第48話 それぞれの務め
――――リリを保護させてくれないか。
――――あの、ヨナスの魔の手から。
確かにそう、ローラン卿は言っていた。
この言葉を聞いた時、思わず俺は顔をしかめてしまった。
「リリを保護するだって?」
「あぁ」
「……二部リーグ登録者で貴族の、あのヨナス・アルストマから?」
「そうだ」
信じられない話だった。
ヨナスとローラン卿は、人身売買の件で手を組んでいる間柄のはずだ。
旧来の親友であると公言もしていたし、今回俺を呼び出したのもてっきり「ヨナスにリリを引き渡したいから」だと思っていた。
なのに彼は、「その親友からリリを守りたい」と言った。
話が矛盾している。ますます彼の意図が見えなくなる。
ヨナスと敵対でもする気なのか?
俺たちの味方だとでも主張するつもりなのか?
「――横取りされたリリを取り返し、ヨナスに引き渡そうとするのならわかります」
ですが、と俺は首をひねる。「ヨナスから守りたいとは、いったいどういう意味です?」
「なに、簡単なことだよ」
すっぱりとローラン卿は言い切った。
「――――彼の悪逆非道な行いは、前々から目に余ると思っていたのさ。
だからせめて、リリアーナくんだけでも助けたいんだ」
「……コイツの他にも、奴隷商に流されているマナリア人や亜人はいます。
しかもあなたの場合、貧乏人をカモにしてアヘンまで売り捌いている。
不幸な彼らに、同じ言葉はかけないんですか」
「もちろん、いずれは解決しなければならない問題だと思っているよ。
一斉摘発のための罠は、もう二年も前から張っているんだ」
「……すべては『潜入捜査』だった、と?」
「麻薬密売を行ったのもそれが理由さ。裏社会に身を置けば、それだけ悪人たちの動きを掴むことができるからね」
引っかかる言い方だった。耳の奥にクソが詰まったような、そんな気色悪い感覚。
思わず俺は苦笑する。
「その潜入捜査で売られた麻薬を買って、不幸になった人からすれば……そんなの、堪ったもんじゃないですよ」
「どんな物事にも犠牲は付き物だ。真に大事なことは、その犠牲を如何に少なくするかだよ」
「ははは。独善的な正論ですね、ヘドが出る」
いつも誰かの踏み台にされてきた俺としては、胃腸がむかむかする話だった。
そんなに俺たち弱者は、『可哀想な人間』なのか。『やむを得ず切り捨てるあぶれ者』なのか。
納得がいかない。庶民に寄り添うふりをして、この男も効率を重視するのか。
命を蔑ろにした彼の発言。
心の底へ密かに不信感が募っていく。
「ブラックマーケットは、段階を経て確実に潰すよ。人身売買も麻薬も、この街から一掃するつもりだ」
淡々と、ローラン卿は言った。「ただ…………本来リリアーナくんは、私がヨナスから買うことになっていたんだよ」
妙に納得を覚える回答だった。
ヨナスが行っていたのは人身売買。
狸顔の商人から精霊を仕入れ、また別の誰かに高値で売り捌くことで利益を出していた。
つまり、あの精霊には他に買い手がいたのだ。きっと。
仮にその買い手がローラン卿であったのなら、にゃーさんが彼をヨナスの共犯者であると勘違いしてもおかしくない。
本当は精霊を助けようとして、それを買ったのだとしても、だ。
「その話、どこまで信じていいんですか」
「君と同じだよ。証拠などないさ」
しかし、とローラン卿は慎重に言葉を選んでいく。
「イオリくんよりも僕の方が、彼女をより安全に保護できるのは確かだ」
「……?」
「君は過去に二度、リリアーナくんから目を離してしまっている…………ヨナスの部下を追撃した時と、工事現場で魔物の討伐を行っている時だ」
「っ! なんでそれを!」
呆れたようにローラン卿はため息をついた。
「――彼女の価値は、君が思っている以上に深く、重い。
だというのに、君は気を抜いていた。追手がいるかもしれない状況にもかかわらず、だ」
「……」
見張られていたのか。
リリと契約を交わしてから、今までずっと。
正論を叩きつけられた俺は、黙り込んで考えてしまった。
ローラン卿の言う通りだ。力不足の俺一人では、リリを守り続けることは実質不可能。
