第6話 怒りの矛先
「――なっ!」「――誰だッ!?」
ヨナスの弟子と思われる見習い剣士たちが口々に叫ぶ。
俺の存在に気付いたのだろう。
師であるヨナスを守るよう陣を敷き、戦闘義体に換装した彼らは、ばたばたと臨戦態勢を整える。
全員馬鹿だ。馬鹿ばっかりだ。
今、俺が狙っているのは、ヨナスの首なんかじゃない。
それより先に斬っておくべきもの……それは。
「――ほぅ。鎖を狙いますか」
達観するような口調で、ヤギ紳士が呟く。
彼の読みは当たりだ。
石棺のオブジェに巻き付いていた鎖を、俺はひとつひとつ叩き斬っていった。
警備をしくじったショックでか、見習い剣士たちが悲鳴を上げる。
この棺の中には、特別な精霊が封印されていると聞いた。
その精霊が金で買われそうになっているとも、だ。
俺にはそれがどうしても気に食わなかった。取引をメチャクチャにしてやりたかった。
この石棺にかけられた封印の解き方なんて、田舎者の俺には見当もつかない。
それでも鎖さえ解いてしまえば、中にいる精霊が自力で扉をこじ開ける可能性は魔素レベルで上昇するはずだ。
「…………ふざけるなよ?」
最後の鎖を叩き斬ると、俺はオブジェの前に立った。
そして、警戒して間合いを取る見習い剣士の向こうに視線を動かす。
「揃いも揃ってクソみたいな相談しやがって。質が悪いんだよ、アンタら」
ヨナスと目が合った。
「――微かに魔力の匂いが違うな」
居るはずのない来客に警戒してか、彼は眉に暗雲をかける。
「貴様、亜人か?」
「あぁ。カエルの亜人だ」
「蛙か……なるほど。道理で臭いわけだ」
俺が最底辺の身分であることを知った途端。
落ちくぼんだ目をカッと開き、不自然なほどヨナスは頬を吊り上げる。
まるで規格外に濃縮されたドラッグでもキメた精神異常者のように、その顔は狂気に満ち満ちていた。
かくん、とヨナスの首が曲がる。
「――それにしては、いやに凡庸な顔をしているな。
さぞ貴様の母親は、人に化けるのが巧い個体だったか…………ならば神に感謝するといい。
誰彼構わず腰を振れる痴女を親に持った、童蒙としての御恵みを」
「……だまれ」
「教えてくれ、兄妹は何人いる?
外界で落とした卵も合わせれば、十や二十はくだらないだろう。
辺境の地で生活するには、少々困窮しそうだな……胸が痛む話だ」
「…………亜人の多くが山奥に住むのは、アンタらが勝手に差別して虐げた結果だ。
人の命を食い物にする野郎が消えないから、俺たちは身を潜めなきゃならないんだよ」
「クハハッ! 人の命ときたか!」
片手で顔を覆い、奴は哂っていた。
そして、屍のように骨に皮が貼り付いた顔で、活き活きと奴は己の寓意を述べる。
「――――愚かな。
貴様ら亜人が『ヒト』として認められるはずがなかろう」
「……ッ!」
剣を持つ手が怒りで震える。
話をすれば、少しはコイツのことを理解できると思った。
だが、それも無理らしい。
コイツは人として根本的に腐っている。
言葉を交わせば交わすほど、吐き気を催す悪寒が背筋を撫ぜてくるのだ。
俺はヨナスから目を逸らし、歯を食いしばった。
「――しかし、礼儀として謝罪くらいはしておいた方が良さそうだな」
芝居がかった口調で、奴は仰々しく頭を下げる。
「貴様ら亜人の親兄弟を減らし、銀貨に換えて売り払ったこと、申し訳ないと思っている。この通りだ、赦してくれ」
ふざけた茶番だった。
「うるせぇよ、クズ野郎が」
「クカカ……ッ」
なおもヨナスは、あの気色悪い薄ら笑いを浮かべていた。
こちらの感情などお構いなしで、また戯言をほざき始める。
「そこでひとつ取引をしよう。人でもなく獣でもない、愚かで醜悪な蛙の亜人よ」
ゆっくりと階段のある方向を指し示すと、ヨナスはこんな提案をした。
