第44話 クズの洗礼
まるで意味が分からない。
顔中が疑問符だらけの彼女は、そう言いたげだった。
ポカンと口を大きく開け、目をぱちくりさせて、鉤棒みたく九時の方角へ身体を曲げていく。
構わず、俺は言った。
「――時間は俺が稼いでやる。
だから、お前は安全な場所まで逃げるんだ」
「……どゆこと?」
なぜリリを一人逃がす必要があるのか。
俺は説明を加えてやる。
「お前が置かれてる立場、それはわかってるよな?」
「うん」
リリは頷く。
「ヨナスの手から離れた『わたし』を取り戻すつもりなんだよね、ローラン卿は」
「あぁ、十中八九そうだろうな」
「……だから?」
「首輪を嵌めてほしいのなら、俺は止めない。
だけど、これからも自由に生きたい、ってんなら話は別だ。俺の指示通り、尻尾を巻いて逃げてくれ」
「――――だったら、敵陣に残った君はどうするの。
どうやって時間を稼ぐの。相手はものすごく強い、二部リーグのトップさんなんでしょ?」
下手したら死んじゃうよ、とリリは忠告した。
心配をしてくれているのだろう。
一般人が地球の裏側で戦争をする人間へ停戦を呼び掛ける。それくらいに希薄な同情心ではあったが、言葉に出してくれるだけ俺にとってはありがたい気遣いだ。
だが、
「……切り札なら一応ある」
そう言って、俺は何とはなしに手首を擦った。
親父から受け継いだ例の力。
己の身を焼きかねない程に強烈な力を使えば、あるいはローラン卿に一矢報いることもできるかもしれない。
「まぁ、あれだ」
プカッ、と天井を見ながら俺は言う。
「うまく行くかどうかは別にしても、お前がにゃーさんと合流するまでは足止めしてやるさ。意地でもな」
「それで?
にゃーさんと合流したわたしは、キミを見捨ててラム酒のお兄さんのところまで行って、安全圏でぬくぬく過ごせって言うの?」
「そういうこと」
「……ヤダ」
「なんでだよ」
首をもたげて隣を見る。
リリは渋い顔をしていた。
そして。
さも当たり前のことを言っているかのように、彼女はこんな文句を垂れる。
「だってさ……会談相手のローラン卿だって、ムダに君と闘いたくはないんじゃないの?
だから、こんな風に面会してくれるんでしょ?」
「……」
その通りだ。
相手を屠りたいと考えているのであれば、闇夜に紛れて寝首を掻けばそれで終わり。
文無しの亜人を自宅に呼び出す必要性なんて、本来これっぽっちもありゃしないのだ。
その点にリリは気付いたらしい。
「揉め事を起こすのがイヤだって思ってるのは、キミとローラン卿どっちも同じ」
ならさ、と彼女はこう自慢げに言葉を続ける。
「――わたしが居ても居なくても、じょーきょーは何も変わらない。そうでしょ?」
ソファに置いてあったクッションを、彼女はバフバフと叩いていた。
きっと自分の主張をより強く見せようとした上での行動だったのだろう。
だが、口にした内容は実に及び腰、かつ自己不信的。
そのあまりに滑稽なギャップに、思わず俺の頬も緩んでしまう。
「……へぇ。やっぱ勘だけは鋭いのな、お前」
リリは嬉しそうに胸を張った。
「ふふーん。わたしを誰だと思ってるの?」
「――自分を天才だと思い込んでるポンコツ」
「ポンコツ言うな! わたしは本物の天才、不可能を可能にする奇跡の精霊なの!」
「あぁそうですか」
下唇を尖らせて、小馬鹿にするように俺は言う。
「失礼な口を利いて、どうもすみませんでしたね」
「うわー、なんかヤな感じー!」
そんなことを言い合っているうちに、待ち時間は消化されてしまったらしい。
皮肉を言い合う俺たちへ、ふいに誰かが声をかけた。
「――もし」
「はい?」
声は入り口の方から聞こえてきた。
反射的に目をやると、そこにはモノトーンコーデのメイドさんが一人。
