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第40話 前触れ

 幼い頃、この手は親父と指切りをした。

 約束を交わした。


 あれから身体も大きくなって指も長くなったが、未だ変わらず見た目は嫌悪感を抱く仕様だった。


 手の甲は吐き気を催すドブ色で、所々に汚らしいアザ模様。

 丸く膨れた指の腹には吸盤が備わり、ぶよっと妙に弾力のある肌は毒腺が通っていそうなほど不気味。


 こんな醜い手で誰が守れると言うのか。

 誰もが忌む手で何を貫けると言うのか。


 十六歳の今日まで何度も反芻してきた親父の言葉は、ついに意味を曝すことはなかった。



(ま、どうせ夢の中での話だ。考察は暇な時にでもやればいいか)


 敷き布を畳み、外套についた藁屑を払い落とす。


 夜明け前ということもあって、窓からは薄明かりが差し込んでいた。

 ここに鶏が居たのなら朝一番のあの鳴き声を聞くことができる、そのくらい今の時刻は感覚的に早い。

 杭を打つ音や荷車が軋む音がないから、工事作業員の皆はまだ就寝中なのだろう。


「さてと。

 先にカルザックさんへ挨拶しに行こうかな」


 ぼさぼさの寝癖頭のまま、近くに放り投げていたウエストポーチに手を突っ込む。


 いつもの革の手袋を取り出し、装着する。

 そして、愛剣を担ぐ。

 俺にとって、これが朝のルーティンだった。


「馬が怖がってない……ってことは、昨夜にモンスターは来てないのか」


 ぶるるっ、と馬たちは鼻を激しく震わせていた。

 麦と油粕を混ぜた青草も食んでいた。

 呑気な馬面をした彼らに見送られるカタチで、俺は玩具のように簡素な馬小屋を後にする。



「ふぅ……朝も大分冷えてきた」


 厳かな雰囲気が漂う、静かな森を歩いていく。


 既に山の神が裏で凧糸を引いたのか、徐々に朝霧は森の奥へと後退を始めていた。

 生活サイクルがちょうど切り替わる払暁の刻だからか、付近に野生動物の気配はない。


 おかげで辺りに流れる清涼感のある空気は、全部俺の独り占め。

 久々に自由を感じる自然に感謝し、天に向かって大きく伸びをひとつする。


 例の事務所は、もうすぐそこ。

 儀礼的にノックを四回して、そっと俺は扉を開けた。



「失礼しまー……って、あれ?」


 一階の室内を覗き込んだところ、起きている人は一人もいなかった。


 明かりは点いていない。

 作業台の上にはペンや定規が散乱している。

 男性事務員の多くは床に毛布を敷いて寝ており、机の向こうで大の字になったおっさんは豪快な鼾をかいていた。


 この新街道敷設工事も、もうすぐ終わりを迎えようとしている。


 森の開拓自体は既に完了し、追加の舗装材も今日中に到着する。

 両端からコツコツと作り上げてきた山越えのルートは、明日にでも接続作業に入る見込みだ。


 事務作業も佳境に突入し、施工管理者たちはデスクと現場を行ったり来たり。

 眼に青いクマを刻んで仕事にあたる姿は、まさしく社畜と呼ぶに相応しかった。


 つまり閑静なこの朝は、彼らが休息を取れる数少ない暇。


 小屋の中が死屍累々のネクロポリスとなっていても何らおかしいことはないのだ。



(この人たちも大変そうだな……って、うっ! 甘ったる!)


 突如。

 煮詰め過ぎた楓の樹液のような甘い臭いが、鼻にまとわりついてきた。


 思わず俺は鼻を押さえる。


(……まさか、ドラッグパーティでもやったのか?)


 今は道路工事の真最中だ。

 こてこての砂糖菓子を焼くイカレポンチなんて、ここには一人もいないはず。

 しかも、よく感覚を研ぎ澄ましてみると、部屋の中はなんだか微かに煙たい感じがした。


 きっと激務で蓄積したストレスを紛らわすため、事務員たちが麻薬を吸っていたのだろう。


 風紀が乱れた可能性は否定できない。


(……まぁ、ここの人が趣味で勝手にやったんだ。俺には関係ない)


 触らぬ神に祟りなし。

 だから目の前の光景について、俺は特に感想を抱かない。


 それよりも、この後どう行動をするべきかを考えよう。



(一言、声を掛けないと俺も仕事できないからな……報・連・相を怠ったら、迷惑を被るのはカルザックさんだ)


