第6話 縄張り
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⑥
【飲みなさい。温まるから】
「いただきます」
差し出された湯気が立つ器を受け取った宵花は、こくり、と一口飲み込んだ。
「あ、美味しい」
【セシカの実のスープダ。底の方に沈んデいるから、これデ掬うといい】
胡椒に似た味つけのスープに瞳を輝かせれば、木を梳って作られたスプーンを手渡され、ぺこりと頭を下げる。宵花の正面で胡座を掻いているのは、枝分かれした角が特徴的なあの魔物だ。
【ジきに日ガ傾き始める。獲物を求めるモノ達の動きガ活発になる時間ダ。片割れは無事ダから、今日はゆっくり休むといい】
「何から何まで、ありがとうございます」
【いいんダ】
のそり、と立ち上がった魔物、トーリュカが宵花から離れ、姿を消す。飛び降りたのだ。
宵花がいるのは、巨木という単語が可愛く思えるほどの巨大な木の中腹に空いた、これまた巨大なうろである。敷き詰められた乾し草の上には大きな葉が数枚敷かれていて柔らかく、体を痛めることはない。スプーンでセシカの実を掬った宵花は、もぐもぐと頬張りながら穴の外を眺めた。
遠くの空に、異様な形の影が飛んでいる。それは別の影に追われており、追いつかれ、喰われた。千切られて墜ちる翼を、別の影が咥えて飛び去っていく。そんな光景が、そこかしこで行われていた。
「危うく死ぬところだったな……」
他のモノの糧となった影を眺めつつ、呟く。思い出すのは、ほんの数時間前の出来事だ。
海に落ちた暁華を助ける為に飛び込もうとした宵花だったが、叶わなかった。向かおうとする方向とは逆の、崖の上へと強く引っ張られたからだ。
気づかぬ内に、背負っていたリュックに絡みついていた植物の蔓。それを操ってたのが宵花達を見下ろしていた魔物であり、魚のように釣り上げられた宵花は地面に叩きつけられてしまった。
痛みに呻く宵花を、魔物は手荒に扱った。喰らうよりも先にリュックに興味を持ったらしく、魔物は無理矢理宵花を引き剥がし、放る。再び体を打った宵花は足首を捻り、右腕の骨にひびが入ってしまい、蹲った。
暁華と色違いで揃えたリュックを弄んだ魔物は、ござを喰い千切り、ズタズタに裂いて海へと放り捨てた。そして宵花に目を戻す。痛みに立ち上がることさえできなかった宵花を救ったのが、トーリュカだった。
咆哮を上げながら宵花と魔物の間に立ち塞がったトーリュカは、一撃で魔物の首をへし折り木々の向こうへと投げた。直後、バキバキという骨が砕ける音と咀嚼音が聞こえてきて、呆然とそちらを見ていた宵花を抱き上げたトーリュカがここまで連れてきたのだ。
「随分と器用な手先だこと」
そう呟く宵花の腕と足は、木の枝と細く切られた魔物の皮で固定されている。トーリュカにより施された手当てに、宵花は感心したように呟いた。
もちろん、助けてもらったことと言葉が通じる、という2点だけで出された食事を素直に受け取るほど警戒心の薄い宵花ではない。しかし、毒など盛らないだろう、と断言できるほどの恩を、宵花はトーリュカに感じていた。
〔見た目は変な角が生えたでっかい猿顔のサテュロスなのにね。あ、猿顔だから器用なのかな? 異世界ってびっくりすることがたくさんで楽しいねぇ宵花!〕
「……あたしゃあんたが喋ってることにびっくりだよ」
残っているスープで両手を温めながら苦笑する宵花の耳に、ころころと笑う可愛らしい声が届く。声の主は、暁華の愛車であり父の形見のバイクである。
〔ボクさー、2人が戻ってくるのをずっと待ってたんだよ? そしたらいきなり見たことのない動物達が出てきたからすっごく驚いて、ずーーーっと息を潜めてたんだ〕
「バイクの息とは??」
〔で、なんかでっかい蛇みたいな奴が近づいてきてヤバい! ってなった時にトーリュカが助けてくれたんだ。凄かったんだよ? 真っ二つに引き千切っちゃってさ! 内臓飛びまくり!〕
「えっぐ」
雄叫びを上げながら大蛇を千切るトーリュカを想像して身震いした宵花は、誤魔化すようにスープを飲んだ。
現在身を隠しているうろに運ばれた時、バイクは既に運び込まれていた。目を丸くした宵花だったが、トーリュカは連れてきた、とだけ言ってすぐに手当てと食事の準備に取りかかった為に、なぜわざわざ運んでくれたのか、何よりこのバイクが宵花達の物であるとどうして知っていたのか、相手が魔物であることも忘れて問い詰めたかった。
