第37話 リリの告白
横を向くと、そこにはリリが立っていた。
細い両手で抱えているのは、水差しと葉の付いたカブだろうか。
ちょうどいいタイミングで現れた彼女は、水差しを此方に荒っぽく渡してくる。
「はい、これ。キミの欲しがってた水だよ」
「……あ、ありがとう」
何がなんだかよく分からないが、とりあえず受け取っておいて損はない。
忝いといった態度で水差しを受け取った俺は、一言礼を述べると即座にそれへ口を付けた。
陶器製の飲み口はひんやり冷たく、流し込まれる水は滑らかに喉を潤していく。
得も言われぬ美味さ、とはまさにこのこと。
水差し内を空にした頃には、俺の気分は爽快になっていた。
「……ぷはっ! 生き返ったー!」
「もしかしてキミ、水なしで何時間も見張りするつもりだったの? バカなの?」
「煩いな」
顎まで伝った水滴を手の甲で拭う。
血液の巡りがよくなったからか、思考は明瞭で意識も冴えた。
ゆえに疑問も浮かび上がる。
「――にしても、お前」
俺は訊ねてみることにした。「こんなところまで、何しに来たんだ?」
「聞きたい?」
「いいから教えろよ」
「そーだねー……」
一丁前に言葉を選ぶふりをするリリは、何食わぬ顔で隣に座り込む。
そんな彼女へ俺は猜疑の眼を投げかけていた。
リリという精霊の性格は、この一週間とちょっとで大分理解した。
わがままで煩悩に忠実で明るい雰囲気を好む奴であることは承知済み。
お祭り騒ぎのキャンプ地を離れ、理由もなく俺の居るところへ来るはずがないのだ。
加えて、なぜ彼女が水とカブを持参しているのかについても気になるところ。
静かに俺は回答を待った。
「……さっきまでさ、給仕の仕事を手伝ってたんだけどね」
「料理の配給か」
「そう、それそれ」
遠い目をして、彼女は言った。
「――――わたし特製のごろごろ生野菜スープを神様に捧げたり、不要になった皿を捨ててあげたりしてたらさ。
スカーフのおばさんから『休憩がてらにキミに水を持って行ってあげたら』、って頼まれたんだよ」
「あー……つまりアレか。
スープを地面に零したり、洗い物途中で皿を割ったりしてるうちに、おばさんから『リストラ』されたわけだな。
理解したよ」
「そうとも言うかな」
「そうとしか言わねぇよ」
どうやら俺の知らぬところで、他人様に迷惑をかけていたらしい。
カルザックさんの面目を保つべく、生水を飲まない選択をしたのが馬鹿らしくなるような理由だった。
「……じゃあ、カブは何で持ってきたんだ?」
「あぁ、これ?」
そう言って彼女は、もう一方の持ち物を掲げて見せた。
丁寧に泥を落されたことで、栄養満点の丸い野菜はつるりと白い顔を覗かせている。
「これもキミのためだよ」
「くれるのか?」
「スープは残らなさそうだったからねー。おばさんに頼んでもらって来たんだ」
「ありがたいな……って、おい。このカブ、歯型が付いてるように見えるんだけど?」
「それはまぁ、ご愛敬ってことで!」
茎ごと渡されたカブの裏には、しっかりと誰かが食べた痕跡が残っていた。
歯根の小ささから見て、おおよそ犯人の見当はつく。
白い球体の裏に咬創とは、月を喰らう狼の神話を想起させる画だ。
夜という時間帯も合っているし、彼女だって狼に負けず劣らず食欲旺盛。
ダジャレの如く強引な紐づけを妄想し、俺は少し笑ってしまった。
そして、カブに齧り付く。
芋虫も踊り出す瑞々しさだった。
「……美味しい?」リリが訊いてきた。
「そりゃあな」もぐもぐと俺は口を動かす。
「……ちょっとだけ、分けてくれない?」
「まだ全然食ってないんだけど」
一度はこの頼みを断ろうと思った。
しかし、リリがあまりにつぶらな瞳で見つめてくるものだから、最終的に折れてしまった。
仕方なく、食い掛けのカブを渡してやる。
「せめて味わって食えよ?」
「うん、ありがと!」
カブを受け取った彼女は、嬉しそうにポリポリとそれを食べ進めていった。
薄い喉仏を上下させるたび幸せそうに眼を瞑るから、本当に食べることが好きらしい。
そんな彼女の様子を、俺は黙って観察する。
(……にしても、よく食う奴だな。まるでフードファイターだ)
今までの付き合いを振り返ってみると、大事な場面のほとんどでリリは何かを食べていた気がする。
例えば、闘技場の選抜試験出願センターに行く時なんかは、俺が道中でフライドポテトを買い与えた。
にゃーさんとの会合した際はレストランで肉料理をごちそうになっていたし、第二休憩所で会った際はホットミルクにクッキーを堪能していた。
