第71話 Shake Hands. Just That.
高級そうな服には傷が付いていた。
決して軽くはない怪我をあちこちに負っていた。
にも拘らず、ローラン卿の瞳は快哉を叫ぶ若者のように澄んでいる。
まるで、無知ゆえに世界が鮮やかに見えていた頃のような、そんな少年の眼になっている。
書斎でリリの処遇について話した時と、その印象は正反対。
風に揺れて必死に消えまいとしていた蝋燭の火が、迷える人へ勇気を与える神火へ変わる。それくらい彼が纏うオーラは変わっていた。
俺が憧れたローラン・トリルバットの姿は、今目の前にあったのだ。
「――小の犠牲を出してでも、安全で現実的な方法を取ることに私はこだわってきた。
だが君は、万人が不可能と思っていた『私に勝つ』という理想を、見事に叶えて見せた。それも無駄な犠牲一人も出さず、私に勝敗を委ねるという形で。
『犠牲などなくとも皆を幸せにできる』ことを、君は身を持って証明したんだ……」
「……過大評価ですよ。
ただの力比べでは、あなたに到底及ばないことはわかってた。だから俺は、あなたの優しさに漬け込んだんです。
悲観的なあなたなら、きっと自ら敗北を宣言すると思ってましたから」
ははは、とローラン卿は愉快そうに笑う。
「――やっぱり君は嘘が下手だね。さっき私が負けを宣言した際、明らかに君は驚いていたじゃないか」
「……天邪鬼はお嫌いですか?」
「いいや、むしろ好きだよ。人間らしくて好感が持てる。ただ、これから先……君のような人は貴重な存在になるかもしれないな」
「確かに、カエルの亜人は希少ですけども……」
「そういうことじゃないさ」
土埃で汚れた自分の手を見つめながら、ローラン卿は言った。
「……策を弄し過ぎず、選択の余地を与え、最後まで相手を信じようとする。
そんな鋼の精神を持った――――『他人の過ちを、芯を持って止められる』人間。
そういう人はね、本当に数が少ないんだ」
自分以外の誰かに祝詞を読むかのように、淡々と彼は主張していた。
俺は首を傾げる。
「あなたも、その精神を持った一人ですよね?」
「……まさか。
私ほど精神が弱い人間なんて、精霊騎士にはいないよ……だからこそ。芯の弱い私ごときでは、無二の親友を救えなかったんだ」
「……?」
ますますわからない回答が飛んできた。
遠い目をしたローラン卿の様子から察するに、おそらく先の独り言は彼の過去に関係しているのだろう。
が、その光景を見たことのない俺からすれば、何が何やらさっぱりだ。
独り言を額面通りに受け取るのであれば、ローラン卿はかつて「かけがえのない友人をなくした」のかもしれない。
金持ち貴族で才に恵まれた男でも、俺には想像もできないような苦難の道を進んできたのだろう。
少しだけ、ローラン卿の存在が身近なものへとなった気がした。
♦
「――さて。話も佳境だが、そろそろ我々は退散するとしようか」
そう言って彼は、楽にしていた足を引き寄せる。
「……ずっと闘技場を独占するわけにもいかないし、次の演目に出る人に迷惑だからね」
そうだ、忘れていた。
この決闘は、あくまで街ぐるみで開かれた記念行事のプログラムの一つ。演劇が終わったのなら、劇団員たちは速やかに幕を引かねばならないのだ。このモラルは、俺たちのような決闘者にもバッチリ適用されている。
だから控え室へ撤収しようと、ローラン卿は立ち上がろうとした。
すぐに俺は、彼に向かって手を差し出す。
蟇蛙色のあの手を、だ。
「あぁ、大丈夫だ。私は一人で立ち上がれる」
醜い蛙の手を見ても、ローラン卿は眉を顰めなかった。だがなぜか、その手を取ろうともしなかった。
そのローラン卿の行動から、俺は得体の知れない違和感を覚えていく。
「――敗者に情けは無用だよ」
悔しさを滲ませて、彼は言った。
「君との真剣勝負に、私は負けたんだ……すまないが、今は己の弱さを噛み締めさせてくれないか?」
その一言でハッとした。違和感の正体を垣間見た気がしたのだ。それは段々と人語へと置き換わり、喉から舌の上を通って、口元へと溢れていく。
無意識のうちに、俺は呟いた。
「…………なーんか、違うんだよなぁ」
「違う?」
