第30話 カエルのバイト
二時間後。
無事に任務を終えた俺は、バイト先である『工事現場』に戻って来ていた。
雇われたのは、とある中堅の施工会社。
現在請け負っている仕事は、『新たな街道の建設』。
森を開拓し、工具で土を踏み固め、緩い側道をセメントで補強する。
そういった作業を執り行うことで、労働者たちに配る賃金を確保しているらしい。
かく言う俺も、現場職員の安全を確保するパトロール役を担う対価として、雇い主から銀貨を受け取っていた。
(こんな山道が何十里も離れた港と繋がるんだよなぁ……感慨深いわ、ホント)
人工的に見晴らしの良くなった森を歩く。
総勢一〇〇名を超える作業員が、各々木陰で飯をかっ食らっているのが見えた。
おそらく、今は昼休憩中。
木を切り倒すための魔導丸鋸や、石材運搬用の台車。それらは所定の位置に片付けられていて、作業が一時中断しているから馬でさえも水を飲んで寛いでいる。
穏やかな現場だった。
社員さんたちに軽く会釈し、舗装途中の道を跨ぐ。
そして俺は、現在事務所として扱われている掘っ立て小屋の戸を開けた。
雇い主に定時報告するため、室内に一歩入る。
♦
「ただいま戻りました-」
「はーいお疲れさまです、イオリ君」
「見回りの件で伝えておきたいことがあるんですが、いま時間ありますか?」
「おー、ちょっと待ってくれなぁ……カルザックさーん、バイト戻りましたよー」
小屋の中は案外広かった。
そのスペースは、二十人が余裕をもって雑魚寝できるくらい。
半切りにした丸太と薄板を組んだだけ。そんな手抜き感満載の外観だというのに、梁や柱の構造に緩みはなく、窓付近の気密性も高い。
これを建てた人間は、相当なコスト管理能力と建築技術を持った職人であるに違いない。
部屋の中央には、施工計画書や施工図面などの紙束が積まれた長机がドンと置かれていた。
会社の社員さんたちはそれらを囲むようにして、手際よく自身に割り振られた仕事をこなしていっている。
図面を引く者。
資材を調達する者。
人事を管理する者。
それらの人間へお茶を汲む者。
昼休憩の時間であるにも拘らず、彼らは熱心に与えられた職務を全うしていた。
現場で汗水垂らして働く作業員より、上に立って指揮を執る正社員の方がより心血を注いで働こうとするその社風。
上下関係で碌な目に遭ったことのなかった俺にとって、尊敬に値するこの光景はとても奇妙に感じられた。
「―――お待たせした、ねっ!」
玄関で立ちん坊だった俺に声をかけて来たのは、先ほど俺が話しかけた人物と同じ…………現場責任者兼社長である、カルザックさんだ。
先に言っておくと、彼は森鬼と呼ばれる亜人だ。
熊をも殴り倒さんばかりに発達した、大柄で筋骨隆々な体格。
岩壁を彷彿とさせるような、錫色でごつごつとした皮膚。
まさに山岳地帯を支配する鬼、といった風貌であった。
だが、そんな化け物じみた背格好とは対照的に、彼の顔はのほほんとして柔和。
可愛らしい丸っ鼻に、慈愛に満ちた細目という組み合わせが、彼の優しい性格を表している。
そのアンバランスな出で立ちは、さながら「微笑む片手間に国家間の戦争を止める、天下無双のベイビーフェイス」。
その存在感で会社の秩序を保っているのが、このカルザックさんという亜人であった。
「――じゃあ、二階に上がろうかっ!」
そう言ってカルザックさんは歩き始めた。
その後に、俺は続く。
彼の服装は、白のタンクトップに薄汚れた濃緑色の作業着だった。
他の社員も似たような恰好だが、彼が特別目立つことはない。
持ち前のいかり肩と黄色の腕章は、彼をリーダーたらしめる要因になっていた。
……巨漢ゆえの圧倒的な威圧感と、聖人のような性格から生成される絶対的な安心感。
その二つが混在したこの男のおかげで、カエルの亜人である俺は最低限の人権を確保してもらっていた。
(この人には感謝してもし尽くせないな……ありがたい話だ、ほんと)
事務作業で忙しそうな部屋の隅を通り、まだ数度しか踏んだ経験のない階段へと向かう。
階段を上る途中、カルザックさんは脇に挟んでいた分厚い資料ファイルを開いた。
作業着の内側から上腕二頭筋が膨れ上がるのが、後ろにいた俺からも見える。
「ここのバイトは、もう慣れたかなっ?」
カルザックさんは訊ねた。
「かなり体力を使うだろうに、見回りなんて重労働させて悪いねぇっ」
「いえ、こういうの得意なので大丈夫です。他人の眼を気にしなくていいのは、こっちとしても楽なので」
「でも、一週間も山を歩き回るなんてこと普通はしないでしょっ?
