第41話 生け贄
こっちに来てっ、とカルザックさんは机の端を空けてくれた。
黙って俺は、その位置へと移動する。
これで部屋には長机を囲んで立つ人間は、自分を含めて三人だけ。
他にこの件へ首を突っ込もうとする者はおらず、付近で聞き耳を立てている者の気配もない。
カルザックさんは握りしめていた紙を、丁寧に広げ、皺を伸ばした。
「これはね、先刻届けられた報告書なんだっ」
「報告書……送り主は誰なんです?」
「マナリア西大陸連合の最高評議会議員の一人だよっ。
名前は『イグラ・アス・デ・カルタ』。
信任されて日の浅い若人だけど、交通省の大臣にも抜擢されてる人でねっ。頭の回転が速くて勢いのある議員なんだっ」
「そんな人から、直々に手紙を?」
「うん。
なんでも新街道の規格が国の基準を満たせていないらしくてね……っ」
そんな荒唐無稽な話があるのだろうか。
新たな街道の敷設を国から命じられたのなら、カルザックさんはそのイグラとかいう大臣と頻繁に連絡を取り合っていたはず。
だというのに、規格違反で計画がコケる?
まさか。面白くもない冗談だ。
当然、工事計画について念入りにミーティングを重ねたことだろう。
設計図だって常に更新していた。事務室での作業風景を見てきたから、これは確かだ。
国策的な事業の進捗状況を、交通省の人間が把握していなかった点にも疑問が残る。
一次請けとして引き受けたローラン卿が、下請けであるカルザックさんに連絡し忘れたのか。
それともまさか、都会の人間はそんな初歩的なこともしないのか。
急に突き付けられたあの報告書は、イグラから直接送られてきた。そうカルザックさんは証言している。
やはりイグラは、ローラン卿と連絡を取り合っていたと考えるべきだ。
なら、戦犯はいったい……?
「通告内容は、ここに書いてある通りだよっ」
「……拝見します」
カルザックさんから皺々になった紙を受け取る。
高級な樹皮繊維で構成されたそれには、黒インキで長々と文章が書き連ねられていた。
文末に書かれた名前と偽造防止用の朱印からして、これは間違いなく大臣が書いたものだ。
読み書きの勉強をしておいてよかった。
そう思うと同時に、俺の胸中で不安の濁水が渦を巻く。おまけに目も見張ってしまった。
なぜか。
そこに書かれた文章があまりに一方的なものだったからだ。
「……もうわかっただろ、リトルブラザー」
神妙な顔で、バルダックは腕を組んだ。
報告書を読み耽る俺の代わりに、彼は書簡の内容を要約し、言葉を吐き捨てる。
「『――道幅があまりに狭すぎて、街道として機能しない。
また、路面の補強材や敷設したルートの一部に、提示した条件とは異なる点が見受けられる。
ゆえに、俺たちが通したこの道は、新街道として認められない。
成功報酬は没収とし、委託先はウチから別会社に変更――』とのお達しだ。
俺たちはお役御免なんだとよ。おかげでこっちの利益は全部パーだ」
「……」
無茶苦茶な内容だった。
図らずも手に力が入り、紙の端には亀裂が入る。
「こんな…………こんな後出しジャンケンが、まかり通っていいんですか?」
「俺もこの話を聞いたのは、つい昨晩だ」
バルダックは答えた。
「道の両端から工事を進めて行って、中心部分でブラザーと合流する計画だったからな。
紙切れを受け取ったタイミングに、それほど大きな差はない。怒り心頭なのは、ブラザーと同じだ」
「そっか。あなたも工事責任者なんですよね」
「――全くひどい話だ。こっちは最新の図面通りに工事を行ったってのに、納期間際になってこの掌返し。
寝耳に水を通り越して、顔に王水を引っかけられた気分さ」
「お金はどうなるんですか。
成功報酬が貰えないとなると、この会社は大損ですよね? 皆の給料も払えないんじゃ?」
「そこはローラン卿が手を回してくれている。
本来受け取るはずだった成功報酬、その半分にも満たない額だが、資金援助をしてくれるそうだ」
「よかった! それなら会社が潰れる心配はなさそうです……ね?」
