第32話 ゴブリンのお姉さんと飲む茶はうまし
カルザックさんの言う通り、リリは第二休憩所で羽を伸ばしていた。
そこは工事現場の最前線。
まだ、石打で地盤が固める作業にすら入っていない場所だ。緩やかな坂を登攀した先にテントはあり、裏には鮎が泳ぐような清流が流れている。
テントの中に一歩入ってみる。
木々の間にしっかりと張られたスクリーンタープは、一息つくのに快適な日陰を作業員たちに提供していた。
黒檀色のコーヒーミルやちょっとした本棚は、カルザックさんの私物なのだろうか。年季が入っている上に高価そうで、亜人の手ではとても触れられそうにない。
クラシックなそれらインテリアは、ここが肉体労働の現場であることを皆の頭から忘れさせていた。
開放感と安穏さが宿るリラクゼーションルーム。
針の揺れるラジオからは和やかなBGMが流れるその空間では、落ち着いた雰囲気を纏う大人たちが談笑に耽っている。
キラキラ眩しい光景に、一瞬俺の眼は眩んでしまった。
すると、
「――あ、イオリ! 帰って来てたんだ!」
「……」
俺の相棒がそこにいた。
リリアーナ・アルストロメリア・フロクス・バン・メリッサ。
俺の存在に気付いた彼女は、こっちに向かって手を振っている。「おつかれさまっ!」
その格好はいつもの巫女服ではなく、悪路でも動きやすいよう設計された機能性重視の作業着。
ゆったりとしたカーゴパンツに防寒用ブルゾンに袖を通した彼女は、木製のアウトドアチェアに腰を深く沈めていた。
そして、彼女の前には湯気の立つ一杯のホットミルク。
呑気にブレイクタイムを楽しんでいたのだろう。
労働意欲に乏しい相方の様子を見て、俺は少々頭を痛めた。
「優雅にリラックスするのは構わないんだけどさ……お前、ちゃんと仕事してるのか?」
「失礼な!」
がうっとリリは噛み付いてくる。
「何時だってわたしは、人の倍くらい効率よく働けるんだよ。それはもう、バリバリ成績を残すキャリアウーマンのように!」
「嘘こけ。お前ができるのは、せいぜい居酒屋のメニュー開発に茶々入れるくらいなもんだろ」
「うわー、傷付いたー! わたしの活躍も知らないくせに、か弱い乙女を傷付けたー!」
「初対面で手桶ブン投げてきたのは、何処のどいつだよ……」
いつの間にかリリは、女性職員たちのグループに馴染んでいた。
折り畳み式の簡易テーブルを囲み、灯のないランプを囲み、焼き立てのナッツクッキーを食べる。
そんな休息ルーティンに素面で参加していた。
どうやらリリの率直過ぎる性格は、ここで働く女性陣とウマが合うらしい。
今も彼女の隣の席には、恋愛小説を読む二十代前半のお姉さんと首にスカーフを巻いた五十過ぎのおばさんが座っている。
彼女ら二人は、どちらも森鬼であった。
「――いやぁ、でもお兄さん。彼女の才能を侮っちゃいけないよ」
頬杖を突いたおばさんは、そう言うとクッキーを此方に差し出してきた。
俺の身分の低さなど気にしない、彼女の豪胆さが窺い知れる行動だ。
ご厚意に甘えた俺は、遠慮なくクッキーを受け取り、それを齧った。
「……リリが何かお役に立ったんですか?」
俺は訊ねた。「そんな馬鹿な」
おばさんは笑った。
「そりゃ、作業の中核を担ってくれたんだ。活躍も活躍、大活躍だったよ」
「でも、コイツに出来る仕事なんてありましたか? 肉体労働はできませんし、我慢はできませんし、計算だってできませんよ?」
「そうだねぇ。確かに数字は弱かった」
その代わりに、とおばさんはこう評価を付け加える。
「……《測量魔法》がこの上なく正確だったんだ。これだけで工期が三日は短縮できるよ」
「あぁ、なるほど」
――《測量魔法》。
名前の通り「対象物のサイズ・距離・傾斜などを測るだけ」の無属性魔法。
日常生活では、まず使わない超マイナーな魔法の一種。
現役の精霊騎士で使えると公言している者はおらず、国家資格持ちの建築士が測量機器による測定の補助として用いる程度の価値しかない。
そんな地味過ぎる技だ。
(やっぱり人型って、社会へ貢献する方面に強いのか……)
人型の精霊が得意とするのは、いわゆる「ビジネスサポート」であると都市伝説では評されている。
もしもこれが本当なのだとすれば、一見馬鹿そうなリリが有能である事実にも説明がつく。
にゃーさんをリンチした二人組を特定するカギとなった、圧倒的な記憶力と観察力がまさにそれだ。
他人の顔を覚えることは営業職において必須技能であるし、歩き方の癖まで見抜ける目があれば相手が信頼に足る人物かどうかなど一発で判別できるだろう。
ただし。
(それが決闘で強みになるかと言われると、正直ビミョーなんだよな)
無属性魔法は汎用性に優れている。
初級魔法だけでも千を超える種類があるとされており、それらを上手く駆使すればどんな戦況にも対処が可能だ。
だが、火や水といった五行を利用した属性魔法と比べると、どうしても無属性魔法は攻撃性能に欠ける。
しかも個々の癖が強いうえ、複数の魔法が使いこなせなければ強みを発揮し辛い。
つまり「攻撃系の魔法をドンパチぶっ放す現代の戦闘スタイル」には、はっきり言って不向きなのだ。
いっそのこと「外せば負けの一撃特化型」でいいから、威力や攻撃範囲に優れた属性魔法が得意な精霊であれば、楽に選抜試験も合格できたのだろうが……これも一つの運命か。
先行きが不安になった俺は、手前勝手にため息を吐く。
「……精霊騎士になれなかったら、地図作成のプロにでもなるか」
「え?」
すると、藪から棒の提案を不審に思ったのか。
カップから口を離し、リリは眉を顰める。
「急にどうしたの、頭でもイカれたの?」
「別に。お前が居さえすれば、俺が食いっぱぐれることもないかと思っただけだよ」
「キミをヒモにする気はないんだけど?」
「俺だってその気はねぇよ」
齧りかけのクッキーを口へ放り込む。
規格外品として安値で譲り受けたという蜂蜜の仄かな甘みは、食感軽やかな胡桃の味を引き立て、じんわり舌の上で広がっていく。
毎日作業員全員分の食事を用意している、この読書好きなお姉さんが忙しいランチタイムの片手間に作ったらしいが、手を抜いたとは思えないくらい美味な一品だった。
サクサクと俺はクッキーを食べ進めていく。
♦
(……ん?)
