、あとは炎魔法と風魔法と水魔法……。ふむ、転移魔法や結界魔法まで覚えさせるとは、大したものだ」
「しかも火魔法じゃなくて炎魔法だもんね。威力も凄そう」
柔らかい布を敷いた貝にクァカをしまいながら、ギリオットは瞼を閉じた。
「キョーカ殿は今どうしている?」
尋ねれば、レイナージュはわずかに瞳を伏せた。
「部屋で休んでる。お姉ちゃんの遺品を手放さないの。こっちの世界の成り立ちとか、渡り人全員にする説明はあらかた終えてるし、クァカへの魔力込めも見ての通り終了してるけどさ……」
襲われた痕跡を残す宵花の所持品に泣き崩れた暁華は酸欠を起こし、気絶するように眠りについた後、治療棟へと運び込まれた。怪我がないことと、瘴気に中っていないかを確認されてからは宿屋の1室を宛がわれたが、出てきていない。定期的に様子を見に行っているレイナージュ曰く、ズタズタのリュックを枕替わりに、無傷だった寝袋を抱き枕にしてぼんやりとベッドに横たわっているらしい。
「ご飯も柔らかい物をほんの少し食べるだけで、ほとんど残してるんだって。宿屋のおばちゃんが心配してるよ」
「ふむ……。魔力の保有量が多い者は生命を維持する力が秀でている故に、滅多なことでは餓死はせんと聞くが……、その状態が続けばいずれは体調を崩してしまう。なんとかならぬものか……」
頻繁に、とは言えないが、この世界に渡り人が現れることはさほど珍しくはない。召喚に応じてやってくる異世界人と違い、なんの知らせもなく突然世界の境を飛ばされてしまった渡り人達は皆、故郷や家族を恋しがり涙を見せるが、時間を重ねるごとに慣れ、日常に溶け込んでいく。だが、暁華のように身内で同時に渡ってきた者はほとんどおらず、ましてやその連れを即座に亡くしたなどということは初めてだった。
「ゴーゼン・オル・ジェマニ様、ゴーゼン・メイ・ジェマニ様」
水霊樹の向こう側から、険しい顔をしたカイゼルが現れた。
「あ、おかえりカイゼル」
「無事で何より」
にこり、と兄妹は微笑む。
「ロジーと共にもう一度海面付近を捜索しましたが、やはり誰もいませんでした」
「そっかー……。陸屋の人達がいれば陸地も捜してもらえるんだけど、今は近くの町にいないからなぁ」
陸屋とはこの世界の職業の1つであり、その名の通り、魔族が跋扈する陸に上がって様々な作業をする人間達のことだ。誰でもなれるわけではなく、魔力の保有量はもちろん、瘴気への耐性がなければ就職試験を受けることさえできない。その分稼ぎはいいが、最大級の危険を伴う2つの職の片方である。
もう一方は穴屋と呼ばれる職業だ。海底に空いた海中洞窟を通路として、町と町、村と村を行き来して物資を輸送する、生活には欠かせない大切な役割り。魔族に襲われる心配はないが、酸素がなくなればそれまでだ。
陸屋は魔族の、穴屋は酸素不足の危険に常に晒される為、これらの職に就きたがる者は少ない。しかし若者達の中には、危険だからこそやってみたいという無謀な者が一定数おり、毎年犠牲者は出しつつも、人員確保にはさほど困るとはない。ジェマニの称号を持つ者達は、彼らの生存率を高める方法を模索しつつも、その活動に頼らざるを得ない状況に歯痒さを覚える日々を送っている。
「ロジーはどこへ?」
姿の見えない若者を捜すギリオットに、カイゼルは軽く頭を下げた。
「キョーカのもとへ行っています。先にジェマニ様方に報告に来るよう言ったのですが、私に任せる、と……。愚弟の無礼をお許しください」
「構わない。無事ならばいいんだ」
「ロジー、キョーカのところに何しに行ったの?」
微笑むギリオットの隣で、レイナージュがこてんと首を傾げる。
「少しは食事を摂ったのか、部屋を出る気力は湧いたのか、確認したかったようです。姉のショーカを捜索中気にしておりましたので」
「そうか」
カイゼルの説明に、ギリオットは眉間をつまんだ。
