第45話 『炎帝』ローラン・トリルバット
不意を突かれた俺は、柄を掴んだ姿勢のままでその場に固まってしまった。
弟子たち二人も同様に、抜剣直前の格好で硬直している。どうやら幻聴ではなかったらしい。
怒号の主を刺激しないよう、最小の動きで書斎の扉の方を見てみる。
誰かいた。
「まったく……客人に無礼を働いてはいけない、とアレほど言い聞かせたというのに」
その男は、俺より一回り背が高かった。
体つきはスラリと引き締まっており、その風格は武芸に秀でた人間であることを主張している。
静かに燃える焔に似た赤茶色の髪。淑女のように穏やかな目付き。嘘や災いといったオーラを感じさせない口元。
顔立ちに至っては御伽話の王子様を彷彿とさせており、頬の輪郭は義と清廉さによって綺麗に整えられていた。
ガーネット色を基調とした裾の長いコートに純白のスーツを合わせたこの男は、おそらく屋敷を所有する貴族。
居るだけで圧倒的なカリスマ性を放っているから、間違いない。
そんな彼は、呆れた様子で弟子たちをこう批難する。
「……水を用意するだけの簡単なお遣いもできないのかい、君たちは」
言葉の刃を向けられた弟子たちは、見るからに震えあがっていた。
額から生温かい汗を滝のように流し、ガチガチと歯を打ち鳴らして恐怖している。
彼らの目は、後悔の念でいっぱいだった。
「ち、違うんです!」
そのうち、弟子の一人が言った。「これは御ふざけと言うか、ゲームをしていたと言うか!」
「そうです、そうです!」
もう一人も口裏を合わせる。「互いに了解したうえで、親睦を深めるためにやってただけで!」
落ち着きを失くした弟子たちは、必死に弁明していた。
これは誤解だ。自分達は悪くない。だから見逃してくれ。
そんな浅い自己辯護に走っている。
何とかして赦されようと頭を絞るその光景は、実に愚かしく見苦しいものだった。
「――御託はいいよ。言い訳ならあとで聞く」
弟子たちに反省の色はない。
ならば、ここで叱っても時間の無駄。そう考えたのだろう。
貴族の男は弟子たちに近づくと、ポンと軽く肩を叩いた。
緊張で縮こまる彼らに対し、彼は命を告げる。
「さぁ、もてなしが済んだのなら下がってくれ。
これから私は、客人と大事な話をしなければならないんだ」
「そんな、僕たちはただ……!」
「――早く」
たった一言、貴族の男は冷徹に言い放った。
これはまさに、ゲスト応対の戦力外通告。
師の期待を裏切る形となってしまった事実を自覚し、みるみる弟子たちの顔面が蒼白になる。
もう状況は覆せない。
彼らに残された選択肢は、この部屋を去ることただ一つだった。
「……し、失礼致します」
不本意そうに小さく頭を下げ、弟子たちは書斎から出て行こうとする。
脇を通り抜ける途中、一瞬だけ彼らは俺のことを睨んだ。
血走った目で、こちらを責め立てるように。
(今のは自業自得だろ。さっさと出てけよ)
それ以上、彼らは何もしなかった。
睨むだけ睨んでおきながら、舌打ちも唾吐きもなし。必要最低限の礼儀をフル動員し、つかつかと足早に退散していく。
やがて。
ギィッ、と背後で扉が閉まる音がした。無事、弟子たちは居なくなってくれたようだ。
すっかり喧嘩の熱は冷めきって、また辺りは閑静な空気に包まれる。
「……」
これで書斎にいるのは俺とリリ、そして貴族の男だけ。
頬に付いた水滴を手の甲で拭うついでに、俺は改めて彼の出で立ちを視た。
「――すまない。不快な思いをさせてしまったね」
深々と頭を下げる彼の容姿は、俺でも知っているようなある有名人の特徴と多くが合致していた。
赤茶色の髪という点も、貴族という点も、弟子がいるという点もそうだ。
もう間違いないだろう。
彼こそが、あの二部リーグのトップ騎士なのだ。
「……お初にお目にかかり光栄です、ローラン・トリルバット卿」
初対面ということを考慮し、俺は仰々しくお辞儀する。
「本日はこのような談話の機会を用意して下さり、誠にありがとうございます」
「そんな堅苦しい挨拶はしなくていいよ」
「……と、言いますと?」
「君はそういう性格ではないんだろう?」
