第2話 皆既月食
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皆様、皆既月食はご覧になられましたでしょうか? 私が住む地域でもはっきりと見ることができました。いつもは曇っていたり雨だったりして諦めるしかなかったので、楽しかったです(*゜∀゜*)
「……まぶし」
閉じていた瞼の内側から見えた目映い輝きに、宵花は両手の甲で目の辺りをゴシゴシと擦った。
「何が眩しいのよ。星と月明かりしかないのに」
仰向けに寝そべる宵花の手首を、隣に座る女性が無遠慮とも取れる力加減で掴み、止める。
「暁華、まだ始まらないの?」
「あと30分ぐらいかな。まだ寝る?」
「……起きとく」
むくり、と体を起こした宵花に、暁華と呼ばれた女性がにこにこしながら顔を寄せる。2人の間に鏡があるのかと錯覚してしまうほどにそっくりな彼女達だが、宵花の右目尻にある泣き黒子と、暁華の左目尻にある泣き黒子に慣れさえすれば、2人を見間違えることはないだろう。
「来るの嫌がってたけどさ、もしかして宵花も今夜の天体ショーを楽しみにしてた感じ?」
「絶対に見たいってほどじゃないけど、人生初の皆既月食だからね。晴れたら見よっかなー程度だったよ」
少なくとも、と続けながら、宵花は暁華を睨む。
「あんたみたいに晴れる場所を探して場所取りする為に3時間前から待機するほどの熱意はなかったね。ご丁寧にござやら寝袋やらまで用意してさ」
ぽんぽん、と座っているござを叩く宵花に、暁華は不満そうに唇を尖らせた。
「えー、それぐらい普通じゃん。だって月食だよ? 皆既月食だよ? 万全の状態で見たいじゃない」
「……気持ちはわからんでもないけど、場所取りは必要なかったっぽいね」
「それは思った」
うふふ、とわざとらしく笑う暁華の頭をわし掴んで遠ざけながら、宵花はこちらもわざとらしいため息をついた。
2人がいる場所は自宅でもなければ町中ですらない、知る人ぞ知る穴場と呼ばれていても不思議ではないような、木々とススキの穂に隠れた小道を進んだ先にある小さな海岸だった。周囲に人影はなく、完全にふたりぼっちな空間を改めて確認した宵花は、再び目を擦ってあくびを溢す。
「皆既月食まで30分を切っても誰も来ないんなら、本当に知られてない場所みたいね。どうやって見つけたの?」
「どうやってって……」
頭をわし掴んでいた宵花の手をむにむにと握りながら、暁華はうーんと唸った。
「ネットでよさそうな場所を探してたら見つけただけ。こりゃいいところだと思ったからいい場所をゲットしたくて早めに来たかったの。でも他の人が1人も来ないとは正直考えもしなかったな」
「他の人達はみんな町の方で見てるのかもね」
「町の明かりがあったら綺麗に見えないかもしれないじゃん!」
「その割りにはカメラも用意してないよね。スマホで写真撮れれば満足?」
「私は! 心に! 記憶したいの! 常に思い出せるから写真など不要!」
「うるさいなぁ」
不機嫌そうな表情から一転、宵花はくすくすと笑った。
「で? まだ時間はあるけど、聞きたい?」
「何を?」
そう返した暁華だったが、含みのある笑みを浮かべる宵花にピンと来て、瞳を輝かせた。
「もしかして、また見たの?」
「うん。見た。新しい夢」
「待ってました!」
パチパチと拍手をした暁華は、急いで傍に置いていた芥子色の登山用リュックから水筒を取り出し、温かいお茶を注いで宵花に差し出した。
「ささ、喉を潤してから教えてくださいな? どんな夢を見たの? ティマちゃんとクォト君はいた? シューリーさんは? ねえねえねえ?」
「まあまあ落ち着きたまえ。我はおにぎりも所望する」
「ご用意致します!」
どん! という効果音が鳴りそうな激しい動きで、暁華は引っ張り出したおにぎりを宵花の両手に置いた。唐揚げや梅肉、鮭、高菜、納豆など、様々な具を少量ずつ詰めて海苔で巻いた、特大のおにぎり。どこから食べるかで味が変わる暁華特製のルーレットおにぎりに、宵花は堪らず噴き出した。
「なんか今日のは特別大きくない? 何入れたの?」
「いつものメンバーに加えて煮卵をど真ん中に突っ込んでおります姉上! 皆既月食のように丸齧りしてください姉上!」
「お馬鹿」