ロジーは昔から、他者への感情移入をしやすい男だった。幼い頃、泣いている子どもがいれば貰い泣きをしては周りを困らせ、喧嘩をして怒る友達と一緒に怒って騒ぎを大きくすることも多々あった。成人してからは多少落ち着いてはいるが、姉を、双子の片割れを亡くして涙を流す暁華に同調しているらしく、ギリオットはまた彼が何かをしでかさないか不安に思い、ため息をついた。
◌◌◌◆◌◌◌
「キョーカー、入るぞー」
ノックをした直後、返事を待たずにロジーはドアを開けた。内鍵はあるが、かけられていない。簡素なベッドの上には、捜索前に訪ねた時と同じ小山がそのままの形で残っていた。
「おばちゃんから聞いたぞ? お前、昼飯ほとんど残したんだって? ちゃんと食わねえと痩せちまうぞ?」
明るい口調で言いながら、ロジーは暁華の顔が向いている方へ回り込んだ。寝転んでいる暁華は眠ってこそいないものの、虚ろな瞳はどこを見つめているのかわからず、その目元は赤く腫れている。
「あーあ、こんなに真っ赤にしちまって……」
やれやれ、といった様子で、ロジーは近くの家具の上に置かれていた顔を洗う為の水桶に布を浸し、固く絞ってから暁華の目を覆うようにかぶせた。反応はない。ぴくりともしない暁華に、ロジーはうんうんと頷いた。
「その無反応は予想通りだ」
笑いながらベッドに腰かけ、窓に目を移した。この宿は城壁の一角に設けられており、窓は町を包む水壁と一体になっていて、そこから見える景色は町の外、海の動物達や魚が泳ぐ自然そのものとなっている。
「ここからは外がよく見えるからな。夕方から流速が強まるって予報も出てたし、結構面白いものが見られるかもよ? 流れに乗って遊ぶイルカとか、押し流されてく人間とかさ」
ははは、と笑って振り返るが、暁華は目を覆う布をそのままに、微動だにしない。むう、とロジーが口を尖らせる。
♪~♩♫~
布を退けてみようと手を伸ばしたロジーの耳に、不思議な音楽が届いた。聞いたことのない、どこか癖のあるリズム。音の出所を探ろうとしたロジーだったが、がばり! と勢いよく起き上がった暁華に驚き飛び上がった。
「驚かすなよ! どうした?!」
バクバクと脈打つ心臓を静めようと胸元を押さえるロジーには目もくれず、暁華はベッドから飛び降りた。躓きながら向かった先は部屋の隅。ズタボロのござの隣に無造作に置いてあった芥子色、暁華のリュックだ。
♪~♩♫~
同じリズムが繰り返される。荒い手つきでジッパーを開け、中身をひっくり返した暁華が拾い上げたのは、圏外の文字を確認してから起動することすら忘れていたスマホだった。
画面に明かりがついている。表示されている名前に鼻水を啜った暁華は、震える指先でスワイプした。
「も、もしもし? 聞こえる? ねえ?」
誰もいない壁に向かって喋り始めた暁華に、ロジーは恐る恐る近づいた。あの音を境に、気が狂ったのかと思ったのだ。そんな風に思われていることなど知らない暁華は、雑音しか聞こえないスマホを耳から離し、スピーカーをオンにした。
「ねえってば! 聞こえてるの?!」
暁華が怒鳴る。あまりの剣幕にロジーは声をかけるのを躊躇ってしまった。
《聞こえてるってば。あんまり怒鳴らないでよね》
突然聞こえてきた、部屋にはいないはずの3人目の声にロジーは目を見開く。暁華に似ているが、雰囲気が違う。暁華よりも、どこか大人びた声色だった。
「どこにいるの? カイゼルさんもロジーさんも、ずっと捜してくれてるのに……」
《ん? 誰それ? 私はトーリュカさんの授業を終えたとこだけど》
「そっちこそ誰よそれ?! 私をほっぽいてまで一緒にいなきゃいけない人なの?!」
《お前は私の彼女かっつーの。まあ人ではないね》
「人外?!」
《落ち着け》
口では激しく返しながらも、暁華はぽろぽろと涙をこぼしながら安堵の表情を浮かべていた。床に膝をついたロジーがスマホ画面を覗き込む。そこには暁華が2人、正確には暁華と片割れが、合せ鏡のようなポーズを取った写真が映し出されていた。