書斎奥まで進んだローラン卿は、デスクの上にあった呼び鈴を手に取り、小さく振った。
誰かを呼ぶつもりらしい。
チリンッ。
薄く成形された錫の可愛らしい音が、辺りに鳴り響く。
「あの子たちには、後できついお灸を据えておくよ」
呼び鈴を置くと、ローラン卿は言った。「だから、恨むなら私を恨んで欲しい」
「……お弟子さんのことを大切にしているんですね」
「富豪や下級貴族の嫡男が、弟子の多くを占めているのでね。無碍には扱えないんだ。大切にしているのとは違うさ」
「しかし、それにしてはまぁ随分と教育が熱心なんですね。
亜人に対する接待も適切でしたし、正直驚きました」
「揶揄うのは止してくれないか。彼らの軽率な行動には、ほとほと私も参っているんだよ」
はぁ、とローラン卿は悄然とした息を吐いた。
明らかに弟子たちの意識矯正に手を焼いているご様子だ。
二部リーグ登録者の精霊騎士をやるのも、ある意味で大変なのだろう。
綿のように肩をたゆませ、椅子へと腰かける彼の様子を見た、第一印象がそれだった。
……まぁ、その舞台に憧れる俺からすれば、同情もクソもないのだが。
「とりあえず、何か拭くものをくれませんか」
濡れた髪を絞り、そんなことを俺は頼んでみた。
「こんなビショビショのままじゃ、満足に話し合いもできないので」
「あぁ。それならもう少し待ってくれ」
「待つ?」
「さっき呼び鈴を鳴らしただろう。もうすぐ彼女が来てくれるはずだ」
「……?」
メイドのことか。それともまた別の弟子か。
呼び鈴一つでローラン卿が呼ぶ人間と言えば、この2タイプしかいないだろう。
俺は扉のある方を振り返った。
しかし、誰も来ない。
まったくの無音だ。
御当主の呼び出しに誰も反応しなくていいのか。
そう不思議に思っていると、予想外の方向から足音が近づいてきた。
「――あらあら。
これはまた、随分と面白い珍客が来たものね」
深みのある女声。
まるで、月明かりの下で無灯のランプ片手にラベンダー畑を歩く貴婦人のように、甘く気品に溢れた響き。
ローラン卿はまだ結婚をしていなかったはず…………呼んだのはまさか愛人か?
確かめるべく、俺は声がした方を見た。
そして、予想外の相手に、顎の関節を外してしまった。
「……え?」
本棚の脇、壁の床面近くに設けられた隠し通路から現れたのは、一匹の狐だった。
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サイズはおよそ四十センチ。
ピンと立った耳に、プライドの高さを象徴するかのように尖った鼻。
白く艶のある美しい毛並みに、絵筆のように柔らかく膨らんだ尻尾。
どこからどう見ても白狐な彼女は、澄ました顔で俺に冷ややかな視線をぶつけてくる。
「何よ、その間の抜けたリアクションは」
「……い、いや。グラマラスな声だったから、こんなモフモフのちんちくりんが来るとは思ってなくて」
「失礼な奴ね、あなただって気色悪い蛙のクセに」
不本意そうに、狐は鼻を鳴らす。
「あたしはマスターに呼ばれてきただけよ。亜人に会うためじゃないわ」
そう言うと、彼女はローラン卿の方を向いた。
尻尾を振って、狐は訊ねる。
「あたしを呼んだかしら、マイマスター?」
「そうだ。応じてくれてありがとう、ウェスタ」
「何かあたしに頼みたい用事でも?」
ローラン卿は、ずぶ濡れの俺を手で指し示した。
「――彼の服を乾かしてあげてくれないか。このままだと風邪を引いてしまうからね」
「えぇっ! あたしを暖炉代わりにするつもりなの?」
「少しでも詫びの気持ちを示したいんだ、頼むよ」
「もぅ……しょうがないわね」
自分の御主人からの命令とあれば、了解せざるを得なかったのだろう。
ウェスタと呼ばれた狐は、渋々といった感じでこちらの足下までやってきた。
そして、俺の汚れたブーツへ肉球を置いた。
わざとらしく爪を立て、不機嫌そうに彼女は言う。
「終わるまで、動かないでよ?」
「それはわかったけど、靴に傷はつけないでくれるか?」
「はいはい」
すぅ、と狐のウェスタは息を吸った。
その瞬間。
(……暖かい?)