いったい俺は、どんな決断を下せばいいのだろう。
……ダメだ。
俺に決断する資格はない。
「彼女が心配だと言うのなら、君もここに残ればいい。
私の目の届く範囲に居れば、亜人というだけで君が石を投げられることもない」
最後のもう一押しとでも言わんばかりに、彼は最後にこう言った。
「お願いだ。彼女を手放してくれ。
君なら真っ直ぐに現実を見ることができるはずだ。
辛い決断かもしれないが、リリアーナくんを魔の教団に使われないためにも…………」
そこまで聞いたところで。
彼の発言を遮るかたちで、俺はひとつ声を発した。
♦
「――――知りませんよ」
「なに?」
「そんなこと、俺に対して言わないでください」
「……どういう意味かな」
一気に警戒態勢を取るローラン卿に、俺は言ってやった。
そうだ。
リリを引き渡すかどうか、愚かな亜人に決める権利なんかない。
誰に着くか。誰を信じるか。
決めていいのはアイツだけだ。
「――単にこいつは、利用しやすい俺に寄生してるだけの精霊です。
こいつからしたら、俺なんて勝手に飯と寝床を用意してくれる使用人と同じ。
ただズルズルと縁を引きずってるだけで、絆なんてこれっぽっちもないんですよ」
「そうか。なら……!」
「ヨナスの野郎にも言いましたが、精霊はモノじゃない。
ちゃんと意志のある生物……いや。こいつの場合は、れっきとした人間だ」
「…………では、私はどうすればいいのかな?」
「決まってるでしょう」
そう言って、俺は背後に引っ付いているリリの腕を掴み、俺の隣に立たせた。
半歩、脇に身を引いた俺は、ローラン卿にこう促す。
「――――口説きたきゃ、勝手に口説けよ」
「……」
「要はそういうことです。こいつが誰を利用したいかなんて、俺の知ったことじゃない」
「……ふっ、ははは!!」
まさかお見合いを提案されるとは思ってもみなかったのだろう。
さっきまでの硬い表情から一変して、ローラン卿は人目も憚らずに吹き出していた。
足元にいる狐と一緒に、心の底から笑っている。
「いやぁ、すまない!
女性との踊り方は学んできたつもりだが、その考えには至らなかった……しかしそうだね、君の言う通りだ」
ひとしきり笑い終えると、ローラン卿はリリの方に向き直った。
ミントを彷彿とさせる爽やかな顔で、彼は言った。
「どうかな、リリアーナくん。今までの話を聞いて、私の下へ来る気はないかい?」
「……」
「もちろん強制はしない。あくまで君の意思次第だが、どうする?」
「……」
しばらくの間、リリは黙っていた。
だが。
口を開くなり、彼女はこう言った。
「…………とりあえず、このカエルを一発殴ってイイですか」
「「へ?」」
俺とローラン卿が同時に素っとん狂な声を上げた、その瞬間。
バチンッ!
渾身の平手打ちが、俺の頬を直撃した。
熱が、電流が、体中を駆け巡る。
「――痛ったいな! いきなり何すんだよ!」
ぶたれた頬を擦り、憤慨する俺。
悪びれもせずにリリは答えた。
「キミの台詞がウザかった。だから殴った」
「むちゃくちゃ過ぎない!?」
「…………でも、ありがと」
「え?」
呆気に取られている俺の袖を、彼女は握り、引き寄せる。
そして、リリはこう宣言した。
「――これでも私は、このぼんくらと契約した精霊です。
契りを結んだ以上、立てた誓いは果たさなければなりません」
「つまり?」
「あなたの下には行けません。わたしたちは精霊騎士になり、世の不条理をひっくり返さなければならないので」
「……どうしても、かい?」
「はい」
「……」
普通の人間が聞けば、鼻で嗤って一蹴してしまうような拒否理由。
だが真面目な性格ゆえか、ローラン卿はリリの言葉を馬鹿にすることはしなかった。
残念そうに髪をかきあげ、ふっと彼は眼を閉じる。
「仕方ない、か…………」
そう言うと。
藪から棒に、ローラン卿は口を開く。
「イオリくん」
「なんですか?」
「――――此度の結論、すべて『決闘』で決めないか」
♦
「……ッ、正気ですか?」
殴られた頬の痛みが消し飛ぶほどの衝撃だった。
二部リーグ登録者が、俺に決闘を挑む?
