第49話 リ・スタート
「で、まさかホントに決闘することになるなんてね」
そう言ってリリは、ひょいと水たまりを飛び越える。
「目が飛び出るかと思ったよ。キミが貴族相手にあそこまで強く出るなんてさ」
「だな……自分でも驚いてる」
滑ってコケないよう、慎重に俺は石畳を踏みしめる。
♦
皆から尊敬される貴族に、俺が憧れていた精霊騎士に、真正面から喧嘩を売った。
身の程もわきまえずに、手前勝手に要求をした。
後悔はしていない。
俺は本音を曝け出しただけ。別に俺を見下す他の亜人が奴隷にされても知ったこっちゃないし、アヘンが切れて八つ当たりしてくるあの中毒者共に同情したわけでもない。
ただ、奴らが俺と同じ「底辺」まで落ちてこようとする、その歪んだ環境が好かなかっただけ。
同族嫌悪、というやつだ。これは。
「まぁおかげで、ローラン卿が条件を呑んでくれて助かったよ」
他人事のように俺はぼやく。
「虚勢を張った甲斐もあった、ってことかな」
付かず離れずの距離で並んだ二つの人影は、前方に向かって長く伸びている。
地平線の向こうに沈みかけた太陽を背負い、ダラダラと俺たちは歩いていく。
怪しい占い屋に有料トイレ、熱々のカップルが愛を確かめ合っているベンチ。
それらの前を通り過ぎる傍ら、リリが重そうに口を開いた。
「……でもさ」
「なんだよ」
「その代わりに、君は無茶しなきゃならない羽目になったわけでしょ?
ローランさんから、あんな追加条件まで出されてさ」
「大げさだな。あれくらい、屁でもないって」
条件。
それはローラン卿側から提示された、もしも俺が負けた時に支払うことになる代償のことを指している。
一つは、『リリを手放して彼の保護下に置かせること』。
そして、もう一つ。
――――『俺の持つ権利すべてを、ローラン卿へ完全に譲渡すること』。
身体も精神も、財産も人権もすべてを彼に捧げる。
実験動物として使用されるのか、秘薬の材料として内臓を売り捌かれるのか。
そこのところは分からないが、これだけは言える。
つまるところ、ローラン卿との決闘に負ければ、俺は彼の「所有物」となる。
文字通り、俺は命を賭けねばならないのだ。
「……ごめんね」
「なんだよ、いきなり」
「わたしの問題に巻き込んじゃって、本当にごめん」
リリは申し訳なさそうに俯いていた。
どうやら無駄に責任を感じてしまっているらしい。まともに俺の方を見ようとしない。テンションも低いままだ。
空気が重く感じる。
「お前らしくもない発言だな。
普段なら、
『いやぁー悪いねー! キミの命も質に入れることになっちゃったー! でも仕方ないよねー、わたしが可愛いせいだからー、うふ♡』
って、ふざけるところだってのに」
「……」
「なんか言い返してくれよ」
まだ、リリは黙り込んでいた。意気消沈と表情を曇らせてしまっていた。
確かに今回の決闘は、リリが特別な存在で、且つヨナス達イカレポンチ共に狙われていることが発端となっている。
加えて、ローラン卿が差し出した救いの手を、あえてリリは取らなかった。
俺との契約を優先したのだ。
なぜ、金も力も未来もない俺と手を組み続けているのか。
その理由を卑屈な俺は一片も理解できていない。
ただし、これだけは言える。
――リリは何も悪くない。
売られそうになったり、守られそうになったりと忙しいこいつは、言うなれば摂政に振り回される姫のようなもの。
単なる被害者だ。
そして俺は、俺自身の意志で命を賭けることにした。
そうすることで、あの二枚目貴族から好条件を引き出させようとしたに過ぎない。
だから、リリが負い目を感じる必要なんて微塵もないのである。
「そんなに気にするなよ。命を賭ける判断を下したのは、紛れもなく俺なんだ。お前のせいじゃない」
「……うん」
「それに考えてみろ。そもそも俺の人権なんて、あってないようなもんだろ。カエルの亜人なんだからさ」
「……うん」
「お前がいたからこそ、ローラン卿は俺なんかと会ってくれたんだ。
むしろお前には、小指の爪先くらいは感謝してるんだぞ?」
「…………」
ますます、リリは俯いて顔を隠そうとしていた。
どうやら精神的に相当参っている様子だ。軽口の一つも叩いてくれない。
この流れは非常にまずい。会話のレスポンスが悪いせいで、何だかこっちまで調子が狂いそうだ。
鬱屈としたムードを払い退けようと、俺は辺りに助けを求めてみる。
しかし、ここはメインストリートから遠く離れた裏通り。
年頃の女子が歓声を上げそうなオシャレなショップなんて何処にもない。