「私……、私、あんたは死んじゃったと思ってた……。だって、リュックがあんなボロボロになってて……」
《あー、あれね。ござなんか最悪でしょ?》
「うん……、もう使えない……」
《じゃあ捨てちゃって。勿体ないけど使えないなら持っててもしょうがないし。あ、処分の仕方はちゃんと聞きなさいよ?》
「うん、わかった……」
ぐすぐすと泣きじゃくりながら話す暁華の背中を、ロジーは慣れない手つきで擦る。そこに、控えめなノックの音と共にカイゼルがやってきた。
「失礼するぞ。ジェマニ様方が……、おい、そんな隅で何をしてる?」
「シー」
床に座る2人に不審げな目を向けるカイゼルに、ロジーは静かにするよう人差し指を唇に当てる。顔を上げた暁華は、スマホに向かってすがるように声を絞り出した。
「会いたい……、会いたいよぉ、宵花ぁ……」
暁華の口から漏れた、捜している人物の名前に、カイゼルは怪訝な顔をした。スマホに目線を戻したロジーは、暁華と一緒に微笑む宵花の顔を改めて確認しながら、どうやって見分ければいいんだ? と場違いなことを考えた。
◌◌◌◆◌◌◌
「めっちゃ泣いてる」
〔当然の反応だと思うんだけど〕
トーリュカが寝床にしている巨木の上部、太い枝にバランスよく乗っている、サイドカーを外したバイクに跨がり頬杖をついている宵花が言えば、呆れたような声が返ってきた。
「安全な場所にいるって聞いたから多少は落ち着いてるとは思ったんだけど……。リュックを見られたのはまずかったな」
〔死んでると勘違いされても不思議じゃないよね〕
うんうん、とバイクが声だけで頷く。それは、スマホの向こうにも聞こえたようだ。
《宵花? 隣に誰かいるの? トーリュカって人外?》
「わざわざご丁寧に人外って呼ばなくてよろしい。なんて言ったらいいかな……。……うん、バイクが喋ってる」
《………………は?》
随分溜めたな、と宵花は笑った。
《バイクが喋ってる? え? バイクって、お父さんのバイク?》
「そー。お父さんが乗ってたあんたのバイク」
《あれが喋ってるって? どゆこと? どーやって?》
「よくわかんないけど、スマホホルダーにスマホを置いたら喋り出したよ」
《なんで??》
「えっとねー」
うーん、と首を傾げながら、宵花はトーリュカから教えてもらった情報を、暁華に伝わりやすいよう頭の中で整理した。
「トーリュカさんが言うにはね、異世界から来た人間が持ってきた物の中には魔力を帯びて意思が生まれることが稀にあるんだって。特に長く大切にされてきた物に多いらしくて、まああれだ、付喪神みたいなもんだよ」
《付喪神? あのしゃもじとか櫛とかに脚が生えて走り回るやつ?》
「アニメにそんな話あったね。うちらのバイクもそれだよ。脚は生えてはないけど」
実際はもっと細かい説明があったのだが、今はそこまで話さなくてもいいだろう、と、宵花は短く済ませた。
《そっか、意思が生まれちゃったのか……。だったらあれがいるよね?》
「あれ?」
《名前だよ、名前。つけなきゃ》
暁華に言われて、そっか、と宵花は言った。
〔名前? ボクに名前をくれるの?〕
《うん、いるでしょ?》
〔ほしい! ちょーだい!〕
嬉しそうに揺れるバイクに、宵花は慌ててしがみついた。
「ちょっと! 揺らさないでよ! 落ちちゃうでしょうが!」
〔あ、ごめん〕
《落ちる? あんた達どこにいるの?》
「聞かないで」
宵花からすれば、ただでさえ高いうろにいたのにさらに上へと登らされたのは不本意の極みでしかない。巨木そのものがトーリュカの縄張りであることで魔獣に襲われる心配はないものの、落ちるかもしれない、という不安は常につきまとい、現在も脚がすくんでしまっている。
《まあ詳しくは会えてから聞くわ。こっちに来れそう? いつ会える?》
「それなんだけどねぇ……」