「――すぐに此の場から立ち去りたまえ。
さすれば、今までに働いた無礼はすべて不問にしてやろう」
「……あ?」
「その石棺に封印された精霊さえ手に入れば、ようやく我々の悲願は達せられる。両生類如きに構っている暇はないのだ」
カギ。
手に入れる。
石棺に封印された精霊に対し、目の前の男は確かにそんな言葉を用いた。
正直、上級国民の悲願とやらは知ったこっちゃないし、新世界への扉を開けるとかいうファンタジックな思考回路を、俺は持ち合わせちゃいない。
…………ただ、これだけは分かる。
俺が居なくなったら、後ろのオブジェに引きこもっているであろう精霊は、ヨナスと愉快な仲間たちに有無を言わさず利用される。
人権のない道具として、絞りカスも残らないほどに使われるのだ。
はたして、そこに自由はあるのか。未来を空想できるほどの希望はあるのか。
それらの答えを、俺は知っていた。
「――さぁ、どうする小僧」
梟のように首を曲げ、ヨナスは問う。
「――逃げるのだな。消えるのだな。そうだな、そうだな?」
結論から言うと、俺の人間性は醜かった。
人ならば、自分が経験したことのある苦しみを、他人に味合わせたくないと思って当然。
だから人間は助け合い、励まし合い、幸せを分かち合おうと動くのだ。
俺は綺麗ごとが苦手だ。偽善を働くのも億劫なくらい、精神が軟弱だ。
だが、そんな俺でもできる奉仕が一つだけ、この世にはあった。
ゆえに、俺は選択する。
剣を握る者として、理不尽な現実に抵抗するために、忌むべき敵へ刃を向ける。
たったそれだけのことを。
「…………断る」
「なに?」
「断る、と言ったんだ」
湧きあがる怒りを抑えて、俺は平静を取り繕う。
「俺はここに残る……そんでアンタらの悪巧みを、全力で阻止してやる」
「それが貴様の選択、という解釈でいいのだな?」
「逆に、他の選択肢ってあるのか?」
「あぁ。在る」
カパッ。
血走った目をこれでもかと剝いて、悪魔のようにヨナスは狂い笑う。
彼は言った。
「――――その希少な体、いったい幾らで売ってくれる?」
「ホント……救いようがないな、アンタ」
金を儲けることしか考えていない卑劣な輩が相手では、どれだけ話し合おうとしても口が腐るだけ。
暖簾に腕押しだ。
国の精霊契約法第二十条第三項において、『精霊を金銭的に売買する行為』は固く禁じられている。
だというのに、彼はそのことを詫びようともしない。豆粒ほどにも罪悪感を覚えていないのだ。
そのうえ、この男は亜人を珍獣の毛皮のように売り捌いていた。亜人の命を軽んじ、開き直って人身売買で荒稼ぎをしていた。
精霊決闘で八百長を働くという不正でさえ、道端に落ちていた硬貨を拾う感覚で行っていた。
奴の犯罪心理的パラダイムは、一般人のそれとは一万歩かけ離れているのだ。
(……人でなしめ)
この極悪人を放っておくわけにはいかない。
制裁を加えなければ罪もない精霊が、亜人が、また不幸な目に遭ってしまう。
負の連鎖は、今ここで断ち切らねばならない。
「アンタ、そこを動くな」
「ほぅ。蛙如きが何をするつもりだ?」
「……この手で、斬る」
「言うに事を欠いて、最期は私を殺すとほざくか……希少な人外だったのだがな」
もう一度、俺はヨナスと目を合わせた。
互いの視線は真っ向からぶつかり、解れて縺れて渦を巻いた後、ドス黒い感情と共に弾け飛ぶ。
そして、奴は口を開いた。
「――生け捕りにする必要はない。殺せ」
「「御意」」
その命令が部屋に響いた瞬間。
奴の弟子たちが、剣を抜き放って襲い掛かってきた。
彼らは皆、肩に昆虫型の精霊を乗せていた。三人全員が精霊使いなのだ。
顎を引いて、俺は身構える。
(各個撃破するしかないか……!)