ぴたり、とローラン卿は動きを止めた。
しゃがんだ状態のまま、不思議そうに彼は訊ねてくる。「何か、気に入らないことでもあるのかい?」
「いや、何というかこう……言い方が違う気がするんですよ。
誰が弱いとか、負けたとか。そういうネガティブなことって、試合後に聞きたいとは思わないじゃないですか、普通は」
「……つまり?」
ローラン卿はこちらを見つめていた。
同じようにリリやウェスタも、訝し気な視線を俺に投げてくる。
俺は頭を掻いた。
「うーん。うまく説明できないんですけども……」
脳をこねくり回して、何とか俺はローラン卿に伝わるように説明する。
「直接的に頼むのもなんか変ですし、申し訳ない気持ちでいっぱいなんですけど…………俺、これでも十六歳のバカな男子なんですよ」
だから。
顔から火が出そうになりながらも、俺はローラン卿へ頼み込む。
「――――『憧れのヒーローから褒めてもらいたい』、なんて思ったりするんです」
「……!」
「ダメ、ですかね?」
♦
しょーもない願い事であるのは、百も承知している。
それでも、言わずにはいられなかった。
精霊騎士を目指し始めた少年時代、初めて心から尊敬した相手がローラン卿だった。
他のモブ男子と同じく、彼の強さやカッコよさに胸を高鳴らせていたのだ。
いつか自分も義を重んじる彼のような、皆から慕われる騎士になりたい……そう決意していたガキが、かつて憧れていた英雄と剣を交える。
こんな命を賭けた状況でなければ、感激で卒倒していたはずだ。それくらい俺にとって、この決闘は夢のような時間だった。
それだけは確かなのだ。
「……ふっ」
あまりに俺の発言が幼稚過ぎたのだろう。
子供の予想外の発言に参った大人のように、ローラン卿は小さく口角を上げた。
「騎士たるもの……礼節を持って互いの健闘を讃えよ、ということか」
「……? どういう意味ですか、それ」
「気にしないでくれ。ただの独り言さ」
燦々と輝く陽の光は、決闘者たちを優しく照らしていた。
依然として観客たちの間には動揺が走っており、中には混乱の末に暴れ出す者さえ現れていた。ゴミが宙を飛び交い、あちこちで喧嘩も起こり始めている。
ひどい治安状況だ。
特別観覧席で静観していた他の精霊騎士たちもまた、慌ただしく部下に指示を出していた。
情報操作でもするつもりなのだろう。ただのカエルに高名な騎士が負けた、という不名誉な事実を揉み消すために。
しかし、この大騒ぎにローラン卿が反応を示すことはなかった。
清々しそうに息を吸った彼は、俺が差し出した手をしっかりと掴む。
「――認めよう。
今日の君は、私より確かに強かった」
気色悪いカエルの手を頼りに、端然とローラン卿は立ち上がる。
背中や膝に付いた汚れをはらうこともしない彼は、何を思ってか俺とリリの顔を交互に見つめてきた。
内外共に身体がズタボロの亜人と、その亜人に肩を貸す異教の巫女姿をした精霊。
そんな奴らを観察して何の得があるのか、俺には理解できない。
だが、なぜか嫌な気分は全くしなかった。誇らしい気持ちでいっぱいだった。
……やがて、気が済んだのだろう。
柔らかく目を細めると、ローラン卿は凛とした口調でこう言った。
「おめでとう、イオリ君――――この決闘、君たちの勝ちだ」
「……ははっ!」
思わず笑ってしまった。
勝利した。
あのローラン卿を相手にして、白星を獲った。
本来の俺であれば、雄叫びを挙げて喜ぶ場面のはずだった。しかし、俺の身体にはもはや、天に向かって拳を突き上げる気力すら残っていないらしい。
……次の瞬間。
がくん、と大地の存在を感じられなくなった俺は、そのまま仰向けに倒れていった。
視界には、様々な人の姿が映った。
慌ててこちらに駆け寄ってくる、ローラン卿の姿。頑張って俺の体重を支えようとする、リリの姿。観客席にてあっと悲鳴を上げる、にゃーさんやカルザックさんの姿。
そして、特別席やVIPルームから俺を見下ろす高貴な方々の中に、クラウディアの影を垣間見た後。
どこまでも透き通る青色の空を、俺は見た――――
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