 馬小屋に戻って二度寝するのも忍びない。

 しかし、だからといって雇用主へ朝の挨拶もなしに仕事に取り掛かるのは、マナー上よろしくない気もする。


 やはり、このドラッグパーティ後のネクロポリスを通り抜けるしかないのか。


 気が引けた俺は、玄関前でボーっと立ち尽くしていた。


 すると、


「……あ、声がする」



 幸いなことに、二階から微かに男声が聞こえてきた。

 おそらく社長であるカルザックさんは、部下たちより一足先に起きていたのだ。


 だとすれば、答えは一つ。

 カルザックさんに挨拶しよう。うん。きっとそれがいい。



 涎を垂らして床に転がる人々を跨ぎ、部屋奥の階段までたどり着く。

 そして手すりを軽く掴んで、さっさか段差を上っていく。


 しかし。

 最期の一段に足を掛けたところで、はたと俺は動きを止めた。



「……喧嘩でもしてるのか?」


 二階へ上がるなり耳に飛び込んできたのは、心優しきはずのカルザックさんの怒号だった。


 一階で寝ている人間を起こさない程度に声量は抑えられていたが…………語気の強さからして、その感情の昂ぶり方は「金融業者の甘言に惑わされて大損した被害者レベル」だ。


彼のほかにもう一人喋っている男がいるようだが、二人の会話内容は壁を一枚挟んだ廊下からでは聞こえない。


いったい、カルザックさんの身に何が起こったのか。

好奇心で鳩尾の辺りがこそばゆくなった俺は、意を決して執務室へと向かった。


扉の前に立ち、慎重にレバー式のドアノブを下げる。



「失礼しまーす……」


 恐る恐る、扉を開ける。


 部屋の中でカルザックさんはいきり立っていた。

 激情で背を燃やし、本能で手の節々に力を込め、文字の書かれた紙くしゃくしゃに握り潰していた。


 狂気を必死に押さえつけ、彼は言う。


「……この、この通知書に書かれてることは、確かなのかい?」

「あぁ。俺も悔しいが、従う他に選択肢はないだろう」


「……これがお国のやり方なのか? こんな横暴、許されるわけがっ!」

「落ち着けブラザー。感情で目を曇らせるんじゃない」



 彼の目の前にはもう一人男がいた。


 ガタイの良い身体つきに、丸太のように太く鍛え抜かれた腕。机に腰かけても床に足がついているから、背丈はカルザックさんと同じくらい。

 彼もまた何処かの現場責任者であるのか、黄色の腕章をつけていた。


 横顔も彼と瓜二つ。

 さっきの「ブラザー」発言も加味すると、彼らは血の繋がった兄弟なのかもしれない。

 だとすれば、遺産相続などのような重大な議題で彼らは家族会議を行っているのだろう。


 戸を半開きにしたまま、俺は一歩も足を動かせない。

 二人の間に流れる空気は、それだけ深刻そうだった。


「……あぁっ。ごめんよ、バルダック兄さんっ」


 唇を噛み切りそうな剣幕で、カルザックさんは本音を漏らす。



「でも、こんな扱い酷すぎる。これじゃあ、僕たちの方が悪いみたいじゃないかぁ……っ」


「――仕方がないさ、ブラザー。なんせローラン卿からの指示なんだ。

 おそらく彼でも修正できないような事態が、評議会との間で起こっているに違いない」


「噂も何も聞いてないんだ。工事にはクレームが付き物だから、情報収集には細心の注意を払ってた。

 なのに……いきなりこんな紙きれが飛んでくるなんて、想像しようがないよっ」


「確かに不可解な点はいくつもある。

 ――だが、耐えるんだ。対策はそれから考えればいい」



 相続権についてなど、彼らは微塵も話していなかった。


 まさか、新街道の整備工事に関わってくる話なのか。

 しかもローラン卿の名前が出るレベルのトラブル。知らぬ間にこの工事現場は、切羽詰まった状況に陥っているらしい。


 部屋の入口という遠方から、俺はカルザックさんに事情を訊いてみる。


「あのー……」

「ん? あぁ、イオリ君かっ」

「ひょっとして俺たち、何かヤバいことに巻き込まれてます?」

「あー、うーん、そうだねぇっ」


 眉を掻き、カルザックさんは答えた。


「――直接的ではないけど、君のような非正規労働者にも関係のあることかもねっ」

「できれば教えてもらえませんか。何が起こってるのか」

「うーん、でもこれは大人の話だからなぁ……っ」

「お願いします、現場の人間として知っておきたいんです」


 相手が話すのを渋っていることは、痛いほど理解していた。


 自分たちにとって不利な情報を無暗に開示したくはない。

 フードを被って肌を隠す亜人としての習性から、その心情には深く共感できたのだ。


 それでも俺は食い下がった。

 この場で聞いておかなければならない内容であると、なんとなく胸騒ぎがしたからだ。


 朝に妙な夢を見たせいなのかもしれない。

 でなければ、こんな風に社のお偉いさんに迷惑をかける行為なんて絶対しない。

 それでもオカルティズム的判断に従ったのは、きっと父さんの言葉が頭を過ったからだろう。


 守りたいものを守れ。

 頭を使って、行動しろ。


 往生際悪く、俺は紙の内容について教えて欲しいと懇願する。

 それがあまりにしつこ過ぎたのだろう。


 ついにカルザックさんは、重い口を割ってくれた。


「――――わかった。そこまで言うのなら話すよっ」

「……! ありがとうございます!」

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