第63話 空
驚いて、俺は声のした方を振り向いた。
なんとか詠唱を完了させられたのだろう。空堀から這い上がり、此方に手を伸ばすリリの姿が、そこにあった。
大きく息を吸い、彼女はこう叫ぶ。
「――――手を!」
「…………!」
ハッと、俺はローラン卿の方へと視線を戻す。
やはりというべきか、彼はリリのことを攻撃しようとしていた。
「ウェスタ」
「ええ、わかってるわ!」
《火焔槍》を発動させた狐は、リリの頭に狙いを定める。
穂先が自分に向けられていることに、リリは気付いていない。このままだとリリの頭が、割れたザクロのように弾け飛んでしまう。
「何を企んでいたかは知らないけれど!」
声高に、狐は勝鬨を上げた。
「一度死になさい、ヒトモドキ!」
咄嗟に俺は、ベルトのバックルに差していた副兵装を掴んだ。
ウェスタはこちらを見ていない。ローラン卿に隙はなくとも、この狐の虚を突くことはできるはずだ。
手に持った物体を、全力で俺は投げた。
鈍く光るそれは、狐の脳天に向かって飛翔する。
「……っ! 危ない!」
「え?」
飛翔体がウェスタに接触する間際。
危機一髪という形で、《火焔槍》の矛先が変わった。魔法に打ち込まれた自動迎撃プログラムは、機械的に飛翔体を撃ち落とす。
ローラン卿の眼に、その輝きが映った。
「くっ……ダガーナイフか!」
これで《火焔槍》は相殺できた。
次発がリリを襲うまでには、僅かに猶予があるはずだ。その間に、この距離を詰めるしかない。
リリのいる地点へ向かい、俺は走った。
細胞という細胞からひり出した余力を、カエルの脚に送りつける。漏れ出した魔力は電荷を帯び、地面を蹴る度に小さな白雷を轟かせる。
既にローラン卿は、次の攻撃の準備に入っていた。天から降ろした烈火を束ね、一本の大槍を生成していく。
――義憤を込めし灼熱の聖槍、《朝有紅願・開闢之槍》だ。
あれをまともに食らうわけにはいかない。投擲されるまでに間に合うか。
目算五メートルというところで、俺はリリに向かって右手を伸ばした。リリの左手を掴もうと、指先にありったけの力を巡らせる。
そして。
差し出されたリリの手を、俺は掴んだ――――紛れもない『自分の意思』で。
「これでいいんだな!?」
「うん、多分発動できるはず!」
「そうか……っ! 来るか!」
前を見ると、ちょうどローラン卿が大槍を放ったところだった。
瞬時に左手で剣を構える。俺の陰に隠れ、リリは縮こまる。
正直、《虚栄魔法》が発動できているかどうかは分からない。それでも俺は、リリの手を離すことはしなかった。
衝撃波が残影となり、赤熱した大槍がこちらに迫る。死を覚悟しながらも、俺は渾身の力でそれを斬り上げた。
穂先と刃が接触し、大爆発が起ころうとする刹那。
繋いでいたリリの手が光り、一枚の花弁が視界の端を横切った気がした。
「…………ッ!」
終末に訪れる滅びの光を彷彿とさせる耀きが炸裂し、猛火の波が荒野一面を焼き尽くした。
あまりの熱量にあてられ岩は砂礫と化し、枯れ木は塵芥となって消え失せる。圧倒的な爆音は地面を揺らした。
案の定、ギャラリーからは大歓声が湧きあがった。
だが数秒後、完勝ムードで盛り上がっていた空気は、一気に冷え込むことになる。
♦
【…………嘘でしょ?】
彼らは全員、爆心地のある一点を凝視していた。魂消たように口を開け、声を失ってしまっている。
そのうち、声帯を取り戻した実況者がこう言った。
【…………まーた生き残っちゃってるよ、あのカエル……もーダメだ。意味わからん】
ちらちらと火炎咲く園の中、俺とリリは何とか生き残っていた。
顔の所々に煤が付いたが、熱傷はほとんど負っていない。息も吸えるし、腕も動く。リリの方はもっと軽症なようで、髪の毛が口に入った程度だ。
俺たちが生きていられるのは、どうやら《虚栄魔法》のおかげらしい。
