第64話 原点回帰
「……」
「確かに俺は、井戸のどん底で暮らしてきた。
外の世界は遥か遠くにあって、一生をかけて壁を這い上がっても、きっと俺は其処に辿り着けなかったと思う」
だが、暗くて狭い世界に生きていたからこそ、俺にも知っていることがあった。
――この陰鬱で希望のない空間から抜け出すには、目の前の壁を越えるしかないこと。
――あの高き空を飛ぶ鳥と俺には、同じ生命が宿っていること。
そして。
――井戸の外には壊滅的な思考をした物好きがいて、たまに此方を覗き込んでくること。
俺の知らない景色が、この世には山ほどある。
だから俺は壁に挑み、蔑まれるだけの世界から抜け出そうとした。あの青い空に、手を伸ばし続けた。
傍から見れば無駄な行為だ。一匹の蛙に出来ることなど、たかが知れている。醜く踏み潰されるのがお似合いな亜人が、運命を変えるなんてできやしないのだろう。
だけど。
「もしも、仮に外の世界に馬鹿な奴らがいて、井戸の中に向かって手を伸ばしてきたとしたら……その手を掴んだ俺は、このドン底から抜け出せるかもしれない」
この街に出て来て、色々な人に出逢った。
トラブルも多く起こったし、気分が悪くなる出来事もたくさんあった。
けれど、外の世界を見られたことを後悔はしていない。
おそらく家族以外の人間の情に、触れることができたからだろう。
にゃーさんやカルザックさんとの出逢いは、俺にとってかけがえのない財産だ。世間にいるのが敵ばかりではないと、彼らは身を持って教えてくれた。
俺には今、世界を見せてくれる仲間がいるのだ。
「――だから、ここで膝を折るわけにはいかないんだ。
あの暗闇から引き揚げてくれた人の期待に応えたいから……この剣で何処まで道を切り開けるか、何処まで高みに行けるかを確かめたい。
そうしていつか、あの空だって飛んでやる…………」
ローラン卿は、眉間に皺を寄せる。
「……蛙に翼はない。そして君は、社会の最底辺で生きる亜人なんだ。身の丈に合わない夢を描くなどナンセンスにも程がある」
「――でも、もう俺は一人じゃない」
ぽんっ、と柔らかく背中を押された。リリが俺に気合を注入してくれたのだ。
キミは間違ってない。後ろには私が居る。そう静かに勇気づけてくれているような気がした。
自分がカエルの亜人であるという現実に、昂然と俺は胸を張る。
「……理想は叶えるものだ。
空を飛ぶって幻想も、誰もが幸せな世界を作るって机上論も……アンタを倒すって難い夢も叶えられるんだ。
それを今から証明してやる」
♦
俺の親父は、二十四の時に『切り札』をものにしたと言っていた。
そしてその数字は、現在のローラン卿と同じ。
しかも精霊騎士である彼の場合、槍術を究めるために過酷な稽古を積んできているはずだ。
身体の仕上がり具合は、親父の全盛期と遜色ないと見ていい。
そうであれば理屈上、その強靭さがコピーされている俺も、親父から託された『切り札』を使用することはできる。
……これは一種の賭けだ。
反動で死ぬかもしれないのは承知している。それでも、ローラン卿との圧倒的な実力差を埋めるには、この『切り札』を使うしかない。
スッ、と持っていた剣を下げる。
全身の力を抜き、心臓の鼓動を肌で聴く。
髪の毛が逆立つと錯覚するほどの緊張感が、場内でとぐろを巻いていた。その重みに屈することなく、俺とローラン卿は互いの眼から視線を外さない。
機は熟した。そろそろ始めるとしよう。
身分も血筋も、人種も立場も関係ない、力と力のぶつかり合いを。
この世の常識をひっくり返しかねない、純粋で狂気に満ちた決闘を。
「――――覚悟はいいな、ローラン・トリルバット。
俺は今日…………アンタを超える!!」
「……!?」
右手の人差し指を、頸動脈に突き立てた。
身体中に通った魔力回路に、意識を張り巡らせていく。
(……残存魔力、循環開始。神経伝達物質との相補性、形成。魔力心核内部の圧力上限を引き上げ、全魔力回路をパッシブに)
親父から教わった文句を、心の中で速やかに唱える。
体の奥で大量に生成されたエネルギーが、濁流のように押し寄せてくる。
魔力は腹の中で暴れまわり、活性化された電気信号で脳はぐちゃぐちゃにかき乱される。
無制限に意識が加速していくのを、第三者的に俺は感じていた。
(……神経系は正常に機能中。戦闘義体へのストレスは許容範囲内。魔力の体内循環量、限界量へ到達、確認。生命活動に異常なし……全潜在能力、最大開放)
千を超える魔力回路が拡張され、その内部を心臓で圧縮された魔力が濁流のように駆け巡る。
痛みと心地よさを伴いながら、力は無限に溢れ出てきていた。今なら何だって出来てしまいそうだ。
これが俺に託された切り札。
理不尽を撥ね退けるための最終奥義。
見てろよ、親父。
俺は、俺の守りたいものを守るぞ。
そうして俺は、詠唱の最後をこう締めくくる。
――――原点回帰、《蛙鳴若奏》。
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