第61話 井戸の底の景色
なんとしても、リリの詠唱時間を稼がなければならない。
崖から飛び出した俺は、ローラン卿に向かって最短距離で突進していく。
出迎えとして、すぐに《火焔槍》が飛んできた。
「だあぁぁぁぁぁっっ!!」
一発一発を、鉄剣で叩き落とす暇などなかった。
全部躱そうだなんて考えるな、負傷覚悟で走り続けろ。そう自分に言い聞かせ、俺は馬力全開で地面を蹴る。
狂気に満ちた穂先が頬を掠めた。腕や足にも切傷は増えていく。
鮮血の代わりに噴き出るのは、戦闘義体の動力たる構成因子。紅色の光を散らして、それら残滓は空気に溶けていく。
それでも俺は、雨霰の如く襲い来る槍を紙一重で躱す。
ローラン卿との相対距離は、着実に近づいていた。
剣の間合いまであと少し。
素早く俺は、ウエストポーチに手を入れる。
「――これでも食らえ!」
取り出したのは陶器製の小瓶だった。コルク栓を抜いて、俺はそれを投げつける。
中には植物から精製した種子油が入っていた。
砂かけによる目潰しを作戦その一とするなら、これは作戦その二。
発火点の低い油を撒くことで、『火属性魔法による自爆』を俺は狙った……が、しかし。
「――甘いわ!」
槍から溢れ出る熱により、目論見通り油に火が点いたのも束の間。すぐにウェスタが魔法を唱えた。ローラン卿まで届くことなく、宙に撒かれた油は燃やし尽くされる。
「熱の制御は、あたしの十八番! 雑魚の企みなんてお見通しよ!」
「だとしても……攻めるまでだ!!」
近接戦が開始された。
全身の神経を研ぎ澄まし、石柱を斬り払う勢いで俺は鉄剣を振るった。もちろん斬撃は全て防がれ、闘いはローラン卿優位のまま進んでいく。
それでも、諦めはしなかった。
熱量を一層高めた槍のカウンターで生傷を増やしながらも、俺は次の一手を打ち続ける。
――作戦その三。
『相手が防御した際、槍を握る指を蹴り砕く』。
結果。
槍の消失によって蹴りを避けられた後、瞬時に新たな槍を生成され、失敗。
――作戦その四。
『カエルの舌でウェスタを引き剝がし、相手の戦力ダウンを図る』。
結果。
伸ばした舌が弱点となり、危うく焼かれそうになって、失敗。
――作戦その五。
『射出された槍をキャッチし、投げ返して反撃』。
結果。
火傷を負いながら投げ返すも、軽くあしらわれて、失敗。
その他に決行した作戦も、全て失敗に終わった。
万策尽きた状況だ。有効なカードはもう手元に残されていない。
それでも尚も、俺はローラン卿へと斬りかかった。
こちらの姑息な技は効いていなくてもいい。リリが詠唱する時間が稼げていれば、それでいいのだ。
がむしゃらに剣をねじ込み、俺は火花散る鍔迫り合いへと持ち込もうとする。
「……見るに堪えないな」
拮抗した力比べの向こうで、汗一つかかずにローラン卿は言った。
「品のない攻撃に、軽率な特攻戦術。もう勝負を投げてしまったのかい?」
「泥臭い闘い方、と呼んでくださいよ……まだまだ勝負は、これからなんですから!」
「なるほど。ここまで実力差を見せつけても、君の心を折ることは叶わないのか」
そう言うが早いか。
軸足に力を込めたかと思うと、激しい回転運動によってローラン卿は俺を吹き飛ばした。滑らか過ぎるその動きについて行けず、俺は着地の姿勢を乱してしまう。
この気の緩みを、ローラン卿は見逃さない。
「君が降参しないというのならば、致し方ない――」
千本もの槍を出現させた彼は、静かにこう宣言した。
「――ならば、徹底的に君を痛めつけてみることにしよう。
悪く思わないでくれたまえよ? これは、『必要な犠牲』なんだ」
「……!」
おびただしい数の《火焔槍》が、枯れ果てた荒野に降り注いだ。
燃える穂先は岩を砕き、大地を焦がす。当然、その凶刃は俺にも襲い掛かってきた。
肚の奥から力を最大限引き出して、俺は回避行動に専念した。しかし、いくらなんでもこの物量は脚だけでは避けきれない。
気付いた時には、辺り一面が火で埋め尽くされていた。
息も満足にできない空気の中で、俺は相手の姿を確認しようとする。
……記憶しているのはそこまでだ。
一秒後。
天地開闢を報せる炎で、俺の視界は白く染まった。
♦
――ここは終点じゃないよ。ほら、さっさと起きなさい。
……。
――君の力はそんなものじゃないんでしょ。
……。
――まだ、あの空は見えてる? ザコの三流剣士くん?