なんだそれ。前代未聞だぞ。
混乱する俺の表情を見て取ったのか、彼はこう続ける。
「本当なら、君たちを此の場から帰すわけにはいかないんだ。
だが、君はアヘンの密売ルート摘発の件を知っている。この情報が外部に漏れれば、私が麻薬組織逮捕のためにかけた労力、その全てが水の泡だ」
「そう……ですね」
「用意周到な君のことだ。
此処に来る前に、帽子のジャーナリストに『伝言』を預けているんだろう?」
そこまで読まれているとは思っていなかった。
心の内で、密かに俺は舌を巻く。
確かに俺は、にゃーさんにメッセージを残していた。
仮に自分が戻らなかった場合、麻薬密売ルートの情報を世間に公開してくれ。
なるべくローラン卿の株が下がるように、と。
強欲な貴族界の海を渡り歩いてきただけのことはある。
保険のつもりで備えていた隠し札だが、まさかもう見抜かれるとは思わなかった。さすがだ。
「こちらとしても、捜査を妨害される事態は避けたい。
だが、君の望みと私の望みは擦り合わせが利かない。平行線を辿るだけだ……」
ならば、と彼は力強く立ちあがる。
「――決闘しかあるまい。
己が望みを賭けて、心行くまで剣を交える。
私たちの性格からしても、それが最善策だろう……違うかい?」
「いつやる気ですか。二部リーグ登録者ともあろう方なら、調整がつかないのでは?」
「早ければ、明日にでも決着を付けよう。
ちょうど週末に闘技場建立100周年の式典がある。そこでの興行試合スケジュールに、君との試合を紛れ込ませよう」
「おいおい……マジですか」
「どうかな。
この申し入れ、受けてくれるかい?」
予想外の展開に圧倒されながらも、肝心なことを俺は聞いた。
「あなたは二部リーグのトップ騎士だ。
一般人枠の俺が相手なら、勝って当然の試合になると思うのですが?」
「相応のハンデはあげるつもりさ。腕を縛るであるとか、魔法を使わないであるとか」
「いえ、そういうのは要りません」
「では、君は何が欲しいのかな?」
「――――最大限、俺の望みを譲歩してください」
そう言って、俺は指を三本立てる。
ゆっくりと、自分の希望を伝えていった。
ひとつ。
――――カルザックさんの会社にもともとの成功報酬分、資金援助を行うこと。
ふたつ。
――――リリの監視を解き、且つ二度と売買されないように対策を講じること。
みっつ。
――――麻薬密売ルートの摘発、及び人身売買ルートの一斉摘発を一か月以内に終わらせること。
言い終えたところで。
ローラン卿は訝し気に質問を投げかけてきた。
「それが、君が決闘を受けるにあたって提示する条件だとして…………三つ目の条件は、なんだ?」
ぱくっと俺は応える。
「気に食わないんです。人が売り買いされるのって。
うんざりしてるんですよ」
「……それで?」
「あなたの言う通りです。
剣しか能がないっていうのに、未だに俺は弱いまま……できることが限られた、半人前の亜人です」
だから、と俺はローラン卿を目で真っ直ぐに射貫く。
「俺にはできないことを、あなたにやって欲しいんです。
俺みたいな弱者が、もうこれ以上傷つかなくていいように」
♦
都会に出て来て、いろんな人間を見た。
カエルの亜人を嫌う人。
命を軽く扱う人。
より地位の低い人間を虐げる人。
……それだけじゃない。
人さらいによって競売にかけられ、人権を剥奪される亜人。
騎士にいいように利用されて、捨てられそうになったジャーナリスト。
納期間近の工事に追われ、麻薬でなんとか気力を持たせようとする中毒者。
自分と同じ、弱い人間をたくさん見た。
彼らを全員救うことなんて、底辺の生活を送る俺には絶対に出来ない。
だが、ローラン卿は違う。
金に地位、名誉に能力も兼ね備えた彼なら、この街に生きる弱者を皆幸せにすることができるかもしれない。
すべては彼次第なのだ。
「――なぜ、あなたが『安全策』ばかりに逃げるのか。その理由はわかりません」
「……!」
「密売組織を捕まえる方法なんて、頭のイイあなたならいくらでも思い付くはずなのに。
小の犠牲を出してでも、確実に大の結果を取ろうとあなたは動いている――」
犠牲にされ見捨てられた者たちにも、それぞれ生活がある。
だというのに、弱者である彼らの苦しみの声から、ローラン卿は目を逸らしている。
悪人に裁きを加えるために、二年の歳月をかけて捜査の網を広げた。
その間に奴隷として売られた人々がいることを知っていてなお、彼はそれが正しい決断だったと言おうとしている。
実際、これは正しいことだろう。
彼はあまりに多くのものを背負った貴族だ。
領民からの信頼も、弟子たちからの尊敬も、富豪や権力者たちと結んだ闇の深い繋がりも、彼は守り抜かなければならない立場にいる。
無暗にリスクを冒すわけにはいかないのだ。
……でも。
「でも、そんなことはどうだっていい。俺があなたに言えることは、これだけだ――」
ローラン卿の目の前に立った。
百八十センチ以上ある彼のことを、じっと見上げてみる。
カリスマ性に溢れ、機知に富み、己が道を往くことに躊躇いを感じている、そんな良家の当主の顔が見えた。
「――『ノブレス・オブリージュ』」
本から得た薄い知識を、俺は口にする。
使い慣れていない言葉だから、歯が浮ついてしょうがない。
ただ、使い方は間違っていないはずだ。
自分の想いを乗せ、ぶつけることはできたはずだ。
ダメ押しとばかりに、力を込めて俺は言った。
「――――貴族の務めを果たしてください。あなたならそれができるのだから」
「…………」
ローラン卿は何も言わなかった。
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