第70話 決着と選択
「……とどめを刺してくれ」
開口一番。
薄っすらと目を開けたローラン卿は、そう言った。
「私の首を斬れば、決闘は終わる……そうすれば、晴れて君たちは自由の身だ」
「あなたは、それでいいんですか」
「…………勝者は生き、敗者は死ぬ。決闘とは元来そういうものだよ。戦闘義体で守られた身とはいえ、形だけでも潔く殺される。それが筋だ。
私も慣例に倣わねば……ね」
「そう、ですか」
剣を握る手に、俺は力を込めようとした。
だが、《原点回帰》の反動だろう。蟇蛙色に戻った腕は、ピクリとも持ち上がらない。剣を振ることはおろか、物を書くことさえできないくらい、俺は疲労していた。
これも運命というやつか。
神を信じる気は毛頭ないが、この巡り合わせは俺にとって都合が良い。誰かを踏みつけにして得た勝利に、価値なんて見出したくなかった。
リリに介護されながら、俺は鉄剣を鞘へしまう。
「――でも、残念です」
いけしゃあしゃあと、俺は言った。
「今の俺じゃ、あなたを斬れません。だってまだ、勝負は終わってないんですから」
「……? どういうことだ?」
「あなたは戦意を喪失した。対して俺も、ほぼ戦闘不能の状態です。
だから、この決闘――――勝敗はあなたが決めてください」
意味が分からない、という顔でローラン卿はこちらを見ていた。
肺を痛めながら、俺は自論を展開する。
「人気のある精霊騎士とカエルの亜人の一戦なんて、ギャラリーからすれば騎士が勝って当然なんです。
俺がとどめを刺すことは、確かに可能だ……でも『カエルの勝利』なんて、彼らが意地でも認めませんよ」
♦
今回の決闘は、そもそもエキシビジョンマッチとして開催されたもの。
記念式典を見物に来た客たちからすれば、これは亜人を笑いものにするだけの余興でしかないのだ。
だというのに、ここで溝攫いがお似合いなカエルが勝ったとなれば、ギャラリーの怒りはそこら中で噴出することだろう。現在でさえ、観客席では下劣なヤジが飛び交っている状況だ。果てには、暴動だって起きるかもしれない。
それに挑戦者は、社会的地位の低いザコなのだ。テキトーに理由を付けて、反則負けにしてしまうことなんて簡単にできる。
となると、俺はローラン卿にとどめを刺してはいけない。
なぜなら、俺には勝敗を決定できるだけの力がない。大衆から、それを許されていない。
この決闘の結末を選択する権利を持つのは、この場でただ一人。
純然たる精霊騎士である、ローラン卿だけだった。
♦
「……私が、決めるのか?」
「そうです。あなたが勝敗を選択するんです」
「選べというのか…………幾度となく間違え続ける、この私に」
何かを懺悔するかのように、ローラン卿は天を仰いでいた。
俺とリリは、静かに彼の回答を待つ。
すると、
「――――だったら、あたしたちの勝ちよ! そうでなければ駄目なのよ!!」
ついに堪忍袋の緒が切れたのだろう。
傍でずっと話を聞いてきたウェスタが、歯をむき出しにして口を挟んできた。
激情のままに、彼女は批判気味に声のトーンを上げていく。
「――だって、マスターは本気で戦ってなかった!
最初から上級魔法でバンバン攻撃していれば、あんたなんか瞬殺できてた!
こっちは適度に手心を加えて、客が盛り上がるように試合を組み立ててたのよ!
それなのに、空気も読まずにあんたは本気を出した! こっちのシナリオも考えずに、試合をメチャクチャにしたの!
しかも、さも自分が強いだけだって顔で、マスターを見下した上に交渉まで始めるなんて、驕るのもいい加減に…………ッ!!」
言いかけたところで、ローラン卿が彼女の暴走を制止した。
「もういいよ、ウェスタ。君の想いはよく伝わった」
「でも、マスター!」
「試合後に相手を非難するのは、騎士として一番みっともない行為だ。それは君も知っているだろう?」
「うぅ……でも」
「初めから本気を出さなかったのは、単純に私が相手を侮っていたからだ。
心の弱さが招いた結果なのであれば、私の実力がその程度だったというだけの話さ」
そう言うと、ローラン卿は無理やり口角を上げて笑う。「悔しいけど、ね」
「……弱さを、認めるのね」
しゅん、とウェスタは狐の耳を下げた。
「マスターが言うのなら、きっとそうなんでしょうね……熱くなってごめんなさい」
「君にはいつも苦労を掛ける。パートナーとして、本当に感謝しているよ」
ありがとう、とローラン卿は優しく言った。
「少しだけでいい、私に時間をくれないか。彼と話がしたいんだ」
「……わかったわ」
そう言って、ウェスタは契約者の隣に座った。
今にも泣きだしそうな彼女の頭を小さく撫でると、ローラン卿はこちらへと向き直る。リリに肩を借りたまま、俺は黙って答えを待った。
数秒後。
情の波も立たないほど穏やかな顔で、ローラン卿はこう宣言した。
「――――私の負けだよ」
♦
「実はね。顔を殴られるなんて、生まれて初めての経験だったんだ」
照れくさそうに、彼は頬を掻く。
「しかも、決闘の場で殴られたとあってはね…………鉄壁の守りを誇る槍士として、これでは立つ瀬がないよ」
はっきりともう一度、ローラン卿は安らかに言った。
「紛れもなく私の完敗だ。完敗なんだよ」
「……」
俄かには、自分の耳を信じることができなかった。
あのローラン卿が敗北を認めた。
それも悩むことなく、あっさりと。
勝利の実感がまるで湧かず、反射的に俺は訊ねる。
「……本当にいいんですか。俺は汚らしい亜人ですよ?」
「観客のことなら心配しなくてもいい。
物の分別をわきまえている人間なら、私の敗北宣言をしっかり受け止めてくれるはずだ。暴動の対策も考える」
「でも。俺が提示した条件を全て呑むのは、さすがに難しいと思うんですが……」
「約束は守るよ。大切なことを気づかせてくれた、その『お礼』にね」
お礼?
お礼とは何なのだろうか。
そんな恩を着せるような行為を自分はしていないはずだ。むしろ恨まれるようなことしかしていない。
それともお礼参りの方の「お礼」か?
だとしたら、やばい……命の危機を感じる。
恐る恐るローラン卿の顔を伺ってみる。
血に腰を下ろした彼は、憑き物が落ちたかのような表情をしていた。
――――子供の頃に憧れた騎士が、そこにいた。
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