第2話 剣は唸り、決闘の幕は下りる
精霊決闘における、騎士側のマナー。
それは、「試合の序盤は客を喜ばせるような斬り合いを披露すること」である。
なにせ大量のギャラリーから見物料を取っているのだ。白熱したゲーム展開を披露するのは、精霊騎士にとって当然の責務。
スポンサーの企業イメージを底上げする立ち回りを、ウォーミングアップがてらに彼らは演じていた。
……しかし、どんな遊びの時間にも終わりは来るものだ。
試合開始より数分が経ったところで、決闘者の二人は本格的に実力を発揮し始めた。
♦️
「――『落葉荒流』」
次の瞬間。
ヨナスの手から、猛々しい竜巻が放出された。
詠唱を省略した風属性魔法は、楓の葉に似た魔力の影を散らし、曲がることを知らずに少女へと襲い掛かる。
「……ッ!」
頭を深く下げて前傾姿勢を取ったかと思うと、目にも止まらぬ速さでクラウディアは加速した。
空を裂いて疾走し、紙一重で竜巻を躱した彼女は、一秒もかからずにヨナスを間合いの内に捉える。
下段に構えたのは、明媚な意匠が施されたレイピア。水に濡らしたかのようにぬらりと煌くそれを、クラウディアは素早く振り上げた。
火花を散らして剣は交わり、衝撃は囂々と地面を揺らす。
一階から五階、特別席に至るまで、見物客たちは興奮の嵐に包まれていた。
【――出ましたぁ! これが彼女の真骨頂、神速の間合い潰し!
これにはヨナス卿も成す術がありません!】
鳥肌が立つ光景に、俺もメモを取るのを忘れてしまった。
(すっげぇ……魔力を循環させただけであれかよ!)
この世界において、たいていのヒトは魔法を使えない。
それは、魔力を魔法に変換するのが『ド下手糞』だからだ。
ゆえにヒトは、精霊と契約を結ぶ。
彼らの力を借りて、初めてヒトはまともに魔法を発動させることができた。
では、精霊がいなければヒトは何もできないのか。
実はそういうわけでもない。
ぼっちの民でも魔力を効率よく利用できる方法は、この世にもう一つ存在していた。
――『魔力の体内循環』。
血液が身体中の細胞に酸素を運ぶように、身体中に張り巡らされた魔力回路の内で魔力を循環させる。
そうすることで、ヒトは身体能力を飛躍的に向上させていた。
この魔力の循環法は、才能と努力によって強化することが可能だ。
過酷な鍛錬を積んだ者であれば、原理上は通常時の何倍もの力を発揮できるようになる。
そして彼女は、クラウディアは腕力と脚力を強化していた。
魔法に頼らずとも歴戦の猛者を圧倒するくらいに、だ。
もはや彼女は天才の枠に収まらない。
俺より遥か先の道を、彼女は歩んでいるのである。
【――――斬って、斬って……また鍔迫り合いだぁ! 両者一歩も譲りません!】
フィールドの中央で、二人の剣士は本気で剣を打ちあっていた。
竜虎相搏つ戦況。彼女らの眼光は鋭く尖り、一寸たりとも甘さが見られることはない。
敵の間合いに踏み込み、攻撃し、捌き、回避し、また攻撃する。
百花繚乱というより疾風迅雷。そう表するのが相応しいこの剣舞は、観客の心を惹き込んで永遠に続くかに思われた。
だが、しかし。
「――そろそろ幕を引かせてもらおうか」
砲弾のような突風が、ヨナスの手から放出された。
さっきの『落葉荒流』より小規模な分、威力が数段高い魔法だったようだ。
突風をもろに喰らったクラウディアは、大きく後方へ吹き飛ばされる。
【――あーっと、これはマズイぞ!