とはいえ、自分の為に動いてくれているらしいトーリュカの邪魔をするわけにもいかず、ポケットに入れっぱなしだったスマホを何の気なしにスマホホルダーにセットした瞬間、水を得た魚のようにバイクが喋り始め、疑問に思っていたことを全て教えてくれたのだ。
〔トーリュカさんはね、宵花達がこの世界に来たことに気づいて迎えに行ったそうだよ。だけど2人が海に入っちゃったから、呼びに行けなかったんだって〕
「そうだったんだ……。なんか悪いことしちゃった感じ?」
〔いやいや、結果的にはよかったってさ。宵花達の匂いを嗅ぎつけた他の魔物達も寄ってきちゃって、流石にそいつらをまとめてやっつけるのは骨が折れるから助かったって〕
「そっか」
スープを飲み干し、空になった器を下ろす。
〔暁華が落ちちゃったのは想定外だったって言ってたよ。でも海にはファム・ドゥーンがいるし、賢者のところに案内するだろうからそっちも問題ないってさ〕
「ファム・ドゥーンか……」
夢の中で見た、影のようなモノを思い浮かべる。
「暁華は今どこにいるの? 無事としか言われてないけど」
〔アルスゼリアン・ゴーゼンっていう、賢者の保護下にある海底の町だよ〕
(アルスゼリアン? シューリーさんの名前がついてる町はロイヴレフトだったはず……。ただの町名? 何か意味があるのかな……。でもゴーゼンさんの保護下の町なら安心だね)
それでも急いで合流しないと、と考えながら、宵花は顎にスプーンの柄を当てて唸る。ギシギシという音に目を向ければ、トーリュカが這い上がってくるところだった。
【これをやろう。持っていくといい】
大きな手が差し出され、反射的に受け取ってみれば、それは大粒の真珠に似た玉だった。
【パーニカム貝から作られる、クァカという宝石ダ。人間達は皆それに魔力を込めて生活の一部として使っている。君も試してみるといい】
「魔力を込める? 私が?」
クァカをつまみながら、宵花は眉を寄せた。
「私には魔力がありません。込めるものがないです」
【案ズるな。過去にこの世界へ来た渡り人達は全員魔力を宿していた。君にもある】
「え、それって火魔法とか水魔法が使えるってこと?」
【全て君次第ダ】
そう答えて、正面で胡座を掻いたトーリュカは宵花が置いた器を左の掌に乗せる。じぃ、と見つめられる。真似をしろ、という意味だと思った宵花は見様見真似でクァカを掌に乗せた。
【まズは、自身の体内を流れる魔力を込められるダけ込めなさい。川を思い浮かべるといい。心臓から生まれた川ガ、クァカに流れ込む様を想像するんダ】
「川、か……」
宵花は、幼い頃に家族で遊びに行った川を思い出した。透明度の高い水は冷たく、どちらが長く潜っていられるか暁華と競争し、全く同じタイミングで浮上して大笑いしたことがある、流れの緩やかな川。大きくなるに連れて行く回数は減ったが、楽しかった思い出が詰まった大切な場所だ。
(もう行けないかもしれないなぁ。まさかこんな形で思い出すなんて)
瞼を閉じ、髪から水を滴らせる暁華を思考の端に追いやってから、宵花は意識を集中させた。
◌◌◌◆◌◌◌
【もういいダろう、ショーカ】
トーリュカの呼びかけに、宵花はハッと瞼を開けた。
〔お疲れー。随分黙り込んでたけど、そんなに大変だった?〕
心配そうにバイクが聞いてくる。ぼんやりと虚空を見つめていた宵花は、視界の隅に映った空が暮れかけていることに気づき、目を丸くした。
「夕方? え? そんなに時間経ってた?」
〔気づけないぐらい集中してたんだね。凄いね〕
バイクに褒められたものの、宵花は喜ばなかった。体感時間はほんの10分ほどだった為、ここまでの時間が過ぎていたことにただただ驚くことしかできなかった。
【見せなさい】
トーリュカに言われてクァカを差し出す。掌で転がるそれは、渡された時よりも輝いて見えた。
【うむ。充分ダ。デは次の段階に移ろう】
受け取ることなく、クァカを確認したトーリュカが人差し指を立てる。その仕草が中学生の時の担任に似ていて、宵花は噴き出しそうになるのをどうにか堪えた。
【クァカは込めることがデきた魔力量によって覚えさせる魔法の数が変わってくる。君の場合はそうダな……。10は可能ダろうガ、その内の二枠分は酸素魔法に使うベきダと思う。ドうダね?】
「酸素魔法、ですか?」
聞いたことのない魔法に首を傾げる。答えたのはバイクだった。