ザザッ。
突如、本棚の上にあったラジオがノイズを発した。
先ほどまでは最近人気が上り調子のピアノ奏者による音楽が流れていたはずだが、いつの間にか次の放送番組の時間帯に切り替わったらしい。
元気のいい女性パーソナリティが張りのある声で挨拶している。
何とはなしに、俺は耳を傾けてみた。
彼女が話す内容からして、レギュラー番組ではないらしい。
「……そっか、もうすぐ例の番組が始まるんだ」
リリは言った。
「『例の』って、何の?」
「さっきも話題になったんだけどね、有名な精霊騎士の特集をやるみたいなんだよ。
ほら、来週の日曜に闘技場の建立100周年記念イベントあるって言うでしょ? それの宣伝も兼ねてるんじゃないかな」
「ふーん」
ラジオ放送は続いていた。
俺は黙ってそれを訊く。
パーソナリティ曰く、ゲストには現在二部リーグで闘っている精霊騎士を招待しているらしい。
スタッフのどよめきもマイクが拾っているから、相当な大物であることは間違いない。
いったい誰だろう。
精霊決闘マニアとして、俺は脳内にて膨大な人物データファイルを開いて待機する。
耳をくすぐるような声が響く。
――――ローラン・トリルバット。
それがゲストの名前だった。
驚きのあまり、俺は目ん玉をひん剥いてしまう。
「そんな……ローラン卿が出てる⁉」
「知ってるの?」
リリは首を傾げていた。
「当たり前だろ! 二部リーグ登録者の中でも一番有名な人だぞ!」
息せき切って、俺は説明を開始する。
興奮が冷めることはなかった。
ラジオで身の上を語るゲストは、それだけビッグネームな人間だったのだ。
「どんだけヤバいかって言うと、今大会の成績はシャナ・カムラって双剣使いと同率二位で、第八回戦でクラウディアに土を付けてるってくらい強い。
別名、『灼熱の槍士』――近頃は、『炎帝』なんて呼ばれ方もされてる。
しかも、前々大会はリーグ内優勝のうえ最多昇格点を取ったし、なのに自分の腕に納得がいかないことを理由に一部昇格の話を断ったし……とにかく凄い人なんだよ!!」
「わがままな人なの?」
「バカ、むしろその逆だ!
貧しい農奴への資金援助から行政サービスの改善提案、果ては地元での奴隷制度撤廃まで自腹でやってる。奉仕精神が人格者のそれを遥かに超えてる人なんだ!」
「へぇー、確かにそれは尊敬できるね」
握った拳が熱くなり、じんわりと手汗が滲み出る。
心臓の拍動が早くなるのを俺は感じていた。
精霊騎士の中でも知名度トップ5にランクインするくらい、上流階級から低所得者層までファンを多く獲得している槍士。
それがローラン卿だ。
その強さは言わずもがな。
商才もカリスマ性もある彼には弟子が多くいて、街の中心部に構えられた彼の剣術道場からは数々の少年少女が精霊騎士として排出されている。
市民からの信頼は厚く、彼の悪口を言う者はほとんどいない。
居たとしても結局は彼の魅力に気付かされて、知らず知らずのうちに彼の信者にされているだろう。
憧れない男などいない。
己の信念を貫かんとする彼の生き様は、辛い明日へ挑む勇気を人々に与えるほどに真っ直ぐなのだ。
「――実はね、この街道の新設工事もローラン卿の指示でやってるのよ」
「え?」
「知らなかったでしょ」
すると、俺たちの会話に興味があったのだろう。
森鬼とは思えないほど端正な顔立ちのお姉さんが、本に栞を挟むとこちらの会話に参加してきた。
物思いに更けるように柔らに頬杖をつき、軽くウェーブのかかった髪を弄る。
そして、鼻に掛けた眼鏡を少し下げると、お姉さんは語り始めた。
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