間合いを調整するのに長けたヨナス卿、本領を発揮……近接戦を得意とするクラウディア嬢、これは劣勢か!?】
俺のすぐ後ろで悲鳴が上がった。
おそらく試合に感情移入し過ぎたファンがいたのだろう。
そいつが零したポップコーンは、雨のように俺の頭へ降り注ぐ。
(……うるさい奴だな)
手帳の上に散らばったポップコーンを口に放り込み、俺はペンを持ち直した。
多くの観客や実況は、クラ公が窮地に追い込まれたと見ているようだった。
でも、それは全くの見当違いだ。
現にあいつは、もう布石を打ち終えている。
(防具を脱いだ……軽量化のためか)
鋼鉄の鎧を捨てたことで、クラウディアは機動性を手に入れた。
しかし、薄手のチュニック姿となった今の彼女は、いろんな意味で防御力が低すぎる。下手に間合いを詰めれば、致命傷を負って敗北確定だ。
それでも、クラウディアは動いた。
「…………『生者に流れし命の鼓動。理を外れし骨肉の光輝――』」
何を血迷ったのだろうか。
敵が目の前にいるというのに、悠々とクラウディアは呪文を唱え始めた。しかも完全詠唱だ。
その隙を見逃さず、ヨナスは間合いを詰めていった。
宝珠が填めこまれた彼の剣先は、睫一本分の余白を残して急所に焦点を合わせている。
彼女を一刀に伏す気なのだ。
バックステップを踏み、クラウディアは詠唱の時間を稼ごうと試みる。
「『――塞の神は慈愛を授け、天の使いは祈りを注ぐ。聖水満ちる銀の杯を、私は今傾けよう』……」
彼女が発動させようとしているのは、初級魔法の王道である『加速魔法』。
おそらく自分のスピードを更に強化することで、高速戦闘による一発逆転を計ったのだろう。
だが蹴る地面がなければ、彼女は加速できないはず。
一切の迷いなく跳躍した彼女の狙いは、いったい何処にあるのか。
【――もはやこれまでかぁ!?】
クラウディアのサポーターが目を覆い、ヨナスに賭けていたギャンブラーが雄たけびを上げ、皆が彼女の黒星を想像する中。
静淑に、クラウディアは口を開いた。
「――――《加速》」
♦️
颶風を纏ったヨナスの撃剣が、少女の頭を勝ち割ろうとする、まさに寸前。
ようやくクラウディアは、魔法を発動させた。
だが、その対象は自身ではなかった。
いったい彼女は何を加速させたのか。
地面に転がっていた答えは、彼女の命に従い、跳ねる。
♦️
「――なんだッ!?」
そうヨナスが叫んだ、刹那。
先ほどクラウディアが外した『鉄の籠手』が、いきなりヨナスに飛び掛かった。
…………いや、加速したと言うべきか。
観客席から遠目にもわかるくらい素早く、物言わぬ防具は急襲をかけた。
疑似的に動力を得た籠手が、魔弾のように鋭いパンチを放ったのだ。
完ぺきに不意を突かれたヨナスは、咄嗟に剣の柄でそれを防御する。
瞬間的にヨナスの構えが、崩れた。
「――やるよ、ファルク」
精霊の名を彼女は呼んだ。
「――あいよ」
ぶっきらぼうな声で鷹は応える。
ヨナスが体勢を立て直すのにかけた時間は、たった〇・五秒。
しかし、このわずかな時間が命取り。
相手の背後へと回り込んだクラウディアは、しなやかにレイピアを振り引いた。
黄金の光芒が刃から溢れ、やがて収束した闘気は彼女の左手をも包み込む。
晴天に鷹の精霊が啼いた。
羽ばたきによって羽根は舞い、散りゆくそれらはクラウディアの剣に無類のエネルギーを与えていく。
「…………斬ります」
「このぉぉッ!」
迎撃しようとヨナスが身構えた。
だが、もう遅い。
――――ザンッ!