辛うじて進行方向上にあったのは、仕入れ元が不明な商品を並べているような、小さくて小汚い露店ばかり。
萎びた野菜を売る八百屋に、紫色の発酵物を売るスムージー屋、ヒビの入った看板を立て掛けている靴の修理屋などなど。
どれもパッとしない印象で、あまりにも庶民的だ。
それでも俺は、目を見張って救済の蜘蛛の糸を探す。
何かないか。
リリが喜ぶアイテムを売っていそうな店は。
「お。あそこがいいか」
「……?」
ふと直感的に、俺は近くにあった小物店に足を伸ばした。
♦
気難しそうなおじさんが経営するその露店には、素朴で地味な色使いのアクセサリーがずらりと並んでいた。
動物の骨で作った首飾りなんかもぶら下げられているから、一見すると呪術道具を売っているのかと誤解してしまう。
そのくらい怪しい店構えをした露店だった。
ざっと商品を見回す。
そうして、最も趣のありそうなアイテムを手に取る。
「おじさん、これ幾ら? ……高いな、もう少し安くしてよ。……うん、それなら買える。うん、ありがとう」
値段交渉は無事成立。
商品を受け取り、すぐにリリのところまで戻る。尚もリリは暗い顔をしていた。
ムカついたので、俺はプレゼントを投げて寄越してやった。
「はい、これ」
「わっ……なに?」
リリの手にあったのは、鮮やかな暖色系の糸で編まれたブレスレットだった。
ミサンガに似たそれには貴石でできたビーズが通されており、丁寧に研磨されたそれは僅かな西日を受けてチラチラと輝きを放っている。
すっかり見惚れているリリに、俺は言った。
「そこの店で見つけた安っすい民芸品ですが、なにか文句でも」
「……くれるの?」
「もちろん。せっかくだし、着けてみろよ」
促されたリリは、口と手を器用に使ってブレスレットを左手に結んでいく。
やがて身に着け終わると、リリは改めて左手を眺めた。
エキゾチックな魅力を秘めたブレスレットは、彼女が着ている極東の巫女服にとても似合っていた。
「ちょっと可愛い……かも」
「そりゃ、よござんした」
数時間ぶりに明るさを取り戻した相棒の姿に、俺はホッと胸を撫でおろす。
良かった。内心、自分のチョイスに若干の不安を抱いていたのだが、どうやらお気に召してくれたらしい。
嬉しそうに顔を上げて、リリは頬を薄紅色に染めていた。
このタイミングが頃合いだろう。
「さっきも言ったけど、あんま気にすんなよ?」
「え?」
「俺が勝手に引き受けた、例の決闘の話だよ」
元気そうになった彼女に、俺はこう告げる。
「俺とお前は一蓮托生なんだ。
お前が俺に力を貸してくれるように、俺もお前に力を貸してやる。命だって賭けてやるさ」
「……いいの? わたしなんかのために」
「お前の意志は最大限尊重する。でも、俺との契約を継続するって決めたんなら、さっさと腹をくくってくれ。
そんで、一緒にこれからどうすべきかを考えよう」
「簡単に言うなぁ……相手はお偉いさんだっていうのに」
「俺に気なんて遣わなくていい。
いつも通りお前は、馬鹿みたいに明るく振る舞ってればいいんだ。じゃないとむしろ、張り合いがなくて困る」
それに、と俺はリリの左手首を指差した。
しゃらっと巻かれたブレスレットは、陽の残光をまだ仄かに含んでいる。
まるで亜人と精霊の間を取り持つかのように、その残光は空間上に眩い白線を引いていた。
無論、その光はこちらの眼にも届いている。
切っても切れない繋がりが、そこにはあった。
「――その紐が、俺たちが運命共同体だって証だ」
包み隠さず、俺は本音を言い切る。
「遠慮はいらない。パートナーである俺を、存分に巻き込んでくれていい。だから……そんな顔するなよ」
「……」
一瞬、リリの表情がくしゃっと崩れかけた気がした。
迷子だった少女が親と感動の再会を果たすシーンを想起させるような、安堵した顔だ。
だが。
すぐに彼女は白い歯を見せて、泣きそうになった事実を誤魔化した。
「……そうだね、うん。わたしとしたことが、柄にもなく落ち込んじゃった!」
朗らかな口調で自身を奮い立たせたリリは、さっさか宿に向かって歩き始める。
この自由奔放さ。俺には見覚えがある。
良かった。
彼女の機嫌は、完全に復活したらしい。
少なくとも、俺の眼にはそう見えた。
「さ、行こ! お腹減っちゃった!」
「ホント、どこまでも勝手な奴だな」
やれやれ、と俺は肩を竦める。
お読みいただき、ありがとうございました!
「面白い!」「続きに期待!」と思ってくださった方は、ぜひブックマークや★評価をよろしくお願い致します!
執筆のモチベーションに繋がりますので、どうか!
これからも応援のほど、何卒よろしくお願いします!!