春の麗らかな陽射しのような暖かさが、足元から駆けあがってきた。
やがてその空気は全身を包み、服や身体から水分を吸い取っていく。
おそらくこれは、《乾熱》という魔法による現象だ。
火属性魔法の基礎ではあるものの、乾物屋の大将くらいしか使わないらしく、魔導士の間でもマイナーな魔法。
それが《乾熱》。
その名の通り「ものを乾かす」魔法なのだが、属性が火であるため「対象物に熱ストレスを与えやすい」デメリットを抱えている。
特に人間相手に使用すると、火傷や脱水症状を負わせてしまうことも多い。
だから対人での使用においては、繊細な魔法コントロールが必要とされる魔法だ…………が、さすが二部リーグ登録者とその精霊。
魔道士にも引けを取らない腕をお持ちのようだ。
《乾熱》で俺の服が乾くまでの間。
ローラン卿は眉一つ動かすことはなく、ウェスタは気だるそうに片手で顔を洗っていた。
余裕たっぷりの表情で超高等技術を披露された俺は、ひとりで勝手にたじろいでしまう。
やがて、服が乾いた。
「はい。終わり」
「……すごいな。マントの裾にまで皺ひとつ残さないなんて」
「ふん。このくらいできて当り前よ」
そう吐き捨てると、彼女はローラン卿の下まで戻っていく。余程俺のことが嫌いなのか、目を合わそうともしない。
おかげでお礼を言うタイミングを逸してしまった。
色々な意味で、実に不本意な流れである。
「――――さて」
弟子たちの無礼の件が、一応の収束を見せたと判断したのだろう。
終始こちらの顔色を窺っていたローラン卿は、摺り寄ってきたウェスタの頭を数度撫でた。
そして椅子に座ったまま、穏やかな笑みを此方に向けてくる。
だが、その眼差しの中に甘さは一切見受けられなかった。
真剣そのものと言った雰囲気を前に、俺は舌で唇を湿らせる。
運命の談話は、いよいよ始まろうとしていた。
「これで許してもらおうなどとは思っていないんだが…………」
まずは、ローラン卿が口を開いた。「気分の方はどうかな? 私と話をしてくれそうかい?」
「そうですね……さっきのずぶ濡れの件に関しては、それこそ水に流そうと思ってますよ」
「ははは。気を遣った冗談まで交えてくれるなんて、君は人が出来ているね」
「――で?」
「ん?」
「俺なんかを呼び出した、その目的は?」
「あぁ、そうだね。それについて話さなくては……」
書斎の中に居るのは、たったの三人と一匹。
俺とローラン卿、リリと狐のウェスタ。それだけだ。
家政婦もジャーナリストもパパラッチもいないこの部屋であれば、他人に知られたくない内容の会談だってし放題。
誰かに茶々を入れられる心配をせず、徹底的に互いの秘密について訴求できる。都合を押し付けることが出来る。
だからこそローラン卿は、俺に鋭く質問をぶつけた。
「――イオリくん。
君はいったいなぜ、自分の意志でここへ乗り込んできたのかな?」
「……」
「私はそれが聞いてみたい。だから、君をここへ呼んだんだ」
カルザックさんの荷馬車に強引に相乗りした理由。
本来であれば人生的に接点などないはずの自分に、何とかして会おうとした理由。
それらについて、ローラン卿は質問していた。
結論から俺は答える。
「…………止めに来たんですよ。
罪を犯そうとしているあなたを、ね」
「なんだって?」
まるで意味が分からない、とでも言うかのようにローラン卿は眉を顰めていた。
予想通りの反応。
すぐに俺は説明を加えていく。
「工事に携わった身として、新街道に関して気になったことが二つあるんです。
そのことについて――――今から追及させていただきますね?」
そう言って、俺は静かに首を鳴らした。
……さぁ、推理を始めようか。
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