姿勢を正してから、宵花はスマホをまっすぐ見つめた。
「あんた、クァカってもらえた?」
《クァカ? うん、もらえたけど?》
「私もトーリュカさんからもらったんだけどね? それにいくつか魔法を覚えさせたんだ」
宵花がトーリュカの指導のもとクァカに覚えさせた魔法は、酸素魔法を2つ分、火魔法、風魔法、雷魔法、氷魔法、回復魔法、防御魔法、そしてーー
「それとスマホ魔法。略してス魔法だね」
《だっさ》
即座に返ってきた暁華のツッコミに、宵花はケラケラと笑った。
「だって他にいい名前がなかったんだもん。意外と語呂がよくない?」
《語呂なんかどうでもいいわ。それより、スマホ魔法ってどんな効果があるの?》
「ある程度の魔法を覚えた後、他にも身につけておきたい魔法があるなら強く念じてみるといいってトーリュカさんが言ってたからさ、スマホがこっちでも使えたら便利だなーって思って試したらできた。だからあんたにかけてみたの」
《電波はどうなってんの?》
「知らない」
《バッテリーは?》
「私そのものがバッテリーの役割を持ってるの。そういう風に念じたからね。持ってるだけで常に充電されてく感じかな?」
《過充電になって壊れない?》
「……そこまでは考えてなかった」
あちゃー、と額に手を当てる宵花に、それならさ、とバイクが声をかけた。
〔壊れた時はボクに任せてくれたらいいよ。ボクね、修復魔法が使えるから直してあげられるよ?〕
「え? マジで? クァカ持ってたっけ?」
〔ボクは人間じゃないから魔法を使えるんだ。といっても今のところ2つだけだけどね〕
《あんた優秀だね》
暁華の声に混じって、パチパチという音が聞こえてくる。拍手をしているらしい。
〔暁華もス魔法覚えといた方がいいよ? 宵花からはかけられるけど、暁華からはかけられないだろうから〕
《ス魔法呼びが定着してる……。そうだね、私もやってみる。まだクァカに覚えさせられる魔法の枠に空きがあるからさ》
「何個あるの?」
《えっと、全部で10個枠があるんだけど、今は酸素魔法と炎魔法、風魔法、水魔法、転移魔法、結界魔法だね。ス魔法を入れたら7個だから、あと3つか》
「暁華も10個なんだ。私もだよ。こっちの空きは……、あー、あと一枠しかないわ」
両手の指を折りながら数えていった宵花は、覚えられる魔法が残り1つしかないことに気づき、もっとゆっくり考えればよかったな、と今さらながらに思った。
《あと一枠? でも魔法は八種類しかなくなかった?》
「そうだけど、酸素魔法に二枠分使ってるからね。だからあと一枠」
《なるほど》
暁華が頷く気配があった。
「それで、合流についてなんだけど。満月が欠け始める日が魔物の動きが鈍くなるらしくて、移動するにはもってこいっぽいんだよね」
《え?! じゃあ今日こっちに来るの? 海面まで迎えに行くよ! 何時?!》
「待て待て」
こつん、と宵花はスマホをつついた。
「私ね、海に潜るのは来月にしようと思ってるんだ」
《……来月? なんで?》
途端に、暁華の声が不安げな色に変わる。予想していた通りの反応に、宵花は笑いそうになるのを堪えた。
「この世界ってさ、海に潜ったら陸にはなかなか上がれないんでしょ? でもこの先絶対陸に上がらないとは限らないじゃん? だから、陸にいる間、助けてくれる人がいる間に学べることを学んでおきたいの。トーリュカさんにそうお願いしたら、次の満月の欠けまで面倒見てくれるって言ってくれたんだ」
瘴気に耐性のない者は魔族へと転化する。そういう世界に飛ばされてから今まで、瘴気に満ちた陸で過ごしていながらも人間のままでいられている宵花は、耐性がある者だ。例え拠点を水中に移したとしても、陸に用があれば上がる日は必ず来る。その日の為の備えをしたいが故に、宵花は陸に関する知識をトーリュカから学びたいのだ。
「暁華。不安なのも、早く会いたいのもわかる。だけど頷いてほしい。これから過ごす1ヶ月を、海の中だけの知識で埋めたくないの」