この一週間に至っては事務員の皆さんに気に入られたから、彼女にとって毎日がトリックオアトリート。ベーコン・サラダ・スープの贅沢三昧だったはずだ。
羨ましい限りである。
では逆に、彼女が口に物を入れていなかった時はあっただろうか。
(にゃーさんを助けた時が最後で……その前は展望台……宿屋で初めて会話して、湯屋で桶ぶつけられて……それで)
闘技場の地下。
ヨナスとの戦闘中。
白く巨大な箱型のオブジェから出てきた時。
それが彼女の食欲がなりを潜めていた数少ない場面であり、同時に彼女と出会った瞬間であった。
(……)
オブジェ。
幾重にも鎖が巻かれ、錠を掛けられていた正方形の物体。
人身売買に手を染めていたヨナスによって、厳重に保管されていた謎多き石棺。
なぜリリは、そんな窮屈な場所に押し込められていたのだろうか。
その理由は、俺と契約を交わしたことにも関係してくるのだろうか。
蛇行した連想ゲームで行き着いた疑問。
今まで特に気にしてこなかった彼女の軌跡。
唐突に俺は真実を知りたくなった。
「……ひとつ、気になったことを質問してもいいか?」
「なに?」
残り半分となったカブから口を離し、リリは此方へ耳を傾ける。
俺は訊ねてみた。
「――なんでお前、あんなでっかい棺に入れられてたんだ?」
「……あぁ、あれかー」
ポリッ。
糖度の高い芯の部分を齧ったリリは、池のある方へと目を移す。
虚空の彼方を眺めるようにして、彼女は答えた。
「……あれ、よく覚えてないんだよね」
「オブジェに閉じ込められてた経緯がわからない、ってことか」
「うーん。ぼんやりとは思い出せるんだけどさ、ズボラな日記帳みたいに記憶が飛び飛びなんだ」
木々が騒めいた。
池の上を吹き抜けた風はさざ波を起こし、水面の月は顔を歪ませる。
青々と伸びるカブの茎を、彼女はぽきっと折り取った。
「――すごく優しい友達が居た気がするんだけど、顔も名前も忘れちゃったし、イマジナリーフレンドって言われると否定できないかも。
だけど、その人のおかげでわたしは生きてられてるんだと思う」
「その友達が、お前をオブジェに詰め込んだのか?」
「……外から箱の扉を閉めてくれたから、多分そうだったんじゃないかな」
「で、百年も封印されてたと」
「根拠はないよ。体感でそのくらい時間経ったんじゃないかな、って勝手に予想してるだけだから」
けろっとした顔で、リリはそう言った。
俺は目を丸くする。
「……そんな長い間、オブジェの中で過ごしたって言うのか? たった一人で?」
「半分寝てるみたいな感じだったから、別に退屈じゃなかったよ。
息のできる水にずっと揺られてるような感覚だったなぁ」
懐かしき思い出の糸を手繰るリリは、しみじみと頬を緩める。
そして、寂しくなった自分の口にカブの茎を咥えさせていた。
茎は俺にも手渡された。
立派な葉が付いた淡緑色のそれは栄養満点ではありそうだったが、一般人が食うにしては少々野性的な見た目。
野菜くずを食べ慣れている俺はいいとして、これを一般的な女子が口にするのは無理があるだろう。
漬物にでもしなければ、その青臭さに顔をしかめること待ったなし……のはずなのだから。
そう思ってちらりと相棒を盗み見てみたが、当のリリは臆することなく、維管束の歯ごたえを愉しんでいる様子だった。
俺は黙って繊維を噛み切る。
「――なんでわたしが封印されてたかは、正直よくわからないんだ」
ぼんやりと月を見ながら、リリは言った。
「その友達がわたしを何かから守ってくれたんじゃないか、って今は勝手に解釈してる」
「そうか……いい友達だったんだな」
「閉じ込められてからは、ずっと箱の中でうつらうつらしてたよ」
そしたら、とリリは自分の耳を指差した。
「なんか、外からキミの唱える呪文が聞こえてきたんだ」
「え、アレ聞こえてたのか? あんな分厚い壁で覆われてたのに?」
「契約の呪文だけは、わたしにも聞こえるよう設計されてたんだろうね。
とにかく、キミの声だけは聞こえてたよ」
「……よく、契約してくれる気になったな。
俺みたいな甲斐性なしとさ」
「だぁって、いざ箱の外に出てみたら血だらけで倒れてるんだもん!
びっくりしちゃったよ!」
「……! くはっ、そういやそうだったな!」
思わず笑いを噛み殺す。リリも可笑しそうに目を細めた。
そうだ。俺はヨナスと激闘を繰り広げた。一時は負けそうになって、死にかけもした。
そして――――リリのおかげで、こうして俺はカブの茎を齧れているのだ。
カエルにはもったいないくらいの奇蹟を思い出し、俺はまたくくっと笑う。
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