本当に良かったのだろうか。
ふと俺の脳内でそんな疑念が湧き上がる。
俺は鼻を触った。
♦
(……話を整理してみよう)
評議会の議員が、完成間近の工事に難癖をつけた。
現場の者にも知らされていない「超最新の図面」と違うことを理由に、そいつは委託先をカルザックさんたちから別会社へと変えた。
報酬も碌に払わず、ほぼ工事を終わらせていたことへの感謝もなしで、だ。
しかもバルダックの口ぶりから察するに、その議員は委託先に工事を引き継がせようとしている。
これはおかしい。
規格が違うとして半ば強引に工事を止めさせたのなら、まず初めにスポットライトを当てるべきなのは、『工事計画をどう軌道修正するか』についてのはずだ。
施工会社を変えるかどうかは、二の次の問題。
なぜイグラ大臣は、そうまでして委託先を変更することに拘ったのだろうか。
(……そうなると、ローラン卿の動向も気になるな)
大の大人が面食らっているような緊急事態。
それが発生した昨日の今日で、成功報酬の約半分程度支払うと彼の貴族は明言した。
変だ。
幾らなんでも用意が良すぎる。
貴族だって保有する資産は有限なのだ。
国家事業レベルの工事で動く金は、一般人では想像できないくらいに尋常ではないはず。
それだけの資金、そうポンポンと他人に渡せるわけがない。
トラブルが起こるより以前から用意していなければ、この手際の良さにはしこりが残る。
(イグラは最高評議会議員で交通省の大臣職。
そして、ローラン卿は庶民からも人気のあるクリーンな貴族。しかも精霊騎士という広告塔でもあるから、多方面にコネがある……)
キナ臭いと思った。
何かあると思った。
懸命に俺は頭を働かせる。
この心に引っかかる感じ、何処かで感じたような気がする…………。
♦
「――じゃあ、僕はローラン卿のところに行ってみるよっ!」
「……え?」
そんなカルザックさんの突撃宣言を聞き、思わず俺は考察を中断する。
いつの間にか、現場責任者である彼ら兄弟の会話はかなり先まで進んでいたらしい。
それもそうだ。作業員や事務員たちの雇用は、全て彼らの腕に懸かっているのだから。
「たぶん、ローラン卿なら話を分かってくれるはずだから、さっ」
そう言ってカルザックさんは、二の腕から黄色の腕章を外す。
「その間の現場管理は、兄さんに任せるからっ。いいよねっ?」
「あぁ、ドンと任せろ、マイブラザー」
弟から腕章を受け取ったバルダックは、自分の腕に二つ目のそれを嵌める。
「俺の代わりにローラン卿に言っておいてくれ。
この仕打ちはあまりに酷すぎる、せめてもう一度挽回するチャンスをくれ、ってな」
「わかってるよっ。あの人なら国に対してもちゃんと進言をしてくれるさっ」
「こっちで計画書は練り直しておく。今度は規格に準ずるものになるはずだ。
そこんところを余すことなく伝えるんだぞ? わかったな?」
「了解っ! じゃ、行って来るねっ」
カルザックさんの喋り方は、相変わらず語尾が撥ねて独特だった。
それでも彼の覚悟の程は、此方にも十分に伝わってくる。状況をひっくり返すべく、彼は本気になっていたのだ。
執務室から出ていくカルザックさんを、俺は静かに見送った。
(……じゃあ、俺もできることをやるしかないよな)
俺に出来ることは唯一つ。
渾身の力で剣を振ることだけだ。
それなら俺はいつも通り、この工事現場の警備に努めよう。こういう事態にこそ不運は重なりやすいものだ。
外套の襟元の紐を整えて、ピンと気を張り直す。
手に持っていた例の報告書は、机の上に置いていくことにした。
「では、俺も見回りに行ってきます」
そう言って俺は一礼する。
バルダックさんは片手を挙げた。
「わかった。気を付けろよ」
「はい――」
と、俺が返事をするや否や。
「――――わぁぁぁ、すみませぇぇぇぇぇん!」
突如。
外で女性の悲鳴が聞こえた。
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