しかも魔物と闘わないといけないから、危険だって孕んでるし……ねっ」
「無理をするつもりはありませんよ。労災が下りないように努力はしてるんで、そこは信じてください」
「頼もしいなぁ。亜人は亜人でも君みたいに真面目なバイトなら、ウチはいつでも歓迎するからねっ」
「うわ、ありがたいです」
歪み一つない階段を上り、俺は二階の廊下へと足を踏み入れる。
「選択肢の一つとして、キープしておきますね」
♦
…………俺がここで働き始めて、およそ一週間が経った。
亜人の雇用条件としては破格の報酬が貰える、ということで飛びついたバイトだったが、労働環境は予想より遥かに良好だった。
なにせ森に入って害獣や魔物の脅威を取り除くだけで、簡素な食事と寝床を与えてもらえるのだ。
近くには川も流れているから、水浴びは毎日し放題。
小腹が減ったら、その辺りで木の実でも拾って齧ればいい。
具のないスープと歯が欠けそうになる程に硬いパンも、料理好きな事務員さんの腕が光っているからか、見た目に反して旨かった。
それに最近では、奇異の視線を向けられることも減った。
いつものフードを被らずに、堂々と顔を晒して魔物狩りに励めてもいる。
もともと森鬼とマナリア人が混在する現場であったからだろう。
無茶な工期に間に合わせるため、作業員全体が一致団結しなければならない。
俺を馬鹿にして優越感に浸るような時間も余裕も、彼らの多くにはなかったのだ。
♦
「じゃっ、入っていいよっ!」
「失礼します……」
カルザックさんの後に続き、俺は二階奥の執務室へと入った。
「――あ、お疲れ様ですカルザックさん」
「やぁやぁ、みんなお疲れさまっ」
部屋の中には、下階と同じように事務仕事に没頭する人が五人程いた。
森鬼が二人とマナリア人が三人。
いずれも身なりが整っているところから察するに、彼らは肩書持ちの「上役」にあたる人間なのだろう。長いテーブルに書類を広げて、ティーカップ片手に立っていた。
おそらく今は、議論を白熱させていた真っ最中。
布を首に巻いた小太りの中年男性から、チョークで黒板にメモを取る三つ編みの若手女性まで、誰も彼も頭が良さそうな顔立ちをしていた。
そのインテリジェンスに満ちた空気を前に、芋頭の俺は思わず肩を竦める。
「机の端、ちょっと使わせてもらうねっ」
カルザックさんのフットワークは軽かった。周りが意図を察するよりも速い動きだ。
先回りなんて、とてもできそうにない。
「わ、すいません! すぐに場所空けます!」
「気にしなくていい、よっ」
紙束を適当に押し退け、机の角にスペースを作る。
そこへカルザックさんは、ここら山林一帯の高低差が描かれた地図を広げた。
作業中の事故防止のために日々情報が更新されているだけあって、その地図には至る所にメモ書きが残されている。
口先だけであれば安全第一を掲げることは簡単だ。
現場で負傷した際の責任は、当人任せのようなブラック企業は近年増えてきているし、地盤改良工事を行わず、無理やり道を通そうとする悪質な職人の噂もある。
人命より利益を追求する輩なぞ、この世にわんさか居るのだ。
この会社が常識人の手で運営されている事実に、俺は深く安堵する。
「……で、魔物の分布はどうだったかなっ?」
そう訊ねたカルザックさんは、部下から差し入れられた茶に口を付けた。
目が覚めるようなスパイシーな香りが、湯気と共に辺りに広がる。
「大量発生とかして、ヤバい感じかなっ?」
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