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第36話 森での一夜

 それから。


 第二休憩所を離れた俺は、再び任されていた仕事に取り掛かることにした。


 森を歩き、断崖を上り、洞穴を探索し、魔物除けの策を講じていく。


 魔物の古巣や獣道を封鎖するのは、わりかし簡単だった。会社の備品倉庫から掘り出した、「灼獄草エキス配合・マーキングスプレー」を持参したおかげだろう。

 鼻の利く魔物であれば、この先一か月はスプレーの辛い臭いで近づけないはずだ。


 ついでに、小型の害獣の隠れ家になりそうな雑草の群生地や岩場にてぼうぼうに伸びた蔦も、刈り取って対処を施しておく。



 魔物に遭遇することはなかった。

 どうやらハサミムシ以外の魔物は、この山岳地帯周辺に棲み付いていないらしい。


 新街道整備のために急に人間が押し寄せたことで、図らずも追い払ってしまったようだ。

 その証拠に探索をしている間、禍々しい肉食獣の雄叫びの一つも聞くことはなかった。


(でも、油断は禁物だ。手は抜かないようにしないと……)


 整備途中の新街道を進んでいく。

 魔物が出没するリスクを見落とすことのないよう、何時にも増して目を光らせる。


(――にしても、この新しい街道……やけに道幅が狭いな)


 傾斜の緩やかな山肌を削って、強引に街道は通されていた。


 その幅員は、馬車一台がギリギリ通れるかどうか。

 市民の交通を支える要所、街に物資を運び入れるための交易路となることを期待されている街道だというのに、すれ違うのも難しいその道の細さに俺は違和感を覚えていた。


 と言っても、俺は工事計画の全容を知っているわけではない。

 これから拡張工事をするだとか。

 上り下りで道を二又の楕円型にして、移動をスムーズにするつもりだとか。

 預かり知らぬところで、そういった立派な理由があるのかもしれない。


(途中に宿場町もないような険しい山道だもんな。幅を広く取れないのも当然か)



 早ければ二日もかからずに港から町へ出ることができる道。

 それがこの新街道の売り文句。


 今まで海産物や香辛料などを多く取り揃える港へ行くためには、街の隣に横たわるように連なる山岳地帯を『大きく迂回する』必要があった。


 だから荷車に積んだ食料品は、品質劣化するのが当たり前。

 海向こうから仕入れた衣料品や医薬品、あるいは武具類の値段は目が飛び出るほどに急騰していた。


 おかげでそういった物品を買うのは、周りの視線を気にしがちな貴族の方々のみだ。

 庶民に海の幸を口にする機会は回って来ず、異国の絨毯も孤島の秘薬も奇妙な装飾を施されたロマン武器も全て金持ちが独占していた。


 ゆえに、ルベイルから港を最短距離で繋ぐこの新街道は、格差社会の是正に一役買うことで多くの商業組合から期待されている。


 まさに物流業界の希望の道なのだ。


(……って、トーシロの俺はよく知らんのだけれど)



 その後も見回りを続けてみたが、特にこれといった収穫はなかった。


 目の端を横切るリスやセキレイの平和ボケした顔がその証拠。近くに巨大で攻撃性の高い魔物がいないことを、そりは如実に示している。

 この森この山に人を喰らう化け物は一体たりともいないようだ。


 川を渡り、砂洲に落ちていた木の実を回収し、それらを道から逸れるように播いて熊除けにし、ふと空を見上げれば黄昏時。


 これ以上歩き回っても体力を浪費するだけ。

 ならば作業員たちが寝泊まりしているキャンプ地まで戻って、そこの警備にあたった方がずっと働いている気分になる。

 魔物狩りというあてのない散策をするより罪悪感も少ない。


 そう考えた俺は、日が暮れる前に事務所へ戻ることにした。



 カルザックさんに二度目の見回り報告を入れ、これから自分が夜間の警備に着くことの了解を貰い、晩飯代わりの黒パンとチーズ一かけらを受け取って、また外に出る。


 ……辺りはすっかり暗くなっていた。


 焚火を囲む半裸の男共によるバカ騒ぎや、夕飯のスープを配る事務員兼料理番たち。

 そういった存在が背後にあるから、静穏さは微塵もない。

 だが、それでも薄く月光が漂う森の夜景は中々に神秘的なものに感じた。


(……もう少し離れよう)


 今日一日肉体を酷使した作業員たちにとって、安酒飛び交う吞み会は唯一の娯楽。

 そんな大事な時間を、ぽっと出の亜人が白けさせるわけにはいかない。身を引くのが最適解なのだ。


 気配を殺し影に溶け込み、俺は人工的な明かりから遠ざかる。幸いなことに俺の存在に気付いた人間は一人もいなかった。



 夜の森を歩いていく。


 キャンプ地からまだ幾ばくも進んでいないはずだというのに、既に周りには荒涼とした空気が通っていた。

 地面を一歩踏みしめるごとに自分の皮膚感覚が研ぎ澄まされるのが分かる。


 あの大木の洞から誰が出てくるのか。

 風で揺れる枝の動きに紛れて頭上から誰が落ちてくるのか。

 死角になった背後から誰が肩を叩くのか。その誰かは本当に人間なのか……。


 言葉では言い表せない不安を生み出すそれら暗闇は、俺の首にピリピリと緊張感を巻き付けてきた。


(できるだけ明るい場所がいいな……相手を視認できるくらいに)


