第65話 炎帝の回顧(前編)
ローラン・ルマ・トリルバットとして、私はシュラウデン地方北西部の町に生まれた。
与えられた立ち位置は、有名貴族の嫡男。
次期当主に相応しい人間となるために、物心つく前から私は英才教育なるものを受けていた。
だから私は、四歳の時に読み書きや算数を一通り覚え、十歳の時に経営学や社会学で論文を書くことができた。
十五歳の時に父の代理として商会幹部と交渉をしたのも、十七歳の時に治水工事の先頭に立つことができたのも、きっとこの学びが生きたからなのだろう。
もちろん、精を出したのは学問だけではない。
剣術や馬術、チェンバロやダンスも、他の良家と円満に交流するためにマスターした。
苦痛と感じたことはなかったように思う。
だが、それらが楽しいと感じたこともなかった。
両親から一度も褒められず、神童というレッテルが貼られた生活を送っていれば、そのような心情に陥っても無理はなかった。
ゆえに私は、屋敷の外に娯楽を求めた。
女中に協力してもらい、こっそりと裏口から抜け出して、父が治めていた町へ下りる。
たったそれだけのことだったが、スリルは満点。加えて町民たちは、私の正体を知っていながらも、態度を変えることなく優しく接してくれた。
それが嬉しかった私は、たびたび勉強の時間をサボタージュして町へと下りた。
畑仕事に汗を流し、鼻を曲げて糸の染色液を作り、恰幅の良い店主と共にパンを売る。
本を読むだけでは学べない景色は新鮮で、この頃の私は一日を満喫していた。
……思い返せば、これは父の仕組んだ社会勉強の一環だったのかもしれない。
それでも、人生において私が楽しかったと断言できる思い出は、町に下りたこの日々だけだ。
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十八歳になった時。私は父から家を継いだ。
あれほど世話になった領民たちから税を取るのは、正直言って心に来るものがあった。
初めて税の徴収を取り仕切った夜は、胃が何も受け付けなかったほどだ。山向こうの貴族は、私腹を肥やして贅沢三昧だと聞いていたが、自分はそこまで豪胆ではなかった。
だから私は、租税を正しく使おうとした。
例えば収められた良質な小麦や布は、懇意にしているギルドで加工し輸出、得た利益を町の発展のために利用した。
また、造幣局に投資することで領土内貨幣の信用を向上させ、物価を安定させたこともあった。
町民は皆、喜んでいたように見えた。正しいことをしているのだと私は思い込んだ。
……この時からだろう。
私の中で、『正常な』価値観が狂い始めたのは。
同時期。
精霊騎士になっていた私は、二部リーグで熾烈な上位争いを繰り広げていた。
家の名に箔を付けるための活動ではあったが、私は本気で王座を取りに行こうとしていた。
そんな堅物真面目な私の隣には、いつもヨナスという男がいた。
温和で常識的だった彼は、自分が貴族の血筋であることに誇りを持っていた。
敬虔な真正アルマ教徒であった彼の話は興味深く、披露する宗教知識や哲学は実になるものだった。
決闘では、ライバル同士であった私たちは持てる技すべてを放って、切磋琢磨をし合っていた。
ある試合では私が勝ち、その次の試合では彼が勝つといったように、拮抗した実力は私たちをより高みへと誘った。試合後は互いの健闘を讃え、闘技場のバーラウンジで未来について語り合った。
とある決闘の後。ヨナスはこんなことを言った。
――我々に与えられた至上命題とは、一体何なのだろうか、と。
その時の私はこの質問の意図が見えず、当たり障りのない言葉を用いて回答した。
だが、今考えればこれは、彼なりの救難信号だったのだろう。
問いを投げかけた彼の眼は、酷くやつれていた。
♦
私にも彼の変化に気付けなかったわけがある。
領地内で次々と発生する問題で頭がいっぱいだったのだ。正しい判断を下すべく、私は身を粉にして奔走していた。
穀物の収量を上げるために耕作面積を拡大させ、領地外部の人間も臨時雇用できるよう制度を改革した。これにより、騒がれていた農業の収益低下問題を解決した。
また、急速な発展によって不安定化した治安へ、行政サービスを改善することで対応しようとした。
公共施設やごみ処理場に、最先端の国外技術を導入したこともあった。
そして、長年悪だと思い込んでいた奴隷制度を撤廃させた私は、ようやく安楽椅子へと腰を下ろす。
これで町は、豊かで清廉なものへと生まれ変わったはず。確かな手ごたえを感じて、私は少しだけ心にゆとりを持った。
正しく判断ができた。正しく行動できた。正しく他人を幸せにできた。
そう自分に言い聞かせていた。
……これが禍の原因だった。
♦
二十歳になった頃。
長らく税務官や豪農からの報告書のみで町を管理していた私は、久方ぶりに町を視察することにした。無論、お忍びでだ。
人の往来が増えた町の活気は、王族の住まう都市部に勝るとも劣らないほど高まっていたように見えた。
行商人や旅行者が来訪するようになったことで観光業界は賑わいを博し、領民たちの生活水準が向上したこともあって街道沿いには高級店が軒を連ねている。
だというのに、舗装された道には塵一つ落ちていない。何とも美しい町並みだった。
だが、裏道へ一本入った私は、この豊かな町の真実を知ってしまった。
――私の判断は、正しくなかった。
繁華街から見えない場所で暮らしていたのは、貧困に喘ぐ低所得者たちだ。その中には、自分によくしてくれた者の姿もあった。
後に、理由を調べて驚愕した。
彼らが乞食のような生活を送っていたのは、ひとえに私の責任だったのである。
例えば耕作面積を無理に拡大すると、収穫期に大量の人手が必要になる。
その対策で派遣制度を強化したのだが、其処に穴があった。……収穫期の直後、雇用主が派遣労働者たちを一斉解雇する事態が続出し、大量の失業者が発生していたのだ。
おそらく豪農たちは戸籍売買業者と結託して、この事実を隠蔽していたのだろう。
すぐに私は、貧困層を支援しようと制度改革に乗り出した。そして、さらに残酷な現実を突き付けられた。
国外の技術を導入したこともあって、行政機関の公務は確実に効率化されていた。
しかし、そのせいで元から町で働いていた技術者の仕事を、私は奪ってしまっていたのだ。
さらに外部から人が来ることで、町民全体の雇用が脅かされていたのもマズかった。外部企業による浸蝕を規制する条例が甘かったらしい。
そこへ追い討ちをかけたのが、奴隷制度の早期撤廃だ。
こればかりは正しい行いだったと考えていたが、そう単純な話で終わるはずもない。
奴隷だった頃よりさらに安い賃金で働かされ、最悪な労働環境で飼い殺しにされる現況を受けて、元奴隷たちは『私に恨みを抱いていた』のである。
地獄から彼らを解放したと思い込んでいた私としては、この調査報告を読んで背筋が凍る思いをした。
元奴隷たちの新生活を整えなかった、紛れもない私のミスだった。
町は、綺麗で豊かになった。
自分に世話を焼いてくれた者たちの犠牲によって。
……気がどうにかなってしまいそうだった。
自分が民の為を想って起こした行動が、全て裏目に出たという事実。領民を守る貴族としての判断を、私は誤ってしまった。これ以上の絶望があるだろうか。
先に立たなかった後悔は、錆びた鉄の味がした。
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