第39話 受け継がれる力
囲炉裏に火が入っている。
パキパキと弾けるような音を発して、火は家の中心で小さく強く燃えている。
金持ちの家では暖炉とかいう暖房設備が主流らしい。
だが、ウチのようなあばら家には、この火しか暖を取れるものはない。
水も飯も炊ける便利な火だというのに、なぜ他人はこの設備の価値を理解してくれないのだろう。
逆にこちらが理解に苦しむくらいだ。うん。
「……」
当時八歳だった俺は、何も考えずに囲炉裏の前にいた。
麻でできた敷物の上で胡坐をかく親父。
その膝の内にすっぽりと嵌って、ほっこり火の温かみを堪能していた。
周りに兄弟の姿はなかった。
取ってきたばかりの山菜を刻むお袋の姿もなかった。
既に俺の記憶が朧げになっていたからだろう。
親父の膝に上がり込んだ成り行きは、今となってはよく思い出せない。
外は夜。
魑魅魍魎の跋扈する時間帯。
肌寒い隙間風が肌に障り、反射的に俺は身を縮める。
すると。
自分の顎下で丸くなっていた俺の顔を、急に親父は覗き込んできた。
「俺が稽古をつけ始めて、早三季か……イオリもだいぶ強くなったなぁ」
反射的に俺は答える。
「ほんと? ぼく、父さんみたいな剣士になれそう?」
「あぁ、なれるともさ。
この村で誰よりもイオリは鍛錬を積んでるんだ。そんなの当たり前だよ」
「そっか……くふふ!」
噛み殺すように俺は笑った。
褒められて自尊心が満たされない子供はいない。
裏表のない親の言葉は純粋に嬉しいプレゼントだったのだ。
そんな俺の様子を、親父は静かに見守っていた。
そして、どういうわけだろうか。
優しい目をしたまま、親父はこんなことを言い出した。
「――――イオリ。俺は今日、お前に託しておきたいものがある」
「たく、す?」
「ものを渡すってことだよ」
「何をくれるの?」
「…………力、かな」
ギュッと手を包み込まれる。
剣ダコでごつごつと引き締まった親父の掌は、蛙の亜人のものとは思えない程に凛々しく見えた。
童話を伝え聞かせるように、親父は語る。
「いいかい、この力は無暗に使っちゃいけない危険な技。いわゆる最後の切り札だ」
「……何を言ってるの、父さん?」
「先祖代々伝えられてきた力ではあるけれど、結局使いこなせたのは一握りの人間だけ。
十分に鍛えられた肉体でなければ使えない、そんな力だ」
「どういう意味?」
「それだけ大きな力なんだろうね。
父さんもこの技を使いこなせるようになるまで苦労したよ。十六歳の時に興味本位で発動したら、全身から血を流して倒れてしまったくらいだ」
「そんな怖い力、ぼく要らないよ」
中々にインパクトのある表現にビビる俺。
しかし、親父が俺の消極的回答に反応を示すことはなかった。肯定も否定もしてくれない。
所々で話が嚙み合わないのだ。
視線だってそうだ。
親父の眼は確実に俺を見ているはずなのに、どこか遠くの景色を眺めているかのように、まったく焦点が絞れていなかった。
親に畏怖を覚えたのは、これが初の経験。
心臓の鼓動を骨で感じる俺を他所に、ぽつりぽつりと親父は語り続けていく。
「……本格的にコントロールできるようになったのは、多分二十四くらいの頃だったかな。
毎日滝に打たれて、崖を上って、死に物狂いで戦場を駆け抜けて、そうやって初めて自分のモノにしたんだ。
それくらい努力しなきゃ、この技は使えなかった」
「父さんは、なんでそんなに危ない力を教えてくれるの?」
「……親っていうのはね、子供より早く死ぬもんなんだ。だからいつか必ず、俺は俺の家族を守れなくなる日が来る。
そうなった時、俺はイオリに家を守ってもらいたいのさ」
「ぼくが、守る?」
「家族だけじゃない。
