第67話 攻守逆転
……たー……すたー。
どこからか声が聞こえた。
聞き覚えのある、艶やかな声。
思い出の湖に浸かっていた私は、靄のかかった意識を鼓膜へと集中させる。
♦
「マスター!!」
「……!?」
ハッ、と私は気を取り直した。
閉じていた視界が急速に甦る。
闘技場にて、私は決闘をしている最中だった。
どうやら軽い脳震盪でも起こしていたらしい。意識が軽く飛んでいた。
ウェスタが肩口に呼び掛けてくれて助かった。今は戦闘のさなか。隙を見せれば殺られる戦場だ。それなのに注意を欠いてしまうとは、我ながら情けない。
気を引き締めた私は、すぐに槍を握り直す。
(……! 左か!)
ひりつくような殺意が肌を刺した。
攻撃が来る。そう直感し、私は槍で受けの構えを取った。
だが、僅かに反応が遅かったらしい。
鉄剣による凄まじい一撃を受け切ることが出来ず、私は大きく体勢を崩す。
視界の端で、蒼い閃光が走った。
(回り込まれる!)
背面にいるであろう相手に向かって、私は咄嗟に得物を振った。
同時に二本目の槍を生成し、素早く脇に構える。先の牽制で足を止めさせ、もう一方の槍で仕留めるつもりだったのだ。
だが、
「――――ァァッ!!」
「な、にっ!?」
弐つの尖槍を前にしても、彼が怯むことはなかった。
雷獣の如く踏み込んだ相手は、一瞬にして私の肘当てを食い千切り、斬り抜けた。
地鳴りと突風。それらの音が遅れて聞こえてくる程のスピード。斬撃の余波で腕が痺れる。
無名の剣士と見くびった。
これがカエルの亜人である、イオリ・ミカゲの本気なのか。
(速すぎる……眼で追えん!!)
♦
彼が使った身体強化術。その原理は知っていた。
亜人の中でも限られた天才のみ至ることを許された、磨穿鉄硯の境地……《原点回帰》。
全身の魔力回路を最大まで活性化させ、尚且つ魔力の生成量や循環量を底上げする絶技。
一時的に自身のリミッターを解除する、いわば亜人の奥の手だ。
精霊騎士が用いる奥の手としては、別段珍しくはない。
なぜなら決闘界には、武の才能に秀でた亜人が必然的に集結する。個人によって熟練度に差はあれど、二部に出場できるレベルの亜人であれば、ほぼ全員この術が使えるのだ。
つい先日戦ったシャナ嬢も、この術で鬼神のような剣戟を披露していた。
そんな彼女と互角に渡り合ったばかりの私は、《原点回帰》という世界を熟知しているつもりになっていた。
――――だが、彼の《原点回帰》は違う。
今の彼は、あまりに速過ぎるのだ。
♦
(異常だ……あの加速力を完全に制御できているというのか!?)
イオリ・ミカゲの姿は、奥の手発動の影響でかなりの変貌を遂げていた。
蟇蛙のように土黒かった皮膚は、深い翡翠色となって精気が漲り。両の瞳は横に長くなっていて、手指の形状は更に蛙らしいものへと化している。
まさに、恵みを象徴する雨蛙を彷彿とさせる姿。
しかし無害な小動物と共通項が多いとはいえ、身軽でスマートな体躯はそのままだ。
そのうえ彼の身体からは、蒼い光を放つ高濃度の魔力が溢れ出てきている。
これがカエルの亜人の真の姿だ、とでも言うのだろうか。
野性的でありながら神秘的な挑戦者の出で立ちに、私は圧倒されていた。
「――調子に乗るな! カエルの癖に!」
そう歯ぎしりをしたウェスタは、《火焔槍》を連続射出した。
広範囲に亘って張られたのは、穴のない烈火の弾幕。その威力は一個兵団を壊滅させるレベルのものだ。
だが、網を張るにはあまりにスピードが遅すぎた。
たった一歩で急加速した彼は、いとも容易くその弾幕を突破した。
間合いに攻め込まれ、反射的に私は右足を退く。
(しまった! この距離では槍のリーチが活かせない!)
刹那。
彼の残像が一本の線に変わったかに思うと、八方から斬撃が襲い掛かってきた。
高速のステップで周囲を跳び回る彼は、疾風怒濤の連続攻撃でこちらを追い詰める。ガードの上から斬り付けられ、防具や身体にダメージが蓄積していく。
このままではウェスタを守るので精一杯。ジリ貧だ
「こ……こいつめェッ!」
そう叫び、ウェスタは《火焔槍》による反撃を試みる。
が、これを察知した彼はすぐに連撃を中断。フィールドの端まで一挙に飛び退いた。
あっという間に距離を置かれてしまい、ウェスタの一射は虚空を突く。
「なんて……速さだ……」
こちらのアクションを全て無効化する、暴力的なまでのスピード。
成す術が、ない。「……今まで戦った亜人と、強さの次元が違い過ぎる!!」
ゆらり、と相手が前傾姿勢を取った。再び、あの連撃を繰り出そうとしているのだ。
その予備動作に恐怖してしまったのだろう。
「――く、来るなぁぁぁ!」
毛を逆立てた彼女が出現させたのは、百を超える投擲槍。
頭上にて傘のように開いたそれらには、怯えの色が反映されている。全方位、いつどこから敵が来ても刺し殺せるような戦陣だった。
だがマズい。
これは悪手だ。
「止せ、ウェスタ!」私は必死に警告する。「すぐに槍を消すんだ!」
「え、でも……」
「――――彼に『足場』を与えるな!!」
遅かった。
テレポートと錯覚するほど一瞬のうちに、彼は間合いを詰めてきた。そのまま宙に浮く槍を踏み台にして、三次元的な機動戦闘へと移行していく。
槍と地面の間を亜光速で動く彼、その軌跡は鉄条網となって私たちを逃がさない。
(また八方から斬るつもりなのか……?)
視界すべてが蒼の稲光で染まり、塵旋風が巻き起こる。
突如、上空から殺気を感じた。
「……くっ!」
一閃。
急降下した彼の剣が、私の右肩を切り裂いた。
間一髪で身を引いたため、腕が切り落とされる事態は防げた。しかし、傷口はかなり深いようだ。岩肌より噴出する溶岩のように、構成因子がぐわりと辺りへ飛び散っていく。
私の足元に着地した彼は、凄まじい戦意を持ってこちらを見上げていた。
動揺が胸を衝く。
(これだけの高速戦闘を行えるとは予想外だ。
脚力だけなら、あのクラウディア嬢と同等……いや、それ以上か?)
悠長に傷の手当などしていられない。今の彼には私を倒す力があるのだ。
槍の先端を相手の目に合わせる。緊迫感のせいか、寸瞬の時が異様に長く感じてしまう。
闘いの主導権を取り返そうと、私は脳髄を絞った。
(間合いが一歩で潰されるのなら、遠距離攻撃はむしろ隙になる。
ここは危険を冒してでも、近間で戦うしか――!!)
迫撃ともなれば、生半可な攻撃では威嚇にもならないだろう。私も本気で攻めに転じる必要がある。
つまり、守りを捨てる必要がある。
これが正しい判断なのかはわからない。
今までの自分らしくない積極的な攻撃へのシフト。絶対の自負を持っていた守備を捨てる選択。相手との間合いを自ら詰める覚悟。
……間違いでないことを祈るしかない。
「「――――ッッ!」」
私は槍を突き出した。
同じタイミングで、彼も剣を振り上げる。
衝突した紅炎と蒼光は、火花を散らして激しく明滅した。
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