臨界状態の魔力を纏い、レイピアは獣のように唸りを上げた。
白雷に似た閃光を放つそれは、眼前の敵を惜しみなく斬り払う。
幾太刀もの斬撃を浴びせられ、ヨナスは小さく呻いた。
だが、その直後。
戸惑うようにヨナスは言った。
「何が……起きた?」
結論から述べると、ヨナスは滅多切りに遭っていなかった。
斬られたのは「彼の防具」。
正確には「防具を身体に固定する部分のみ」が、鮮やかに切り飛ばされていた。
クラウディアが放ったのは、亜光速の四連撃。
――暴徒鎮圧用対人技、《無傷の鉤爪》。
最高精度の魔力制御と最高練度の剣術が合わさった、完全無血な篤志の『剣技』だ。
決闘の場において、クラウディアは敵に情けをかけたのである。
「まだ、闘いますか?」
「…………」
格の違いを見せつけられたヨナスは、今にも膝から崩れ落ちそうだった。
自分を守っていたはずの防具は全て辺りに散らばっていて、目の前には電光石火の脚力を持つ天才剣士。
絶望的な状況だった。
顔面蒼白で試合前の威勢は見る影もなく、自身を支えた直剣は地面で震えている。
ヨナスの戦意喪失は、誰の目にも明らか。
悔しむように目を伏せると、彼は降伏を宣言した。
「…………私の負けだ」
「そう、ですか」
呆気ない幕切れだった。
ふぅっ、と小さく息を吐いたクラウディアは、静かに剣を鞘に収める。
健闘を讃え合うような真似はしない。
それが相手にとって屈辱の火種となることを彼女はよく知っていた。
だから、それ以上の言葉を彼女が発することはなかった。
…………だが、闘いのほとぼりが冷める間もなく。
「「ウヲァァー!」」
「「やりやがったァァー!!」」
「「クラウディアさまァァー!!」
悪の親玉でも倒したかのようにギャラリーは歓声で埋め尽くされた。
ほとんどの者が立ち上がり、喜びを全身で表現していた。
大旗を振り、上着を投げ、隣の席の輩と肩を組んで盛り上がる。
その様相は、まるで年末のお祭り騒ぎだ。
椅子に座って呆然とする俺の耳にも、実況の興奮した声が入ってくる。
【……す、す、すばらしい闘いでした!
両者が死力を尽くした結果、我々は歴史に残る凄まじい闘いを記憶に刻むことができたのです!
皆さん、この二人に盛大な拍手を!!!!】
木々の騒めきのように、クラウディアたちへ闘技場中から安らかに拍手が贈られていく。
賭けに勝った者も負けた者も、皆満足そうな顔をしていた。
二転三転する戦況。高度な思考の読み合い。
観客が求めていた、血の滾るスリルとカタルシスに満ちた試合だ。
賞賛を受けないはずがない。
全方位で巻き起こる狂気と歓喜のムーブメントは、まさに納得のいく光景であった。
(……先回りしておくか)
熱気に中てられた観客たちは、スタンディングオベーションで精霊騎士を見送っている。
そんな彼らの脇を縫うように、俺は頭を低くして通った。
俺は歓声を上げなかった。
拍手もしなかったし、指笛だって吹かなかった。
別に格好をつけたかったから、逆張りで賛辞を贈らなかったわけじゃない。
ただ、ここでクラウディアを褒めるような真似をしたら、俺の人生が終わってしまうような気がしただけだ。
(あいつを超えなきゃいけないんだ……尊敬してるだけじゃ、何時まで経ってもあいつに勝てやしない……)
ヨナスの動きもクラウディアの動きも、今日観戦した騎士たちのデータは全部メモ帳に書き留めてある。
これで今夜の決闘研究には困らない。
あと、今日やることは一つだけ。
それは。
(クラ公に…………クラウディアに会おう)
飲み物のグラスやごみが宙を舞う中。
リプレイ映像を見て一層盛り上がるギャラリーを背にして、俺はエントランスへと続く出口の階段を下っていく。
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