 夜という時間帯において、俺が最も警戒しているのは「盗賊による襲撃」だ。


 巷では魔物が夜を好むというガセ情報が出回っているが、実際のところ夜行性の魔物の種類はそう多くはない。

 力が強ければ暗がりに隠れて行動する必要もない、という自然の摂理が生態に影響しているそうだ。


 そして、夜行性の魔物というのは軒並み警戒心が強く、灯火や人気のある場所へは滅多に近づこうとはしない。

 夜目が利くのにわざわざ明るい場所に出向くのは、自身の首を絞めるだけだからだ。


 ゆえに今恐れるべきなのは、血肉を欲する魔物ではなく、光物に目がない盗賊。


 山林という閉鎖空間において、高価な工具と各種筆記用具、社外不出の機密書類と多額の貨幣が集約するあの事務所は、悪人からすれば格好の獲物だ。

 警備網はザルもいいところだし、筋力に自信がある男たちもゲリラ戦を展開されればひとたまりもない。

 付け入る隙を与えれば、奴らは確実に盗みを完遂させてしまうだろう。


 だから剣の腕がそこそこ立つ人間。、

 すなわち、俺のような守衛役が水際で見張っておく必要があるのだ。



(……ここら辺がいいか)


 辿り着いたのは、地下から豊富に水が湧く小さな池。

 青く煌く水面には赤松の実が傘を閉じて浮かんでいて、左手に見える岸辺には背の高い葦が細長い群落を形成している。ところどころに咲く名もない紫花は、首をもたげ、雄蕊を伸ばし、汲々と蜜蜂の到来を待っていた。


 照度は十分。視界も良好。

 咄嗟に身を隠せる木陰もある。


 長年の浸食で傾斜の付いた池端に、俺は腰を下ろすことにした。


 そして、黒パンを一口大に千切る。


「気持ちのいい場所だな……」


 黒パンを口に入れる。

 日持ちするように焼きしめられたそれは、口の中の唾液すべてを吸い取ってしまうくらいボソボソに乾いていた。

 しかも表面が硬いうえ、味も香りもイマイチ。食感に至っては天日干しにした泥団子といった印象だ。


 通常このパンは水などに浸して食べるのだが、今手元にそういった飲料はない。

 腰の水筒は空っぽだし、水差しを持ってくるのも忘れてしまった。

 例の呑み会に混じれば温かいスープをいただけるだろうが、大人数の前で空気を凍り付かせてまでご相伴に預かろうとする勇気など、自分にはない。


 いざとなったら、池の水を飲んでやろう。

 そんな変な覚悟を決め、また俺はパンを千切った。



 ……静かな夜だった。


 白く燃える三日月は昨日よりさらに近づき、その神々しい姿は凪いだ池に謄写されている。

 魔が逃げ出し、土地神が酒を呷り、小人が葛葉で草笛を吹いていそうな、そんな幻想的な景観だ。斧を池に投げ入れれば、女神だって生えてくるかもしれない。


 穴あきチーズを口に放り込む。

 残りのパンも口に詰め込む。

 そうして、二つの食品を舌の上でマリアージュさせる。


 依然として味は良くなかったし、食感の酷さに変化もなかったが、それでも腹はある程度膨れたし手元は空いた。


 あとは見張りの務めを遂行するだけ。

 聞いたところによると見張り役は他にも何人か雇っていて、夜明けまでずっと俺一人で寝ずの番をしなくてもいいらしい。


 星座がもう三十度動いてしまえば日付は変わる。

 その時に交代すれば、晴れて業務は終了。馬小屋の隅に宛がわれた寝床で、毛布にくるまることを俺は許される。


 ゴールは目前まで迫っていた。



 ……それにしても。


(喉、乾いたな)


 もはや口内は砂漠のようだった。

 やはり乾き物を水なしで食すのには、かなり無理があったようだ。事実、歯茎の根元に至るまで唾液は干上がってしまっている。


 舌の根もカラカラ。唇も蝋のように固まって上手く動かない。

 ふと、本気で池の水を飲もうか考えた。

 四つん這いになって、鹿みたく口を付けて、あの大自然の水をがぶ飲みしてしまおうと魔が差しかけた。


 だが、生水は衛生的によろしくない。

 父主催のサバイバル講座でも嫌というほど教え込まれた知識だ。

 それにもし、池の水を飲んで腹でも下そうものなら、迷惑を被るのはカルザックさんだ。亜人に理解のある彼の手を煩わせるわけにはいかない。


 つまり、池の水は死んでも飲んではいけないのである。


「あー」


 堪らず俺は空を見上げた。


 千の星々で埋め尽くされた紫紺のスクリーンは、優しく世界を包み込んでいる。

 雲一つない夜空。見つめていると吸い込まれそうな程に高い夜空。でも、手を伸ばせば届きそうなほど近い夜空。


 それを眺めていても喉の渇きが解消されないことに気付き、俺は意味もなく伸びをする。


 思わず本音がこぼれていた。



「――――あーあ、水が飲みたいもんだなー」


 と、その瞬間。

 俺の隣で聞き慣れた声がした。


「……ふーん、水が飲みたいんだ」

「え?」


 リリが隣に立っていた。

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