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第5話 出会い

ご閲覧、評価、ブックマーク、いいね、ありがとうございます。

 暁華は踠いた。息を止め、必死に両手を海面へと伸ばすが届かない。それどころか、どんどん沈んでいっている。

 予想だにしなかった魔物の登場に怯み、足を滑らせ尻餅をつこうとした暁華は、そこが岩場の終わりであったせいで後転するように海へ落ちてしまった。それだけならばすぐに浮かぶことができたはずだが、運の悪いことに、海中には浮上を阻むモノが潜んでいた。


(何あれ?! なんなのあれ!?)


 体では海面を目指しながら、顔だけを海底に向ける。水を蹴ろうとする両脚は動かない。いや、動かせないのだ。

 足首に触れる、海水よりも冷たいモノ。輪郭はないのに、影はある。姿を持たないナニカに、暁華は捕まっていた。


(なんだっけあれ……、宵花が何か言ってたような……)


 片割れから聞いた異世界の話を必死に思い出す。こぽり、と口の端から空気がこぼれる音に、暁華はある名前を思い出した。


(ファム・ドゥーン! ファム・ドゥーンだ!)


 海水、淡水を問わず水中を漂う無形の存在、ファム・ドゥーン。流木や大型の水棲生物の影のようなそれははっきりとした意思を持っており、宵花から聞く限りは人間を襲うことのない中立的なモノのはずだった。

 宵花が夢の中で初めてファム・ドゥーンを見た時、シャボン玉のような空気玉を頭につけて海底を移動している人間達の後ろを泳いでいたらしい。悪戯をするでもなく、遊びたげにちょっかいを出すわけでもなく、人間達が生む流れに乗ってゆらゆらしていた、と。足首を掴むモノがファム・ドゥーンならば、なぜ自分を海底に引きずり込もうとするのか、暁華にはわからなかった。


(もしかして違うモノだったりする? それとも私が別の世界の人間だから警戒してるの?)


 どれだけ思考を巡らせても、答えは出ない。不思議と水圧を感じることはなく、耳抜きをする必要はなかったが、視界が暗くなるに連れて意識が遠退き始めた。

 ごぽり、と大きな泡が口から漏れる。当然、酸素は吸えない。全身の力が抜けていく。片割れの顔を思い出しながら瞼を閉じかけた瞬間、ぱっと目の前が明るくなった。


『おい、しっかりしろ!』

『息をするんだ!』


 足首の冷たい感触がなくなると同時に、両手を強く握られる。声に反応して大きく息を吸った暁華は激しく噎せ込んだ。


『お前、海面に近づいたのか? なんて危険なことを!』

『見ない顔だな。どこの町の奴だ?』


 目を擦ろうとすると、水面に触れるような感触があった。瞼を開けば、怒ったような顔の男と、不思議そうな顔をした男がいた。


『え、誰?』


 声に出せば、泡ではなく音が出た。男達の顔は微かに揺らめいている。頭部に例のシャボン玉をかぶっているのだ。自身の頭にもそれがついていることに、暁華はすぐに気づいた。


『それは俺が聞いたんだけど?』


 奇妙に反響する声で、不思議そうに首を傾げていた男がムッとする。なぜ呼吸ができるのか、2人は誰なのか、いくつもの疑問が頭の中をぐるぐると回っていた暁華の口からまず飛び出したのは、置き去りにしてしまった片割れのことだった。


