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第47話 誤解と取引

 古そうな本だった。


 表紙に刻まれた文字はボロボロに風化しており、分厚く重なった紙は日焼けと手垢で赤茶色になっている。

 しかもローラン卿がページをめくったところ、湿った石窟のように陰鬱なカビの匂いが薄く漂ってきた。


 古文書の一種なのだろうか。



「――真正アルマ教に関する神話がまとめられた、一種の聖書だよ」


 本の内容を見せながら、ローラン卿はそう言った。

 薦められた俺も、一応その本に目を通す。


 が、古代文字で書かれているからか、内容は一ミリも理解できなかった。



 ページの縁にアカンサスの、あのギザギザとした葉のデザインが施されているから、少なくともマナリア大陸の西部の文化に関する神話が載っているのだろう。


 そういう大まかな推測はできるが……だから何だという話だ。

 俺ごときの頭では、この壮大な物語の内容はとんと見当もつかない。


 また挿絵には、鎖が巻かれた巨大な箱とそれを囲む人々が描かれていた。

 もしや、立方体を崇拝する宗教のことでも書かれているのだろうか。そんな馬鹿な。


 首を捻る俺とリリに対し、ローラン卿は優しくこう訊ねてきた。



「――君たちは、アステアの碑文というものを知っているかい」

「何ですか、それ」リリが聞き返した。


「南西のアステア地方で発見された古代遺跡、そこで発掘されたクォーツ製の石碑だよ」

「へぇ……くぉーつですか」

「この古文書にも、その石碑に刻まれたものと同じ文章が記されているんだ」


 少し読み上げてみようか、とローラン卿は古代文字に指を添える。

 祝詞を口にするかのように、彼はしっとりと語った。



 ――――神々が作りしその巨大な棺には、扉もなければ窓もない。


 火も水も寄せ付けないそれには、銀の鎖が七重に巻かれている。


 棺の中には五つの花々。束ねてマグノウアの種を紡ぐ。


 腹を空かせて弱った虎狼は、花より齎される魅惑の香りに惹かれ、棺を悪意の腹へとしまい込む。


 やがて鎖が斬られ、蒼き双眸が閃く年。


 聖なる血と契約の唄を聞きし花は、自らの意思で宿るべき大地を見つけることだろう――――



 黙って俺は、その語りを聞いていた。

 というより、反応に困っていた。


 理由は、もうわかっている。

 次にローラン卿が何を言おうとしているのか、ある程度察しがついたからだ。


 鎖が巻かれた棺。

 欲に塗れた虎狼のような悪人。

 そして、「花」。


 聖書に登場したこれらの単語が、いったい何を意味しているのか。

 すでに石碑の予言に似た状況を体験済みだった俺には、その繋がりが見えている。



「……」


 俺のデジャヴ通り、ローラン卿は古文書から目を上げた。ゆっくりと視線を俺の相棒の方へと合わせる。


 真面目な顔をして、彼は言った。


「――――君こそが『()』なんだよ、リリアーナくん」

「えぇっ!?」



 驚きのあまり、リリは掴んでいたベルトをさらに強く握り、後ろに引いた。

 装着者の腹は圧迫され、俺は小さく呻き声を挙げる。


「まさかローさんってば、そんな予言を信じてるんですか!?」


 調子の外れた間抜けな声で、リリは訊いた。「イイ大人なのに!!」


 酷い言われように、ローラン卿は苦笑する。


「これでも私は、錬金術にも精通していてね。

 たった一つの戯言を盲信するほど馬鹿ではないのだけが……少なくとも、ヨナスやその他の人間は別なんだ」


「ヨナスさんと知り合いなんですか?」

「僕の友人なんだよ。旧来の、ね」



 やはり、ヨナスが出てくるのか。


 憎き上級国民の名を聞いた俺は、憤りの感情を奥歯で無理やり噛み潰す。


 新世界を作るとほざいていたあの野郎は、こんな幼稚な予言を現実にするためにリリを金で買おうとしたのだ。

 その事実を、今再確認することができた。


 だがにゃーさん曰く、ローラン卿はその最低な奴と交友関係にあるという。


 人身売買。

 そこに、今回発覚した『麻薬密売ルート建設』の件。

 どちらもヨナスが関わっていて、目の前の彼もその悪事に加担していたとしたら。


 ――――尊敬するローラン卿に対して、俺はどんな態度を取ればいいのだろうか。



(会話をする限り、性根が腐っている雰囲気はしない。

 ……ただ、ローラン卿に裏があるのは確かだ)