……うるせぇよ。
胡乱な幻聴に従って、俺はゆっくりと眼を開いてみた。
♦
「…………」
青い空が見えた。
風にたなびく白雲も、燦然と輝く太陽も見えた。
俺は地面にあおむけに倒れていた。
全身に無数の切傷と火傷を負ったからだろう。息をする度に激痛が皮膚の下を駆け巡る。
結論から言うと、時間稼ぎは失敗した。
《火焔槍》による飽和攻撃に、圧倒的火力の上級魔法を織り交ぜられたのだ。成す術なんて端からなかった。
視界は狭く、耳鳴りは酷い。はっきり感じ取れる感覚情報は、額から流れる構成因子の熱さだけ。
満身創痍の俺は指一本動かせず、無様にその場に転がされていた。
「――そろそろ敗北を認めたらどうかな」
遠くからローラン卿の声が聞こえた気がした。
「君はよく頑張った。二部リーグに身を置く者と、若き無名の挑戦者……試合の結果は歴然だというのに君は逃げなかった。本当に立派な益荒男だよ」
耳障りな賞賛だと思った。
倒した相手に情けを掛けるなんて、オーバーキルにもほどがある。虚無感に包まれていた俺には、それが皮肉にしか聞こえなかった。
彼は言葉を続ける。
「――だがこれまでだ。もはや君には、剣を握るほどの力も残されていない。身体もボロボロ、奇策も尽きた。君に出来ることは何もない」
「……」
「諦めて降参してくれないか。それが君にとって、最善の選択肢になるはずだ」
「…………諦める?」
その一言に、俺はぴくりと身体を動かした。
好きに言わせてやろうと思っていたが、最後の言葉だけはいただけない。反論せずにはいられなかった俺は、最後の力を振り絞って立ちあがる。
鉄剣で身体を支え、膝を震わせ、肩で息をする。
俺は口を開いた。
「そんなワードを簡単に使うなんて……アンタ、相当に恵まれてきたんだな」
「なんだって?」
怪訝な顔をしているローラン卿に、俺は口悪く言ってやった。
「俺たち亜人が『諦める』ってことはな……『死ぬ』と同義なんだよ。
明日、無事に目覚められるか分からない。その日を生き抜けるかどうかも分からない。俺みたいなカエル野郎に至っては、世界中が敵に回るんだ。
……そんな地獄の釜の底で、『諦める』なんて楽な選択ができるもんか」
「妥協することは、悪いことではない。むしろ処世術としては正答だ。
より大きな利益を追求するのであれば、多少の代償には目を瞑るしかない。それが現実というものなんだよ」
ローラン卿は両手を広げる。
「この決闘にしてもそうだ。
負けて君が失うものは、出会い頭に他人から石を投げられる自由だけ。多少の行動は制限されるが、君たちが差別の視線を受けることは限りなくゼロに近くなる。
――君は、君自らの手で、幸福を得る機会を捨てているんだよ」
「違うな。自由が奪われるから、俺は諦めないんじゃない。
そもそも、諦めることを『知らない』んだ」
「……何が言いたい? 言葉尻を捕らえるばかりでは、論議は進行しないぞ」
「知らないことはできない。俺みたいな愚民にとって、これは重要なロジックなんだよ。
アンタは頭が誰よりもいい癖に、ちょくちょく会話がすれ違う……なぜかわかるか?」
ローラン卿は口を閉じていた。
遠慮せず、俺は言った。
「それはな――――アンタが、この世の中を知らないからなんだ」
「……ッ!」
身の丈をわきまえない発言だったことは、自分でも理解していた。それでも、言わずにはいられなかった。
永輝街にあるローラン卿の屋敷。
あの書斎で交わした会話に俺は違和感を覚え続けていた。
ブラックマーケットを確実に潰すことを理由に、ローラン卿は罪を犯していた。
リリを救うためと言って人身売買に一枚噛み、麻薬カルテルを検挙するためと言って密売ルートを作った。
すべては確実に巨悪を根絶するため。
小の犠牲で大を取る。安全なカードだけを切り、決してリスクは背負わない。倒れた屍は涙を流しながら踏み越える。
それが彼の取った選択だった。
下らないと思った。
「ナメた口きいてんじゃねぇぞ!」
「カエルが何様のつもりだ!」
「ローラン卿はご自身の知見を、全て市民のために使って下さっているわ!」
「災厄をもたらすオマエなんかとは、格が違ェんだ!」
「さっさと負けろ!」「気色悪いんだよ!」「目の前から消えてくれ!」
「帰れ!」「帰れ!」
「「――帰れ!!」」
観客席からは、そんな無数の怒号が聞こえてきていた。
どうやらフィールド内に仕掛けられていた集音魔法が、俺たちの会話を拾っていたらしい。どいつもこいつも鬼のような形相で俺を睨んでいた。市民からローラン卿が慕われているのがよくわかる。
だが同時に俺は、彼らがぬるま湯みたいな生活を送ってきたことを一目で察した。
だから彼らの言葉は、こんなにも心に響かないんだ。
「――私が世界を知らないとは、どういう意味かな」
人々が憤慨する声で場内が騒がしい中、ローラン卿は俺に訊ねた。
「もしや、私の『釣り』の仕方が気に入らないから、そんな突拍子もない発言を?」
「正義を語るクセに安全策ばかりを求め、俺たち亜人は『必要な犠牲』として都合よく口を封じる…………そんな貴族のやり口、文句があって当然だろ」
ローラン卿は静かに言った。
「所詮、君は井の中の蛙だ。大海を知らない。
この世は広く複雑で、綺麗事に現を抜かすようでは何も解決しないのさ。
自分の視野が非常に狭いものであると、そろそろ君も自覚した方がいい」
「……へぇ」
有名な諺の引用に、俺は思わず口角を上げてしまった。
彼の指摘は、ある意味で的確だったように思う。
クラウディアに負けて精霊騎士を目指すまで、俺が外界へ興味を持たなかったのは事実だ。俺なんかより社交的に人々と接してきたローラン卿の方が、社会構造についてずっと深く理解していることだろう。
だから当然、彼は答えられるはずだ。
今から抛り投げる、この可逆的な質問についても。
「なら、逆に訊きますよ」
涙嚢と鼻筋の間を伝う構成因子を拭い、爆風で乱れた髪をかき上げる。
そして。
落ち着き払って、俺は訊ねた。
「――――あなたは、井戸の中を覗いたことがありますか?」
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