木製の扉を開け放ち、物静かに立っている。
両手を前に重ね、丁寧に腰を折り、彼女は言った。
「公爵様がお呼びです。お部屋を移動しますので、どうぞ此方へ」
ついに来た。
対談の時だ。
待ちに待った言葉を受け、俺はすっくと立ちあがる。
「わかりました、すぐ行きます。
……ほら、行くぞリリ。
楽しい楽しいディベートのお時間だ」
♦
メイドさんに連れられて辿り着いたのは、教会並みに広い入口をした書斎だった。
どっしりと重そうな両開き扉を前にし、ごくりと俺は生唾を呑込む。
扉がこれだけ大きいのだから、きっと部屋も相当に広く、蔵書もたくさんあるのだろう。
案内される間に自分の足でざっと幅を測ってみたが、隠し部屋なんかも含めれば、優に50歩はある広さだ。
書斎よりもっと他の設備にスペースを回した方が得なんじゃないか。
貧乏性の俺からすれば、そう言いたくなってしまうようなヘンテコな間取りだ。
貴族のセンスには、いつも驚かされてしまう。
「どうぞ、こちらです」
そう言って、メイドさんは金色の取っ手に手を掛けた。
樫のシックな色合いが映える扉は、蝶番を軋ませず滑らかに開いていく。
書斎の中には、すでに人影があった。
「お入りください」
言われるがまま、俺たちは部屋へと足を踏み入れる。
紙のひねた古書特有の匂いが、そこには漂っていた。
そして、
「公爵様をお呼びいたしますので、暫しの間お待ちください」
一礼すると、メイドさんは腰を低くして廊下へと出ていった。
ゆっくりと扉が閉められていく。
「…………」
書斎の中は、縦も横も予想より数倍広く設計されていた。
内装は実にシンプル。
部屋の奥に書類作業用のデスクが一つあり、其処へ向かって道のように敷かれた赤いカーペット。
両脇には梯子を使わなければならないほど背の高い本棚がそびえ立ち、ぎっしりと詰められた本がそろって此方を向いている。
だが、棚が移動式でサイドに押しやられているためか、それほど窮屈さは感じない。
屋敷の中庭が見える窓からは、しとしとと小雨降る北の空が広がっていた。
「……で?」
一歩前に足を踏み出した俺は、とりあえず口を開いた。
「アンタたち、誰?」
書斎の中にいた先客は、ローラン卿ではなかった。
先客は二人いたのだ。
「――俺たちは、先生に師事してる弟子さ」
男の一人が言った。
「――君をもてなせと仰せつかっていてね、待ってたのさ」
もう一人の男も言った。
剣を携えた彼らは、どうやらローラン卿の弟子のようだった。
水差しと杯を用意しているところを見ると、本当に俺をもてなしに来たらしい。
ローラン卿との舌戦を想定していた俺は、ちょっと拍子抜けしてしまった。
「さぁ、この水を飲むといい」
「遠くから取り寄せた天然水でね。ウマいんだ、これが」
そう言って、彼らは近づいてきた。
見ると水差しの中には、透き通った純水がたっぷり入っている。紅茶を飲んだばかりだが、無碍に断るわけにもいかない。
渡してくれるのかと思った俺は、黙って受け取ろうと手を差し出す。
これが勘違いだった。
「へへっ」
誰かが笑った。
「……?」
次の瞬間。
フードを脱がされた俺は、頭から水を掛けられた。
髪がずぶ濡れになり、滴った水は顎や首を伝い、やがてボロ着へと染み込んでいく。
それを見た男たちは、腹の底から湧きあがる笑いを抑えきれない様子だった。
「ハハハハ!
蛙は肌からも水を飲むんだよな。どうだ、ウマいか? 頭から飲む水はウマいだろ?」
「こいつ感動して声も出せないみたいだぜ! 喉の使い方を忘れちまったらしい!」
「そりゃ泣きもするさ。
ゴミの煮汁をすすって、今日まで生きてきた種族なんだ。涙の一つも流すだろうよ!」
「――って、おいおい。お前笑い過ぎだって、カワイソウだろ!?」
「――お前こそ!