小刻みに肩を震わせながら、宵花はラップを剥いでおにぎりにかぶりつく。最初に舌に感じたのは、塩気のある唐揚げだった。
「ん、当たりだ。塩唐揚げ」
「どっかに醤油の唐揚げも入ってるよ。どっかに」
「わかってるわかってる」
好きな具に当たった宵花は満足げに頷きながら、お茶でおにぎりを流し込む。もう1つのルーレットおにぎりを取り出した暁華は、齧りついた瞬間ぎゅうっと両目を瞑った。
「酸っぱい……」
「……梅か」
大好き、と言うほどではないのになぜか入れてしまう梅肉は、2人にとって外れ、に位置する具の1つだ。だが残すような真似はしない。何口目で梅に当たるかな、と考えながら、宵花は自身が背負ってきた老竹色の登山用リュックから水筒を取り出し、暁華にお茶を差し出した。
◌◌◌◆◌◌◌
「で? どんな夢だったの?」
ルーレットおにぎりを半分ほど食べ進めたところで、暁華は宵花に尋ねた。
「いつもの薄暗い建物の中で、シューリーさんとアージナームさんがゆるーい喧嘩をして、ゴーゼンさんが年寄り扱いされてた。クォト君とティマちゃんもいたけど、その後水壁に歪みが出たとかで、直しに行ってたよ」
「歪みかー。大変じゃん」
ようやくありつけた醤油唐揚げに舌鼓を打ちながら、暁華はあちゃー、という顔をした。
宵花は昔から夢を見ることが多かった。それはまるで現実のようで、ちゃんとしたストーリーがあり、瞼を閉じることでページを捲るかの如く進んでいく、異世界が舞台の不思議な夢だった。
宵花は夢の話を両親や学校の友人達に話して聞かせていたが、面白い夢だね、程度の軽い反応しか返されなかった上に、夢の物語が進む度に話している内に、つまらない作り話はもういい、とまで言われるようになってしまったせいで、いつしか語るのをやめてしまった。しかし片割れである暁華だけは、宵花が夢で見る物語を楽しみに待っていたので、小学校中学年の頃には2人だけの娯楽となっていたのだ。
「あ、でもゴーゼンさんが言ってたよ」
「ん? なんて?」
納豆の部分を食べ終え、垂れる糸を指で拭いながら、宵花は思い出すように目を細めた。
「親に死なれてふたりぼっち、とか、仕事が見つからずに苦労してる、みたいなこと」
「……それって」
「それに対してアージナームさんが、親を思って泣かれずに済む的なことを言っちゃって、シューリーさんと喧嘩してたよ」
「……もしかして」
「もしかしなくても、私達のことだね」
「マジかー……」
突然の現実とのリンクに、暁華は目を丸くした。
宵花と暁華は地方の出身で、高校を卒業と同時に上京し、大学に進学予定だった。しかし、卒業式まであと数日という時に、彼女らの両親は事故に遭い、亡くなってしまった。
両親は駆け落ち同然の結婚をしており、宵花達は祖父母はおろか、親戚すら誰1人知らない。住んでいた地方も両親の故郷とは異なる為に、2人は行く当て、頼る先を失くし、進学を諦め、同級生よりもかなり遅れて就職活動を始めることになったが、どうにもうまくいかずにいた。
「夢ってさ、その日に起きたことを処理する為に見るって聞いたことがあるんだよね。葬式やら何やらでバタバタしてたから、夢と混ざっちゃったのかな」
「今までそんなことなかったのに?」
「そりゃそうだけどさ……」
十数年間見てきた夢だったが、ここまで現状に近いものは初めてだった。両親の死を知った時、放心するほどのショックを受けた2人だったが、だいぶ落ち着いた今になって夢に影響が出るものなのか、と宵花は不思議に思った。
「私もあんたも、父さん達の棺桶の傍でずっと泣いてたじゃん? 親が死んで苦しまない子どもなんてそうそういないんだから、夢が変なことになっちゃったんだろうよ」
「あの時は泣いたよねぇ……」
当時を思い出しているのか、暁華は少し恥ずかしそうな、寂しそうな面持ちで再びルーレットおにぎりに齧りついた。そして、ぎゅう、と両目を瞑る。
「どうしたの?」
しんみりしていた宵花が二度見する。暁華はしわくちゃの顔を片割れに向けた。
「梅が入ってた……。宵花の分、間違えてこっちに入れたみたい……」
「どんな間違いよ」
お馬鹿、と言いながら、宵花は新しく注いだお茶を暁華に渡した。受け取った暁華が1口で飲み干し、梅肉を丸呑みにする。ぷはあ、と大袈裟に呼吸をした暁華は、宵花をちらりと見てくすくすと笑い始め、つられた宵花もふふっと笑った。