♦️
脳内麻薬が濁流のように血液へ注がれる。
視界の端に白い火花が散り、俺は苛烈に地面を蹴った。
相手との間合いが急速に縮まる。
煮えたぎる魔力は全身を滞りなく巡っていた。
自慢の脚も雷獣のように躍動し、摩擦でブーツの底から電撃が迸る。
そんな此方の動きに驚愕したのか、先頭を走る剣士の足が僅かに浮いた。
(まずは、コイツだ!)
慌てて剣を振った彼の目は、恐怖の色で染まり切っていた。
そんな甘い斬撃が相手に届くわけがない。
膝から力を抜き、相手の大振りを紙一重で交わす。
風圧でフードは外れ、その切っ先は鼻先を掠めた。
彼の剣からは、まだ一度も血の味を知らない鉄の匂いがした。
(……このっ!)
振り終わりの硬直を見逃さず、がら空きになった相手の背に逆袈裟切りを叩き込む。
戦闘不能状態に陥った戦闘義体は、風前の砂像のように脆く崩れ去った。
一人目の見習い剣士は、その場に昏倒する。
「……次!」
続く二人目は、中距離から魔弾を撃つ準備をしていた。
精霊の力を借りて掌に魔力を収束させる彼は、詠唱でこちらに照準を精確に合わせている。
口元の動きから見て、あの魔弾にはおそらく自動追尾機能が備えられている。
俺の素早さに対応すべく、最善を尽くしたのだろう。工夫としては悪くない。
だが、
「――この動きは想定したか!?」
二人目の剣士へ、俺は直線的に突進した。
足を踏み出す度、反作用で地面にヒビが入る。それだけの加速力。
見習い剣士は動揺のあまり、魔弾を放とうと俺の方に掌を向けた。
残念な対応力だ。
真っ向から来る敵を追ってどうする。
「……うわぁぁッッ!」
魔弾が射出される間際。
俺は相手の腕を掴める位置にまで接近していた。少しだけ相手の腕を押し、掌底の向きをズラす。
発射された魔弾は見当違いの方向へ飛ぶと、楕円を描き、再び主人の敵へと牙を剝いた。
ただし、それが俺に届くことはない。
……我流柔術で二人目の剣士を盾にして、俺は魔弾を難なく防いだ。
「よし、あと一人!」
気絶した二人目の剣士を地面に寝かせ、最後の障害物へと向かう。
ヨナスの前で三人目の見習い剣士は、こちらの動きを注意深く窺っていた。
俺のスピードに動じていないところを見るに、動体視力を強化する魔法でも使っているのだろう。
きっと彼は、頭を使って立ち合うタイプ。
身体能力に任せた剣術を逆手に取りそうな、そんな雰囲気を醸し出している。
知恵比べをして、ムダに体力を消費するわけにはいかない。
ならば。
「――――ぜぃやッッ!」
「なにぃっ!?」
左足で踏ん張った俺は、ありったけの膂力で愛剣を投擲した。
予想範囲外の攻撃をされた三人目は、思わず剣をかち上げてこれを防ぐ。咄嗟の防御としては及第点の型だ。
……しかし、この型で隙ができたのも事実。
素早く距離を詰め、俺は相手の足を鋭く刈った。バランスを崩した見習い剣士は、背面から地面に倒れ込む。
そこへ馬乗りになった俺は、動きを封じるため左手で相手の顎を抑えた。
「これで……ラスト!」
腰のベルトから引き抜いたのは、副兵装として携帯していたダガーナイフ。
若干刃毀れしたそれを、俺は三人目の頸動脈に当てる。
そして、鉄釘を切る感覚で強く柄を引いた。
「あ…………ぁ」
裂かれた傷口から、赤い光が血飛沫のように飛び散った。
三人目の眼球は裏返り、同時に彼の戦闘義体も崩壊する。
時間にすれば、戦闘開始からまだ一分も経っていない。
それでも俺は、見習い剣士を漏れなく倒すことに成功した。
しかもこういった喧嘩は専門外なのか、ヤギ紳士は離れたところで傍観を決め込んでいる。
あとは、敵の親玉を叩くだけだ。
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