大口開けて笑うとか下品にもほどがあるって!」
弟子二人は嗤っていた。
人の目を、いや亜人の目も憚らずにゲラゲラと醜く腹を抱えていた。
背後ではリリが声を挙げたそうにしていた。
ギュゥッと怒りで拳を握りしめ、今にも口と手が出そうになっている。
が、俺はそれを制止した。
制止して、思った。
(……あぁ、またこれか)
最初に頭に浮かんだ言葉は、ただそれだけだった。
どんな場所に行ってもバカにされる。
カエルというだけで嫌われて、亜人というだけで揶揄われる。
村の中でも差別は受けてきた。
でもそれは、亜人たちが持つマナリア人への劣等感から来る、一種の生理現象。
俺みたいな蛙を人柱にすることで、なんとか自尊心を保とうとする本能のようなものだと思っていた。
しかし、こいつらは違う。
人を馬鹿にして、それだけだ。
その先が無い。
単なる娯楽で、亜人のことを見下しているのだ。
村の内も外も、庶民も貴族も、亜人もマナリア人も変わらない。
ローラン卿自身に事を荒立てるつもりがなくとも、こういう輩は一時の悦楽の為だけに他人を虐めるのだ。
……もういい加減、うんざりだ。
そう思った。
「感謝するよ、水をかけてくれて」
依然、嗤い合っていた二人に対し、まず俺は声を掛けた。
ピタリ。
書斎の中が静まり返る。
「あん?」「どういう意味だよ」
気でも狂ったか、と二人は眉を顰めて訊いてくる。
びしょびしょになった髪を搾った俺は、乱れた髪型を整える。
「――ちょうど頭を冷やしたかったところなんだ。お気遣い、どうも」
この煽る態度が意外だったのか。
男たちは、しきりに眼を瞬かせる。
「別に強がんなくてもいいんだぜ?」
男の一人が言った。
「どうせ腹の中では悪態吐いてんだろ? 本音を言ってみろよ、ほら」
「ゲストに水を掛けるのが、貴族式のおもてなしなんだろ?
世間知らずの俺としちゃあ、アンタらに心から感謝しないとな」
尚も俺は食い下がった。男のもう一人が引き攣った笑みを浮かべる。
思いのほか亜人がビビってくれないことに、不満たらたらな様子だ。
「……そうだそうだ、思い出した。水を掛けるのは貴族式のもてなしだったな」
すっかり忘れていたよ、と彼は浅い挑発を仕掛けてくる。
「気に入ってくれたのなら、もっとスゴイもてなしをしてやるが、どうする?」
「興味深いな。例えばどんなことをするんだ?」
「手足の健を削いだり、舌に焼き印を押したりと、まぁ色々さ」
「へぇ。じゃあ当然、ゲストの方から『お返し』してもいいんだよな?」
「さぁな、試してみればいい」
「……」
「……」
半笑いで睨み合った。
お互いに冷汗のひとつもかかず、頬も痙攣させなかったのは、きっと興奮していたからだろう。
すぐそこにいる敵と、如何にして愉しい喧嘩を繰り広げるか。
そればかり考えていた俺の瞳孔は、限界まで開いていたに違いない。
闘争心は肥大化し、加速する。
「「「……ッ!」」」
やがて。
何がきっかけかもわからずに、殺気を爆発させた俺たちは、素早く自分の愛剣に手を掛けた。
このヒリついた空気、一触即発という表現では生ぬるい。
既に戦いの火蓋は切られていたのだ。
後ろで慌てているリリには悪いが、ここは喧嘩一択。どちらかが倒れるまで斬り合う以外に道はない。
だから、俺たちは剣を引き抜こうとする。
相手に斬りかかろうとする。
己の尊厳を守るため、本能に従って、足を一歩前に踏み出そうと…………!
「――――やめたまえ!!」
突然、怒号が響き渡った。
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