 カエルの亜人である俺を、二つ返事で館に上げたこと。

 他人払いをして、一対一で話し合いができる場を用意したこと。

 そして、国教である真正アルマ教の神話を引用したこと。


 どの行動も、動機が不明瞭でとても不気味だ。


 「リリを保護したい」と口では言っているが、その言葉が本当なのかを判別する術なぞ此方にはないし、誰から守りたいのかも不明確。

 ここまで話が見えないと、ローラン卿が意図的に理論の迷宮を作っているように思えてきてしまう。


 いったいローラン卿は、何を企んでいるのか。



「……碑文には続きがある。

 長いから要約するが、そこにはこうも書かれているんだ」


 遠くを見つめるようにして、彼は言った。


「――『花弁散り、三本のオリーヴに実が紡がれる時。

 光射す審判の丘は、獣たちの讃美歌に包まれる。すべての罪は浄化され、種は新たな器を得る。

 そして、世界は豊かな終わりを迎える』」


「……で?」

「世界の終末が、彼女の手で引き起こされる可能性がある。

 だから私は、必死になってキミを説得しているんだ」


 意味不明な伝承に、これ以上付き合う必要はない。

 痺れを切らした俺は、堪らず訊いてみた。


「そんなおとぎ噺が、俺たちに何か関係しているんですか?」


「正直言って、まだ繋がりは分からない。だが、ここまで話を聞いていればわかるだろう?」

「何がです?」



 目を光らせ、ローラン卿は答える。


「…………リリアーナくんが特別な存在であることが、だよ」

「まぁ、それは」


 わかってはいた。

 巨大な石棺から登場して、二部リーグ登録者であるヨナスから執拗に追い回された日々を鑑みれば、そんな事実は一目瞭然だ。


 古代の伝承に出てくるほどの大物であるとは思ってもみなかったが、それでもウェスタの狐っぷりに愕然とした時と比べれば、驚くほどの問題ではない。


 そうだ。

 問題は、別にある。



「――では、ローラン卿はその特別な存在をどうしたいんですか?」

 思い切って、俺は相手の腹の裏に飛び込んでみる。


「こんな風に俺とサシで話して、いったい何を頼みたいんですか?」

「……」


 ローラン卿は目を瞑り、顎を引いた。

 そして。

 嘘偽りを感じさせない情念のこもった声で、彼は言うのだ。


「……お願いだ、イオリくん。

 私にリリアーナくんを保護させてくれないか。

 ――――()()()()()()()()()()()



 外に出ると、雨はすでに上がっていた。


 辺りには湿った土埃の匂いが立ち込めていて、草に身を隠していたハナアブたちは食事をしに方々へと飛んでいく。


 そんな黄昏時。治安の悪そうな裏通りを、とろとろと俺たちは歩いていた。


 激安がウリの立ち飲みバールからは早々に出来上がった酔っぱらいたちの唄が聞こえ、北の山から流れる秋風は足元を柔らかに通り過ぎる。

 心地よい雰囲気に包まれた道。にもかかわらず、俺にはその熱が遠くに感じられた。


 不安だったからだろう。



 途中、シュラスコを焼いている露店の前を通った際に、腹を空かせたリリがこんなことを言った。


「ねぇ」

「うん?」


「そろそろ夕ご飯、買っちゃわない?」

「……後で、な」


「えぇー! 買おうよシュラスコ買おうよー!」

「肉が高いの知ってるだろ? はいそうですかって頂戴できるほど、俺たちの財布は膨らんでないんだよ」


「うー……わかった。我慢する」

「ご協力痛み入ります、本当に」



 ついこの間までお世話になっていた安宿、『ナベの蓋』へと歩を進めていく。


 気兼ねすることなく亜人が泊まれるような宿は、街の中でもあそこだけだ。

 どうせ予約客は少ないだろうし、今夜も三階の呪い部屋を使わせてもらおう。ロープライスでベッドに入れれば、きっと体力も精神も全快できる。


 なにせ明日までに、ちゃんと羽を伸ばさなければならないのだ。


 …………ローラン卿と、()()()()()を交わしてしまったばっかりに。



「そういえばさ」


 すると、突然。

 口の端から垂れそうになった涎を呑込むと、何時になく真面目な表情でリリは言った。


「カルザックさん、わたしたちのこと心配してくれてたね」

「……そうだな」

「泣きそうな顔してたもん。びっくりしちゃった」


 カルザックさんとは、ローラン卿の邸宅前で再会した。


 というのも、俺たちが無事に戻ってこられるかどうか、不安で不安で仕方なかったらしい。

 俺たちより先にローラン卿との会談を終えていたのに、彼はずっと門の前で待ってくれていたのだ。


 邸宅の敷地外に一歩出た瞬間に抱きしめられた時は、本気で心臓が止まるかと思った。

 が……昂る感情で行動を制御できなかったのだろう。


 俺たちの安否を気に掛けてくれた彼のリアクションは、結果として此方の心を芯から温めた。



「しかも、屋台通りの近くまで馬車で送ってくれるなんて、優しい人だよね」

「そうだな。頼んでもいないのにな」


「給料の前借も赦してくれたし、自分の家に泊めようとしてくれてたし、ああいう人格者が上司になるべきなんだろうなー」

「……あの人は優しすぎるんだよ。

 会社の上には立てても、国民全員の上に立とうとしたら重責ですぐに潰れるタイプだ」


 実際カルザックさんは、俺たちとあまり眼を合わせようとはしなかった。

 玄関前でも馬車の荷台でも、俺と話をしているときは後ろめたそうに目を逸らしていた。


 きっと、ローラン卿から提示された「あの条件」が良心の呵責に引っかかっているのだろう。


 貴族たちが住まう永輝街から出立し、その日暮らしの一般市民が多くたむろする下町で俺たちを降ろすまで。

 終始カルザックさんの顔色は、堕罪の意識からか黒く影を落としていた。



「……やっぱり、キミに迷惑を掛けちゃったって後悔してるのかな」


「誰が?」

「カルザックさんが」

「あぁ、そうかもな」


 別に気にしなくてもいいのに、と俺は石畳に向けていた視線を少し上げる。

 建物群の玄関に取り付けられたランプには、ぽつぽつと光が灯り始めていた。


「……あの条件は、俺が勝手にローラン卿へ叩きつけたもんだ」


 ぼんやりと俺は言う。「むしろ巻き込まれたことを怒るべきなんだ、カルザックさんは」



「そうだね。たくさんの従業員のみなさんだっているし、カルザックさんは何も悪くないかもね」


 リリも同意の声を挙げた。「これはわたしたちが引き起こした問題なんだ……うん」



 その発言をきっかけに、俺は一時間前にした会話を思い出していた。


 書斎にて。

 ローラン卿と話した、あの条件について。


 今後の身の振り方を考えるためにも、俺は当時のことを一字一句振り返っていく。

 お読みいただき、ありがとうございました!


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 これからも応援のほど、何卒よろしくお願いします!!

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