〔酸素魔法はこの世界独特の魔法みたいだね。水中を移動する時に使うものだよ。ほら、宵花は夢の中で頭にシャボン玉をつけて歩いてる人達を見たことがあるでしょ? あれだよ〕
「あれか」
なるほど、と納得すると同時に、なんで知ってるんだ? とも思ったが、口には出さなかった。
【クァカには1つダけ魔法を覚えさせている物と、複数の魔法を覚えさせている物の二種類ガある。この世界の人間達は生まれた時にクァカを1粒与えられ、13歳デ魔力を込める儀式をする。後者のクァカを得ることガデきた子ドもは酸素魔法を優先的に覚えさせ、前者の子ドもは酸素魔法のみを覚えさせた上デ、その他に必要となる魔法を覚えているクァカを必要に応ジて購入して使うんダ】
ダガ、とトーリュカは続けた。
【生まれた日に与えられた物はファ・クァカと呼バれ、10年以上の時間をかけて持ち主の魔力に適した波長に変化する。持ち主ガ最も扱いやすいクァカになるんダ。しかし、成長してから購入する物、エルク・クァカは万人ガ扱える故に購入者に完全に馴染むことはない。ファ・クァカほドの力を発揮することがデきないエルク・クァカに、酸素魔法という大切な魔法を覚えさせるのは心許ないんダ】
〔劣化版みたいなもんだね〕
きっぱりと言ったバイクに、トーリュカが頷く。
「あの、ファ・クァカに入れることができる魔法の最大数は何個なんですか?」
宵花が尋ねれば、
【過去に確認されているのは12ダ】
そう返され、目をぱちくりさせる。
「12? でも、私のは10ですよね?」
〔10って言ってたね〕
「こっちの世界の生まれでもなく、ファ・クァカをついさっき渡された私がなんでそんなにたくさんの魔力を込めることができたんですか? 1つの魔法を覚えさせることがやっとの人もいるんですよね?」
宵花は異世界に来て初めて魔力を得た。なのに、与えられたクァカには最大数に近い魔法を覚えさせるだけの魔力を込めることができている。トーリュカから受けた説明との矛盾に、宵花は疑問を抱かずにはいられなかった。
「もしかして、異世界から来た人間はみんなそれぐらいの魔力を持ってたんですか?」
【確かに、渡り人達はこちらの世界の人間に比ベて魔力の保有量が多い者ガほとんドダ。ファ・クァカに覚えさせる魔法の数も、5、6ほドが多かったな】
「私の半分じゃん……」
【君と、君の片割れは特別ダからダ。そのクァカを見て確信した】
特別? と宵花は繰り返した。
【ショーカよ。腕と足は痛むか?】
突然、話題を逸らされた。
「腕? いえ、あんまり。このうろに来た時はまだ痛かったんですけど、スープをいただいた頃にはちょっと動かしにくいかなってぐらいでした」
〔器もスプーンも、普通に使ってたもんね〕
「うん。問題なかった」
試しに右手を握ったり開いたりしてみるが、痛みは感じない。それどころか、怪我をする前となんら変わりなかった。皮をほどき、添え木を外す。大きく伸びをしても、ちくりともしなかった。
【君の魔力ガ、無意識の内に体を治癒したんダ。酸素魔法以外に、回復魔法も覚えさせておいた方ガいいだろう】
言うや否や、トーリュカは宵花の指先を掬い上げた。映画に出てくる紳士のような手つきにむず痒さを感じ、目を逸らす。宵花の指先を握ったまま、トーリュカは目を細めた。
【早速魔法を覚えさせよう。やり方は教えるから、先ほド言った酸素魔法と回復魔法デいいかね?】
「あの、教えていただけるのは凄くありがたいんですけど……」
申し訳なさそうに、宵花は俯いた。
「私、早く暁華のところに行きたいんです。あいつ、私がいないと結構人見知り激しくて……」
強引さが目立つ暁華だが、それはすぐ傍に宵花がいるから、という条件がつく。1人でいる時の暁華は借りてきた猫のように大人しくしていることか多いのだ。
【心配なのはわかる。ダガ、片割れは安全な場所にいるから危険はない。信ジるか?】
「はい、信じます」
【ならバ、君は今ここデ学ベることを全て学んデいきなさい。そうダな……。……出発は明後日にしよう。魔物達の動きが鈍る日ダから】
「動きが鈍る日?」
【そうダ。満月ガ欠け始める日ガ最も鈍い。移動するならその日ガいい】
トーリュカにじっと見つめられる。しばらく考える素振りを見せた宵花は、しぶしぶといった様子で頷いた。
【いい子ダ。デは始めよう。ワタシの真似をしなさい】
「はい」
返事をする宵花に、トーリュカは柔らかく微笑む。初めて見るその表情に、宵花も微笑み返した。