仲のいい友達、尊敬できる人、一人では何もできない弱い人、信念、正義、自由、そして自分自身……恋人だって、この小さな手で守らなくちゃいけない。
さぁ、大変だ! どうしようか!」
「どうすればいいの?」
親父は囲炉裏の火へと視線を移す。
「――――まずは、頭を使う。
そして、行動を起こす。
ほとんどの物事はそうやって解決しなくちゃいけない」
でもね、と親父は俺の頭を撫でる。
「……それだけじゃどうにもならない壁も世の中にはあってね。
大人になったらイオリもぶつかることになると思うよ……父さんも、あの地獄を終息させることはできなかったしね……」
「そうなの?」
「あんな光景、俺は二度と見たくない。お前たちにもあんな思いはしてほしくない。
……だからって、この力を継がせて……くそっ、本当にこれしか道はないのか、ちくしょう。
なぁ、ベイル……俺は正しいことをしてるんだよな?」
虚ろな目で火と対話をする親父の姿は、精神異常者と同じで酷く危うく見えた。
慌てて俺は、声を張り上げる。
「じゃあ、じゃあさ!」
実の父親を高次元の世界から呼び戻そうと、懸命に親父の膝を揺する。
「その時、父さんはどうやって切り抜けたの?」
再び、親父は俺を見る。
瞳孔には一筋だけ光が戻っていた。
「――とにかく、俺たち蛙の亜人は立場が弱い」
そう親父は言う。
「だから、声を張り上げても言葉が誰にも届かないことだってある。そのまま身近な人が傷つけられてしまうことだってあるかもしれない」
「……」
「誰かが痛い思いをしている。なのにその人は我慢している」
「……」
「その時、イオリはどうする?」
間髪入れずに俺は答えた。
「――――助ける!」
「正解! さすが俺の息子だ!」
金鋏に挟まれたような力強い抱擁を、俺は受けた。
聖人にでも救われたのか、穏やかな顔を親父はしていた。なぜそんな表情をしたのかは、今でも不明だ。
子供だった俺は、ただ流れに身を任せて親父の背を掴む。
「……誰かを心から守りたい。命を投げ出してでもこの思いを貫きたい。
その覚悟をカタチにするために、この力はあるんだ」
最後に親父は、そんなことを言っていた気がする。
「方法は今から教える。一度しか言わないから、しっかりと覚えるんだぞ」
「うん、わかった!」
「それと、もうひとつ。
この力を使っていいのは、何かを心の底から守りたいと思った時だけだ。
それ以外の用途では、決して使っちゃいけないよ……使えば必ず、イオリはこの力に呑まれてしまう。
そんなイオリ、父さん見たくないんだ。約束できるね?」
「……できる!」
「よぉし! じゃあ指切りげんまんだ!」
ぴんと親父は小指を立てた。
同じように小指を出した俺は、樫の枝のように固い指へそれを絡ませる。
素手同士。蛙の指でだ。
そうして。
幼き俺と生前の親父は、元気よく輪唱する。
「「……せーの!
ゆーびきーりげんまん、ウーソついたらはーりせんぼん、のーます。
ゆーびきった!」」
♦
そこで、夢は終わってしまった。
ゆっくりと瞼を持ち上げる。
(また、子供の頃の夢か……)
馬小屋の隅っこで、俺は雑魚寝をしていた。
薄汚れた布を敷き、藁を枕代わりにしただけの簡易な寝床だ。
寝心地は劣悪だが、それもこの三週間ですっかり体に馴染んだ。肩甲骨はバキバキ言わなくなったし、腰に痛みも残らなくなった。
ノミ対策を講じているから、肌の痒みだってない。
清々しい朝だった。
寝っ転がったまま、俺は自分の右手を見つめてみる。
(あの力のことを思い返すなんて……虫の知らせか?)
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