ローラン卿の強靭さをコピーアンドペーストしたことで、俺は驚異的な耐久力を獲得できた。身体に薄く纏ったこの光の衣こそが、その証だ。
さすが二部リーグのトップ登録者だ。日々の鍛錬を欠かすことがなかったのだろう。
今ならば上から巨岩が降って来ても潰されない、そんな根拠のない自信が全身から溢れ出てくる。……きっと俺は今、ローラン卿の才能を肌身で体感しているのだ。
だから俺は、大槍の爆発を一刀のもとに斬り伏せた。
引き裂かれた火炎も爆風も、疑似的に強化された俺は受け切ることができた。
リリの切り札は、この窮地を根底から覆したのである。
「――ありがとう」
握っていた手を離すと、ひとまず俺は相棒へと礼を言った。「お前のおかげで死なずに済んだ」
悪戯っぽく、リリは白い歯を見せる。
「ふふん♪ このお代はステーキで払ってもらうから、覚悟してよね!」
「お前、ほんとに肉が好きだよな」
「焼き加減はレア、付け合わせは甘いニンジン、バゲットは固いのでお願いね! 食にはこだわりを持たないと!」
「はいはい。俺の財産が残ってたら、幾らでも奢ってやるよ」
手袋やマントは、真っ黒に焼けてしまっていた。だが、ギャラリーは俺がカエルの亜人だと知っているのだ。気味悪い両生類の肌を隠す必要は、この場ではもうないだろう。
焦げて穴の開いたそれらを脱ぎ捨て、カエルの手で俺は鉄剣を握り締める。
「この強化状態、どれくらい保つ?」
「たぶんだけど、全力で動いたら一分も続かないと思う。体力の消耗が激しいから、闘う時は気を付けて……あ!」
「どうした?」
「あそこ見て! 向こうの観客席の最上階!」
「……?」
彼女が指を差した方に、俺は視線を投げる。
そこに居たのは、自分がさんざ見慣れた人たちだった。
にゃーさん。カルザックさん。
工事現場にいた森鬼たち。
みんな、俺に好意的に接してくれた人たちだ。
しかも彼らは、此方が見えるように何やら旗を振っていた。旗に書かれた檄文を、視力の良いリリは読み上げる。
「『負けるな! イオリ!』、『ちゃんと僕たちは、ここにいるぞ!』、『カエルの強さを見せつけてやれ!』だって。
……凄い、みんな応援しに駆けつけてくれたんだよ!」
はしゃぐリリの隣で、俺は旗から目を離すことができなかった。
カエルの亜人である俺を応援しても、メリットなんて生まれない。
実際、旗を振るにゃーさんたちは、周囲から白い目を向けられている。仕事にも支障をきたしそうなほど、辺りの雰囲気は険悪だ。
百害あって一利なし。それが俺という存在だ。
だのに、にゃーさんたちは俺の背中を後押ししようと、精いっぱい旗を振っている。見返りなく純粋に、俺を奮い立たせようと激励の言葉を叫んでいる。
そこで気付いた。
(あぁそうか……ずっと嫌われてきた俺でも、応援してくれる人はいるのか)
目頭が熱くなった。勇気の鼓動が胸に染み込んでいく。
涙が出ないよう息を整えた俺は、静かにローラン卿と対峙した。
心には失ったはずの自信が戻って来ていた。
「あれを喰らって尚立つのか……すごいな、君たちは」
《火焔槍》を取り出したローラン卿は、その柄尻を地面に刺した。
動揺を隠す程度には冷静さがあるようだが、俺の生存は予想外だったらしい。決闘前に比べて、彼の顔色は明らかに濁っていた。
絶句している彼に、俺はこんなことを言った。
「アンタがさっき引用した、蛙の諺。
あれ、続きがあるって知ってます?」
「……知らないな。世間知らずの浅はかさを表した言葉に、それ以上の意味はない」
「ありますよ、親父からの受け売りではありますけどね。あの諺にはもう一つの意味があるんです」
詩を詠むように、俺は親父の信条を口にする。
それは、次のような内容だった。
「井の中の蛙、大海を知らず――――『されど、空の蒼さを知る』」
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