《いいよ》
「さっき名前を言ってた人達はいい人達なんでしょ? だったらあんたも頼らせてもらって……、あれま、返事が早い」
ごねられると思っていた宵花はあっさりした返事に目を真ん丸にした。
《宵花は陸でいろんなことを勉強して。私はこっち。海の中を担当するから》
「いいの? 1ヶ月も会えなくて」
《ほんとは嫌》
即答される。
《だけど、宵花は嘘はつかないから。1ヶ月でこっちに来るって約束してくれるなら、私は待つ。その間、宵花とは違う勉強をする。あんたが人外から異世界を学ぶなら、私は人間から学ぶわ》
きっぱりと、はっきりと言い切る暁華に、宵花は薄く微笑んだ。
「そうだね。せっかくの双子なんだから、おんなじ時間をかけておんなじ勉強をするよりも、それぞれが違うことを覚えて情報を共有した方がいいに決まってる」
《そうだよ。1ヶ月かけて2人分の勉強ができるなんてさ》
「《サイッコーじゃん》」
スマホを通したあちらとこちらで、笑い声が重なる。腹が痛み始めるほどに笑った宵花は、はあ、と息をついた。
「それじゃ、そろそろ切るね」
《ちょっと待った!》
通話を終えようとしたら、慌てた声でストップがかかった。
「ん? どしたの?」
《どしたのじゃないよ。バイクの名前決めなきゃ》
「ああ、忘れてた」
正直に言えば、ひどーい、とバイクが不満げに揺れた。
「だから揺れるなってば! ずっと黙ってたから忘れてたよ」
〔邪魔しちゃ悪いと思ってさ。でも名前はほしい! 早くちょーだい!〕
《はいはい》
えっとねー、と暁華が考える声が聞こえてくる。
《どんな名前がいいかな? やっぱり和風? それとも洋風がいい?》
〔どっちでもいいよ。宵花と暁華が決めてくれたらなんでも!〕
《うーん……。……じゃあイガグリ!》
〔やだ〕
《なんでよ?!》
心外! とでも言いたげに暁華が叫ぶ。
〔ボクのどこにイガグリ要素があるっていうのさ。寧ろ真逆じゃない? ツルツルすべすべボディーだよ?〕
《えー、可愛いのになぁイガグリちゃん》
〔宵花ー、やっぱり宵花が名前つけて〕
「任された」
バイクの頼みを宵花はすんなり引き受けた。暁華は小学校で生まれた兎にウナギ、男子が拾ってきた亀に出歯亀と名づけるなど、独特なネーミングセンスを持っているので、バイクが拒否するのは目に見えていたからだ。
「じゃ、名前はよーっく考えてつけるとするよ。今度こそ切るね。頑張れ暁華」
《うん。頑張れ宵花》
画面をタップして、スマホをスリープモードにする。背伸びをした宵花は大きなあくびをこぼした。
時刻は深夜。大地を照らす月と瞬く星々の煌めきに目を擦り、宵花はハンドルを握った。
「さて、ス魔法もうまく使えたし、うろに戻ろっか。トーリュカさんもあんまり遅くならないようにって言ってたしね」
〔うん、戻ろう〕
そう返したバイクがくるりと向きを下へ変えた。宵花の髪がさらりと垂れる。視界に映るのは幹と葉の表、そして地肌だ。
〔ボクが持ってるボクだけの魔法。走行魔法の出番だね。木の幹だろうが海底だろうが張られたロープだろうが、タイヤが触れる面さえあればどこでも走っちゃうよ!〕
得意気に語るバイクだが、宵花は返さなかった。
(登る時はよかったけど……、これ、ジェットコースターだな。直下型の)
幹を地面に見立てているバイクに跨がる宵花は、まっすぐ真下を見下ろす姿勢になっていた。バイクが走り出せば、本物の地面に対して垂直に突っ込んでいく形になる。たまに行った遊園地でも、絶叫系の乗り物を極力拒んできた宵花にとって、まさしく地獄への直行便だった。
「ねえ、登ってきた時みたいにさ、背中を下に向けてバックで下りるっていうのは……」
〔じゃ、しゅっぱーつ!〕
「あ、死」
宵花の言葉が途切れる。風を切る独特な機械音に驚いた小さな鳥型の魔獣達が、耳障りな威嚇の声を上げたが、宵花には聞く余裕すらなかった。