『も、戻らなきゃ! 宵花がまだ陸にいるの!』

『は? ショーカ?』

『陸にって……、まさか上がったのか? この一帯は魔物だらけなんだぞ!』


 魔物と言われて怯んだ暁華だが、そんな些細なことは脳裏からすぐに掻き消えた。


『双子の姉なの! 陸には行きたくて行ったんじゃない! 崖の上から変な奴が私達を見てた! 早く行かないと襲われちゃう!』


 必死に訴えると、男達は険しい表情で顔を見合わせた。


『ロジー、俺が陸を見てくる。お前はこいつを連れて町へ戻れ』

『戻れったって、1人じゃ危なすぎるだろ! 俺も行く!』

『駄目だ。お前は予備のクァカを使っただろう? どれだけ酸素が保つかわからん。下手をすれば死ぬぞ?』


 人差し指を突きつけられたロジーが、ぐ、と黙る。間髪入れずに、指を突きつけた男は暁華に向き直った。


『姉が心配なのはわかる。だがここからは俺に任せろ。まずは自分の安全を確保するんだ』

『で、でも……』


 あのような危険な場所に宵花を置いていくことなどあり得ない。そんな考えを読まれたのか、暁華は男に両肩を掴まれた。


『行くんだ』


 有無を言わせない、絶対的な命令。男の眼光の強さに、暁華は頷くしかなかった。




 ◌◌◌◆◌◌◌




 ロジーに手を引かれ、暁華は海底へと潜っていく。その両脇を揺蕩うのは、暁華を海中へと引きずり込んだファム・ドゥーンだ。


『感謝しろよ? 魔獣から引き離してくれたのも、お前がいることを俺達に教えてくれたのもそいつらなんだから』

『う、うん……』


 おっかなびっくり手を伸ばせば、ファム・ドゥーンは触手のような細い影を伸ばし、指に絡ませてきた。


『助けてくれてありがとう。ファム・ドゥーンも、あなたも』


 そう言えば、ん? とロジーが振り返る。


『予備の、クァカ? 私に使ってくれたんだよね? 貴重な物なんじゃないの?』

『クァカが貴重かだって?』


 はあ? とロジーが語尾を上げた。


『貴重なんてもんじゃねえだろ? これがねえと俺達は町から出られねえんだから。何言ってんだ?』

『ご、ごめん……』


 しょんぼりと暁華が謝る。その様子にロジーはやりにくそうに唇を歪め、まっすぐ正面を向いた。

 ロジーはエイに似た動物に繋がれたロープを掴み、体力を使うことなく海底に向かって泳いでいく。されるがままだった暁華は、向かっている先に町並みを見つけ、目を見開いた。


『町……』

『あ? ああ、あそこが俺が住んでる海底の町、アルスゼリアン・ゴーゼンだ』


 聞き覚えのある名前に、暁華は瞬きをする。


(ゴーゼン……。シューリーさん達といつも話してる、あのゴーゼンさん?)


 宵花が言うには、シューリーやゴーゼンはかなり位の高い存在らしい。下手なことは言わない方がいいだろうと、暁華は口を閉じた。

 ロジーを引っ張るエイが、町を囲う城壁へと近づいていく。ロープを離したロジーは、暁華の手を引いたまま門の正面にゆらりと降り立った。

 門と言っても、重厚な扉で閉ざされているわけではない。石を積み上げられて造られた柱の間は開放されており、宙には雪の結晶に似た紋様がふわふわと浮かんでいるだけだった。


『ちょっと待ってろ』


 暁華の手が解放される。同時に、ファム・ドゥーンも離れていった。どこに行くのか気になって目で追うものの、ファム・ドゥーンは霧のように海中に散って消えてしまった。

 自身の胸元をまさぐったロジーは、首に下げていた小粒の宝石を服の中から取り出し、門にかざした。


『ロジーだ。今戻った。入れてくれ』


 宝石が光り出す。それに呼応するように紋様が揺らめき、消えた。


『ついてこい』


 手招きするロジーの後ろを、暁華は素直についていく。紋様が浮かんでいたところを通ると、頭にかぶっていたシャボン玉がパチンとはじけた。


「ぅわ! ……あ、声が……」


 聞こえ方が変わったことに暁華は驚いた。同時に、服が乾いていることにも気づいて目を見開く。ふと視線を落とせば、足元に白い小さな玉が落ちているのが見えて、拾い上げる。人差し指の爪ほどの大きさがあるそれは、真珠によく似ていた。


「おかえりロジー。で、そちらさんは?」


 門の近くにいた男が声をかけてくる。ロジーはちらりと暁華を見た。


「海上の近くで拾ったんだ。ファム・ドゥーンから助けてくれって感じで頼まれた」

「ファム・ドゥーンが?」


 目を丸くした男が暁華をじろじろと眺める。なんだなんだ? と、海底の町民達が群がってきた。


「あなた、海面の方にいたの? 危ないじゃない」

「みょうちくりんな格好をしてるな。どこの町のもんだ?」

「おーい、ロジーが女の子連れてきたぞー!」

「みんな集まれー!」


 ぞろぞろと町民達が集まってくる。あまりの多さにたじろいだ暁華は、話しかけてくる人々にただただ微笑みを返すことしかできなかった。


「皆よ、下がりなさい」


 喧騒を、芯の通った声が貫く。直後、人の波が真っ二つに割れた。


「お、ゴーゼン・オル・ジェマニ様にゴーゼン・メイ・ジェマニ様じゃねえか」


 ロジーが言った、これまた聞き覚えのある単語に、暁華は割れた人波の先を見た。そこには自分よりも遥かに背の高い男と、10才になるかならないかといった齢の少女が立っていた。


