第35話 またもチラつく道化の影
「いやぁ、《滑稽な配達人》さまさまだね」
くちゃっと音を立てて、デブ助はイモリの頭を咀嚼する。
「その業者がさ――『ノルマ付きでハッパを売ったら、無利子で信用買いしていいよ』ってほざいてさー。
もー、他のバイヤーと争奪戦になっちゃって……わいも、いつもの倍しか買えんかったわぁ」
「…………凄いな。街をシャブで染めるつもりなのか、そいつら」
「ヤクの市場拡大を図ってるんかもね。ヤギの被り物してたし、頭がおかしい奴らだったわ、ほんま」
「って、んなことはどうでもいいんだよ」
そう言ったリーダー格の男は、不快感を丸出しにして訊ねる。
「いくらするんだよ、今日の相場は?」
デブ助はニヤリと笑った。
「そうだな、質が良いからできれば三倍に……って、おっと。ここじゃ他人に聞かれるな。場所を移動しよう」
「じゃあその前に、コイツを締めちまうか」
そう言うと、何を思ったのだろうか。
リーダー格の男はこちらの方に向き直った。
「先、行っててくれ」「オッケー、了解」
他の男たちは、森の奥へと歩き出していた。
塵山に背を向け、木々の陰へと消えていく。
ゆえに今、この場に残っているのは、この男と俺の二人だけ。
一緒に俺の醜態を嗤うお仲間もいないというのに、ヤクをやるのを後回しにしてでも亜人のことを殴りたいらしい。
バカな俺には、理解しがたい行動である。
「――おい、カエル野郎」
「……」
むんず、と襟首を掴まれた。
無駄な抵抗はせず、俺は全身から力を抜く。
不良っぽくガンを飛ばした男は、その土黒い顔を近づけて脅し文句を垂れた。
「いいか? このことは、誰にも喋んなよ? もし誰かにチクったら、その時は――」
言い終わらないうちに、俺は答えてやった。
「わかってるさ。命は惜しいからな……誰にも言わねぇよ」
「へぇ。いやに聞きわけがいいんだな」
「そりゃそうさ」
にっ、と血の滲んだ口角を上げて、親切な俺は言ってやる。
「悪戯がしたい年頃のガキからすりゃ、カルザック先生ほど怖い存在はいないもんな」
「……あ゛?」
「自分たちが厄介者だってこと、自覚してるんだろ。そんじゃなおさら、先生さまから叱られたくはないよなぁ」
みるみるうちに、男の額に血管が浮き上がった。
まさか自分が亜人からバカにされる日が来るとは、思ってもみなかったのだろう。カビの生えた家庭で育ったマナリア人の典型的思考だ。
加えて、こういう奴を揶揄う時間というのは、いつだって面白いもの。
男に向かって、俺は言ってやった。
「草っぱ吸うのに憧れた、頭のめでたいお子ちゃまさん――――乳離れはまだですか?」
「……おまえ、やっぱ死んでろ」
♦
それから。
俺は何度も殴られた。何度も蹴られた。
それこそ肋骨を折り、脾臓を破裂させる勢いで、目の前の馬鹿は憂さ晴らしを続行していった。
痛みにはもう慣れていた。少しでも声を出せば相手が喜ぶことも知っていた。
だから、無駄なリアクションなんてしない。
身体を縮こめることもせず、ただ無抵抗にやられる。
そうしてさえいれば、比較的早くこの遊びは終わる。
亜人としての人生経験上、イキった馬鹿をあしらうことなど造作もなかった。
「ハァ……ハァ……」
やがて、殴りに殴って気が済んだのだろうか。
荒くなった呼吸を無理やり整えて、男はようやく背を向けてくれた。
擦り剥けた拳を労りながら、テンプレ的な捨て台詞を彼は吐く。
「……ッ、二度と俺の前に現れんな。クソが」
そう言うと、男は林の向こうに消えていった。
先ほどまでいた取り巻きたちと同様に、ブツを貰いに行くのだろう。男の足音が遠のいていく。
急に辺りは静かになった。
「…………」
ゆっくりと起き上がる。
目で見える範囲に、あの非常識な男たちの姿はない。
全員ちゃんと人気のないところへ、麻薬の売買をしに行ってくれたらしい。
よかった。
もう演技を止めても良さそうだ。
「……よいしょっと」
勢いをつけ、跳ね起きる。
蹴られた部分がそこそこ痛んだが、感覚から察しても命に別条はなさそうだ。
しかも、怪我のほとんどは服で隠れてしまうから、一目見ただけではリンチに遭ったことなど誰も分からないだろう。
木の根に足を取られてゴミ山に突っ込み、その拍子に唇を切りました……とでも言い訳をでっち上げれば、カルザックさんも言及してこないはずだ。
「……顔を狙えないとか、素人もいいところだな」
暴力を振るったことを周囲に悟られないようにするため、腹や背中ばかりを殴る。
児童虐待と同じ手口だ。
男たちの覚悟のなさを、俺は鼻で嗤った。
「人間を虐めるんなら、火と水で責めるのが鉄則だろうに…………馬鹿な奴ら」
マントに付いた土埃を落す。フードを被り直す。
そして、廃材の山の中から己の「愛剣」を引き摺り出す。
(リンチにされる前に、ここへ隠しといて正解だったな)
仮に鉄剣を持って三人衆と相対していたら、どうなっていたか分からない。
なにせ奴らは立派なジャンキー。
亜人が金目の物を持っていれば、見境なく奪いに来ていたはずだ。そうなれば交戦せざるを得ない。
親父の形見がアヘンに交換されなくてよかった。
「――さてと」
剣を背負い、天に向かって大きく伸びをする。
さっさと気持ちを切り換えよう。
まだ、カルザックさんから頼まれた仕事が残っているのだ。こんなところで道草を食っている暇はない。
手袋の裾を整えて、俺は気合を入れた。
「――――見回りにでも行きますか」
お読みいただき、ありがとうございました!
「面白い!」「続きに期待!」と思ってくださった方は、ぜひブックマークや★評価をよろしくお願い致します!
執筆のモチベーションに繋がりますので、どうか!
これからも応援のほど、何卒よろしくお願いします!!