「あー! 本当にいたよ、渡り人!」


 無邪気な声で、少女が暁華を指差す。


「黒い髪と琥珀の眼。間違いない」


 男が頷いた。


「え? 渡り人? お前が?」


 きょとんとした顔で、ロジーは暁華を見下ろした。


「渡り人ってなんですか?」


 尋ねれば、


「異世界人のことだよ。あたし達の喚びかけに応えてくれた人達とは違って、いきなりぽんとこっちの世界に飛び込んじゃった人達をそう呼ぶの」


 少女にそう返された。


「そっか、渡り人ならクァカのことを知らなくても当然だよな。悪かったな、あんな言い方して」

「い、いえ、大丈夫です」


 謝罪されたことに、暁華は目をぱちくりさせた。

 服の裾を翻しながら、2人のジェマニが正面にやってくる。男の方が、軽く頭を下げた。


「お初にお目にかかります、渡り人よ。わたくしの名はギリオット。こちらは妹のレイナージュです」

「はじめまして!」


 先生に当てられた生徒のように手を上げる少女、レイナージュに、暁華は小さく手を振って応えた。


「はじめまして。加々美暁華です」

「カガミキョーカ? 不思議な響きね?」

「加々美は名字だから、暁華でいいよ」

「キョーカ!」


 嬉しそうにレイナージュが繰り返す。ニカッと笑う少女を微笑ましく眺めていたら、ぽんっと肩を叩かれた。


「あんまり無礼な真似はするなよ? お二方は賢者であるゴーゼン様の子孫なんだからな」

「賢者?」


 小説の中でしか聞いたことのない単語に首を傾げると同時に、宵花の予想は正しかったんだ、と暁華は思った。


「賢者様は水の中にある町や村を守ってくれる方々のことだ。あー、渡り人にはどこから教えればいいんだ?」


 ガシガシとロジーが頭を掻く。キョロキョロとアタリを見回したレイナージュが、くい、と裾を引っ張った。


「ねえロジー、カイゼルは?」

「ああ、はぐれちまったキョーカの姉ちゃんを捜しにいってんだ。長居はしないだろうし、そろそろ戻ってくるんじゃねえか?」


 聞いたことのない名前に、暁華はここにはいないもう1人の顔を思い浮かべた。


(あの人、カイゼルって名前だったのね)


 ロジーとは海中を移動している間に自己紹介を済ませていたが、その前に別れた男の名前は初耳だった。


「お、噂をすればだ」


 説明をしながら門を見ていたロジーが、上の方を指差した。はじかれたように、暁華もそちらに目線を移す。ロジーと同じ、エイのような生き物に繋いだロープを掴んだカイゼルと、その隣のぼんやりとした輪郭を見つけ、走り出した。


「宵花!」

「待ちなさい」


 さっと差し出された手に制止される。見上げれば、ギリオットの険しい表情があった。


「戻りました」


 門をくぐったカイゼルが、ギリオットに頭を下げる。それと同時に解放されたが、暁華はカイゼルの手元を凝視したまま、立ち尽くしていた。


「無事で何よりだ。それで、彼女の姉は?」

「それが……」


 眉間にしわを寄せながら、カイゼルは左手に握っていた物を顔の高さまで持ち上げる。


「海面や、見える範囲の陸地を確認しましたが、人影は見つけられませんでした。代わりにこれが」


 カイゼルが近づいてきて、手に持っていた物を暁華に手渡す。見慣れた老竹色と、ズタボロになりながら辛うじて刺さっているござ。そして、切れたショルダーハーネスと裂かれた布地に、暁華の視界が滲む。


「色は違うが、お前が背負っている物に似ている。姉の持ち物で間違いないか?」


 確認を取るカイゼルに、暁華は返事を返さなかった。いや、返せなかった。

 嗚咽が漏れ始め、手が震え出す。膝から崩れ落ち、見るも無惨な姿に変わり果てた宵花のリュックを抱き締める暁華の慟哭に、周りにいる者達は否応なしに悟ってしまった。




 ◌◌◌◆◌◌◌




 遥か遠くの海底、裂け目の底に、蠢く影が2つ在る。


〔クルルルル?〕

〔キュイールルル!〕


 甲高い声と、カチカチという不思議な音。波がうねる低音の中に響くそれは、まるで会話をしているようだった。


〔クルル!〕

〔キュイ! キュイールル!〕


 土埃を巻き上げながら、2つの影が動き出す。光の射さない闇の中を、ぶつかり合うことなく泳ぎ始めたそれらは、放たれた弾丸の如きスピードで浮上した。

 鼓膜に届いた悲痛な叫び。本来ならば聞こえるはずのない声を聞いたそれらに、止まる理由はない。


〔クールルルル!〕

〔キュイールルルル!〕


 慟哭に応えるように、それらは鳴いた。届かないと知りつつも、鳴くのをやめない。

 裂け目から飛び出すと、迷うことなく方向転換をして、再度泳ぎ始める。目指す場所は同じ。余所見をすることなく、それらはひたすらに泳ぎ続けた。

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